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POWER OF SEVENTEEN's LOVE

今日の昼頃、ふと「あ、このままじゃ危ないかも」と思った。今の私はSEVENTEENが”好きすぎる”。
何を言っているのかと思われるかもしれないけど、これはいつか来る終わりの予兆を感じたことによる危機感。
好きが義務になってしまい、最終的には終わりを迎えてしまうその境界線が、遠くの方に見え始めている気がするってこと。

買わないといけない、行かないといけない、これらが「何をどう考えてもどんな機嫌の時でも本当に欲しすぎてこれは買うしか選択肢が見つからない」という意味の間は何の問題もないけど、これが「私はSEVENTEENが好きなんだから買って当然のはず」に傾くと好きが義務になってしまって、これが続くと好きにどこかのタイミングで終わりが来てしまう。
分かりやすく言うとするなら、何をしてでも絶対欲しいから買わなければ、ではなく、SEVENTEENが出した物だから買わなければ、は違うってこと。

恋愛と同じ、依存は不健康。
自立した自分があなたを好きだから意味がある。
依存は気持ちいいし楽だけど、
寂しいことだって知ってるから。

SNSでよく目にする言葉なので、見たことある人も多いかもしれない。私もその1人。
斉須政雄が”調理場という戦場”で記した「愛しているものがあったら、自由にしてあげなさい。もし帰ってくればあなたのもの。帰ってこなければ、はじめからあなたのものではなかったのだ。」という言葉。
本を読んだわけではないので前後を知らず、なぜこの言葉が調理場から生まれたのかは分からないけど、いろんな物に依存しがちな私はこの言葉にずっと憧れている。愛した物たちはいつも自由にする前に、自分の中で跡形もなく消えてしまったから。

本当に好きで全部つぎ込んでも後悔はない。
自分の全部あらゆる全てをそれ一色にしたい。
こんなに好きなら絶対一生好きだから。
その時は本当に思っているのに、いつもいつも必ず終わりが来てしまう。
それは人だったり、アニメだったり、映画シリーズだったり、Youtuberだったり、アーティストだったり、ゲームだったり、スポーツだったり、キャラクターだったり、化粧品だったり、勉強だったり、もう本当に色々だった。
消えてしまった後に自分の中でそれらを見つけたことはない。だってどこかに行ったのではなくて、消えてしまったのだから。私の中の全部で愛し尽くしてしまうと、そこから先の好きは義務になってしまい、それはそのまま終わりを意味してしまう。

5歳からずっと傍にある楽器があって、周りからは「なんで音大に行かなかったの」とか「仕事にはしないの」とか聞かれたことが何度も何度もある。大学四年の就活の時に特技の欄に記載するとほぼ100%で聞かれた。その時は誰でも分かるように必ず「嫌いになりたくないんです」と答えていた。面接官は大抵「仕事ってなると楽しいことだけじゃないもんね」と答え、私はそれに「そうなんです~」とへらへらしていたけど、本当は違う。毎日毎日向かい合って好きになりすぎて、いつか消えてしまうことが怖かったからだ。嫌いになるのが怖いんじゃない。好きの反対は嫌いじゃなくて無関心。好きの気持ちを育てたくないから抑えているんですなんて言って、誰が理解出来るだろう。

今度こそこの気持ちを終わりにしたくない。
まだ、心から本当に好きだって言える今だから、
私の方から一回離れてみることにした。

なにも全く切るってことじゃない。
ただ"好きすぎる"を"好き"にするって話。
毎日毎日何をする時も作業用にかけていたSEVENTEEN関係の動画を、普通のテレビ番組にしてみる。
外出時、電車の中で、必ず聞いていたSEVENTEENの曲たちを、一回日本の人気曲ランキングにしてみる。
グッズが出る度、アルバムが出る度、雑誌が出る度、全部を全部買っていたのを、一旦冷静に考えてみる。
WEVERSEの通知が来たら反射的に開いていたのを、LINEやInstagramやの他のSNSと同じくらいの頻度で一日二回くらい見るのに変えてみる。
Youtubeに動画が上がり通知が来たら全ての行動を後回しにして見ていたのを、自分のペースで見ることにしてみる。
毎日暇さえあればあらゆる最新情報をあらゆるSNSやサイトから、どんな小さな物も逃すまいとかき集めていたのを、一旦やめてみる。

