豊饒の海

会場:紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA
日時:2018/11/09(金)18:30開演
上演時間:2時間40分(休憩15分)

<感想>

 三島由紀夫「豊饒の海」と言えば、そのタイトルと「難解さ」の評(噂)は聞き及んでいたので、全巻まとめて芝居にするという製作発表があったときは「かなりの冒険だな」と思った。
 そして主演を張るのが東出昌大。正直、東出昌大くんに舞台役者のイメージはなかった。調べてみると、この作品が2作品目の舞台出演だという。それも3年ぶり。
 有名な原作モノと2回目の舞台出演の演者、この2つを聞いただけでもビックリしたが、さらに驚いたのが演出家がマックス・ウェブスターだという。えっ?あの「超」が付くほど日本的な三島の作品を演出するのが外国人なの?日本人の演出家でも難しいと思われる作品なのに。いやいや、逆に日本人の演出家なら、そんな無謀なオファーがあっても受けないか・・・。

 ・・・といった感じで、芝居を観る前からこれは二重の意味で"相当な"作品になるぞ、と思っていた。

 まず、基礎知識として、三島由紀夫の「豊饒の海」の予習。この作品は以下の四巻から成っている。

豊饒の海
第一巻「春の雪」
第二巻「奔馬」(ほんば)
第三巻「暁の寺」
第四巻「天人五衰」(てんにんごすい)

 そして、この作品を書き上げた直後に三島由紀夫は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自殺をしたということでも有名。若い人でも割腹自殺前に檄を飛ばしている三島由紀夫を姿をモノクロの映像を見たことがある人がいるのではないかと思う。

大義のために死す 三島由紀夫 誕生の日 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=-CAnVEMbkyE
三島由紀夫 - 檄 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=xG-bZw2rF9o

 この四巻にも及ぶ大作をどのようにまとめるのか?という思いを抱えながら観劇。

 基本的には東出昌大演じる松枝清顕の物語がベースで展開されるが、時間軸が行ったり来たりする構成で脚本が書かれていた。三島由紀夫の本で言えば第一巻を主軸にして四部作の他の三巻の物語の断章を挟み込む形で"再構成"されていた。なるほど、そうきたか。

 小説では本多繁邦の一生(青年期、壮年期、老年期)を描きながら、本多と若き日に会い二十歳で死んだ松枝清顕と、その生まれ変わりと思われる人物が登場し、本多繁邦に(=本多繁邦の方から)関わる形で展開していく(ちなみに清顕は「又、会ふぜ。きつと会ふ。滝の下で」という印象的な言葉とともに死ぬ)。
 三島由紀夫がこの物語で何を描きたかったのか?ということについては多くの研究者に任せるが清顕の最期の言葉と符合するキーワードとして「輪廻転生」があることだけは確かだろう。

 物語の時間軸を動かすのは舞台ならではのもの(演劇のフレームワークを借りて成立するもの)であり小説では難しい。もちろん出来ないことはないが、それは説明的な文言(e.g.「昭和十六年に話は飛ぶが、--」「一方、昭和十六年--」といった前置き)を挟まない限り成立しない。さらに時間軸を動かした場面に「輪廻転生」した人物を登場させるとなると、余程手練れた書き手ではない限り説明的になってしまい小説としては面白みに欠ける。そう言う意味で、この作品は演劇的であると言えよう。

 現在、過去、未来を行ったり来たりしながら、かつ役者も入れ替わりながら芝居が続く。三つのホクロの登場人物が松枝清顕(東出昌大)の生まれ変わりだと信じ、生涯をかけて本多繁邦(大鶴佐助、首藤康之、笈田ヨシ)は関わりを持っていく。ただ老年期に会い自分の養子に迎えた安永透(上杉柊平)だけは違った。贋の転生者であることに気づく。そのとき本多は余命僅かとなっていた。

 まだ公演は続いているのでこれ以上のネタバレは避けるが、ラストで観客は驚くことになる。「えっ?それってどういうこと?」と思う人もいるだろう。「ここまで来て、それ?」と思う人もいるだろう。真意は分からない。それこそ三島由紀夫に訊いてくれ、としか言えない。もしかするとこう言うかもしれない。

 「虚無の極北」へようこそ。

 最後にパンフレットに掲載されている最初の文言を引用して終わりたい。

 想像してください。この景色に亀裂が走って、船が出現する! 一瞬のうちに、それまでのすべてが破棄され、再構築されるんです。でもその船でさえ、とどまらない。世界は、そうやってとめどない再構成が繰り返されている。