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自分の声を初めて聴いたときの違和感。「どうありたいか」を確認してみること。

理想とイメージのギャップだけなのに

「こんな声だっけ?」
動画やボイスメモで録音した自分の声を聴いたときの違和感たるや。

一番近くで触れてきたものが、いつもと違う経路で届くと、それらを統合させるのには相当の時間がかかったもんだ。
そして恥ずかさの感情も湧いてきたことは記憶に印象深く刻まれている。

声はなかなか変えられないけどしゃべり方は修正できる。また人への振る舞いや表情を客観的に見つめるクセ。

正確には監視カメラがそこらじゅうに設置していないと自分の挙動は目視はできないが、自分を俯瞰的に見ようとすることは意思で可能だと思っている。

どんな自分でありたいのか?

今はどういう状態なんだっけ?
周りにどんな影響を与えたいのか?

外見や服装はその人を表すインターフェイスになる。
仕事ぶりや生活習慣の態度はその人の生き方にもつながっていく。

「他者からどのように見られるか」「どんなところを見せたいか」という「外面」を意識して「なりたい自分」を定期的に言語化してみたい。

たとえば私は自分にとって理想的な体重をキープしている。
なぜなら「なりたい自分」は「太っている自分」ではないからだ。
最近は「何からも自由でいる」ことを体現するために白髪染めをやめみたり(笑)

「なりたい自分」のイメージを言語化し、それに基づいて習慣をつけている。
ジョギングしたり、食事量をコントロールしたり色々と行動に落とし込みながら。

また憧れるもの、「こんな風になれるといいな」っていうものにもヒントがある。
近所のお豆腐屋さんの亭主が高齢なのだが、笑顔が素敵でとってもチャーミング。
自分の得意なことを継続してお客さんを満足させる仕事ぶりには頭が上がらない。

とにかくいろんな人に会う。好きなキャラクターや俳優さんとか探して…「ドラゴンボール」の悟空でも、「今日から俺は」の三橋でも(笑)
マネできる要素は試してみる。

外面は他者との接点になる。

パソコンと同じで、どれだけ高機能であってもディスプレイが汚れていたり、白黒だった誰も手に取ってもらえない。

自分の内面をきちんと伝えるための作業、それは信念に通じるものかもしれない。
準備できることやコントロールできるものにはとことん投資して、行動する!

表現方法は人それぞれ自由で良いし、安易な方法論に陥るにはもったいないのかな、と。
もっと凹凸のある個人が集まり、社会を構成していければ生きやすい空間ができると思うんだけどな。


音声配信もしてます、良かったらのぞいてみて下さい


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