多分境界線が見えてしまったのは、仁川のライブストリーミングをみたから。一気に距離を詰めすぎてしまった。絶対に誤解を招きたくないのは、見たことに後悔はこれっぽっちもしてない。ただ、私の中で愛をふくらませすぎてしまったってこと。
「好きが溢れすぎて最早見なければよかった、知らなければこんなに愛してしまうこともなかった」ってこの二つの感情が確かに100%の純度で共存することを語弊なく説明するのは難しいけど、私が分かっていればそれでいいとも思う。

ホシくんが今日、「わ~もう会いたいwww」と投稿しているのを見た。そんなこと言われたら私も会いたくなっちゃうから、思っていても言葉にしないで。私たちからの一方通行じゃないって、愛してくれてるんだって分からせないで。皆あなたに、あなた達に会いたくない日なんかないんだよ。ずるいとさえ思った。だから彼らが好きなんだとも思った。彼らの無垢で素直で真っ直ぐな所がどうしようもなく好き。

ライブストリーミングを見た帰り道、本当に、本当に、言葉では言い表せないくらい私の全てをかけてこのグループが本当に心から大好きで、失いたくないと思った。SEVENTEENが他の誰でもないこの13人でいてくれることが本当にありがたくて、幸せなことなんだって思ってしまった。
POWER OF LOVEの映画を見た時や、色んなハードルを越えてきた彼らを知った時、紅白で初めて同じ時間を生きる彼らを見た時、NANATOURでまっさらな彼らを見た時、これまでにも何度も彼らへの愛をふくらませた瞬間はあったけど、初めて、CARATの為だけに今同じ時間を生きている彼らを見て、感じて、その言葉をリアルタイムに受け取って、私は私のコップに注ぎすぎてしまった。

私は数多存在する自分の中の、彼らのことを好きな自分が好きだから、大切に守ってあげないといけない。SEVENTEENを好きな自分を私の中で生かしておきたいから、殺さないために、彼らを好きすぎる私を殺すことにした。

なんで今までは一旦手放してみる選択が出来ずに自分の中から消えるまで走ってしまったんだろう?と初めて考えることになり、理由の一つとして信用できなかったからなんじゃないかと思った。私が離れている間になくなってしまったり、消えてしまったりするのは許せないし耐えられない。それなら引き摺りすぎてすり減ってなくなってしまう方がまだ納得できる。

でも私は多分初めて心から信用できると思った、というか、思えたんだと思う。私たちCARATを、心からまっすぐ愛してくれることを一生懸命教えてくれたから。あなたたちは無垢で暖かくて優しくて、そしていつも自分の感情や気持ちに正直に見える。
頑なでずっと何も信じられなかった私を変えてしまったSEVENTEEN、本当に偉大で、あなた達がいるから私は人間として成長できる。

「帰ってくればあなたのもの。帰ってこなければ、はじめからあなたのものではなかった」
でもあなた達は私にこの私は必ず帰ってくるって信用させてくれた唯一無二の存在だから。


愛してるから、一回さよなら。
明日世界が終わっても、あなた達がくれるあいのちからで、私はひとりじゃないよ。



P.S.結局感情が爆発して、確か11時半頃から書き始めたのにもうすぐ5時です。最高の新年度の幕開けですね。今までの私とは違った私になることをこのタイミングで決意させてくれることさえ、彼らのおかげだと思ってしまう私は、まだまだ好き過ぎるを辞められていないような気もするけど、自分の歩幅で少しづつ。
それはそうとして仁川ライブストリーミングのレポ?感想?も鮮明に覚えているうちに書きたいという相反する気持ち……。色んな自分と相談しつつ、折り合いをつけていければいいですね。ではまた書く気になる日まで。

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