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スングァンというKPOPアイドルの話

先に注釈で記載すべき点があると思う。
ここから書く話は私の妄想もだいぶ入ってるだろうし、
本当に事実と全然違う話もあるかもしれない。
言葉尻が強い自覚もあるし、勝手な断定も多い。
私が私の知っている情報の中でこう思いました、というだけの話。要は「なんでも許せる方向け」です。
間違っているところがあったなら、そこは私の妄想だった。もし事実の部分があるならそれは事実だったというだけの話。

スングァンという男はただデータだけで言えば、韓国アイドルSEVENTEEN のメンバーの一人、要は異国の他人である。
MVのかっこいい映像や、ライブのかわいい映像をみている分には、彼のイメージは別に自分と近いとは思っていなかったし、特に気になるメンバーでもなかった。友人の推し、それだけ。
私が彼のことを気にするようになったのは、2021年TTT(メンバー合宿)でのなにげない一言がはじまりだった。

「バーノンがまたひとりになっちゃう」

2020年のTTTでバーノンという別メンバーが、他メンバー12人が外でスポーツをしていた時に1人で部屋で寝ていた時のことを思い出してのこの発言。
恐ろしいのは2020年TTTの時も、2021年TTTの時も、バーノン本人はスングァンのことなど眼中にない。彼は2020年は寝たくて寝ていただけ、2021年も眠いからという理由でメンバーの食事の片づけを自主的に行っていた。
彼はスングァンのことは気にしていない。
様々なコンテンツに触れた上での私の勝手な解釈だが、バーノンはメンタルが強く、一人で生きていけるタイプに見える。彼は別にスングァンを必要としていない。
私にはこの一瞬のシーンはとても恐ろしいものに映ったし、いきなりスングァンという異国の他人を、自分の中にある説明のつかない生きづらさを同じように持つ心の隣人のように感じた。

誤解のないように言語化するのが本当に難しいが、スングァンは自分が1人で置いていかれるのは嫌だから、自分のされて嫌なことは人にしたくなかったんだと思う。でもそれをバーノンは必要としていない。この光景が、結構耐えられなかった。
何をどう説明していいのか分からないけど、大前提として私は自分がされて嫌なことは人も嫌だと思っている。だけどそんなことはなくて、どれだけ仲のいい友人だとしても、人は人、自分は自分というか、自分が相手に与えたい愛の形と、相手が自分に抱く愛の形が違う場合があることをまざまざと見せつけられた気持ちになった。自分が相手に与えたい愛の形は、そのまま自分が受けたい愛の形だと思うので、バーノンがそれを持っていなくて、なおかつそれを全く気にしていないその様子に耐えられなかったのだ。

彼に、彼が欲しい愛の形を返せる人間がいますように。
それからというものの、彼の自分に似た部分を見つけるたびに何とも言えない、まるで自分を客観的に見ているかのような悲しい気持ちになった。

バラエティー番組では我先に話し始めて場のムードを自分中心にしようとするタイプだ。飲み会にいたら会話を回しているタイプ。周りにいるのが心を許した友人か、全くの他人かは関係ない。別にいつでもそう出来るし、その会が終わった後の疲労感が違うだけ。
それは陽キャだとか、コミュニケーション能力が高いからとか、そういう話ではない。自分が会話の中心にいることに安心するし、自分が言ったことに皆が笑ってくれるのがその場の居心地の良さを意味する。
頭の回転が速く話題の引き出しが多いから回す側に必然的になったとかではなく、誰かに自分が置いて行かれることが、いつでも不安で、いつも誰かの自分に対する評価を気にしていて、そうせざるをえなかったのだ。

スングァンの話か、私の話かは分からない。

そしてある日、知ってしまった。
ムンビンのこと。
スングァンは自分の親友を失っていた。

何も言葉が出てこなくて、ただ泣いた。

本当にKPOPアイドル界隈に疎くて知らなかったけど、韓国アイドルには少なからずそういう選択をする人もいるみたいだった。
別に驚くことじゃない、日本の芸能人も、そのへんの一般人も、する時はする。いつ自分にその選択をさせてもおかしくない。

知らなければ幸せだったとも思う。
でも私は自分の心の支えを予期しない形で唐突に失った時の、
その痛みを知っている。

スングァンがどうだったかは分からない。
喪失感でもない、目の前が真っ暗とかでもない、空虚感。自分がいきなり世界から隔離されて透明になったような、言語化するのが難しい、それが起きる前自分がどうやって生きていたか、本当に思い出せなくなるあの感覚。何か理由があって思い出せないとかじゃない、ただ頭の中が無になる、そのことを考えているわけでもなくぼんやりとした時間が増え、自分の内側からドロドロとした得体のしれない何かが溶けていく、形容できないあの感覚が、フラッシュバックした。

私はムンビンのファンではないし、ASTROのこともそれまで名前すら知らなかった。でもスングァンの親友なら、繊細で、人の気持ちに心から寄り添うことの出来る、他人からの評価をそのまま自分の評価として良くも悪くも受け入れてしまう、暖かい人だったんだと思う。

スングァンは、自分が彼を救えなかったことに悲しんだとする記事を見かけたけど、少なからずそれがあったとしても、私にはそう思えなかった。
私なら、自分は親友だと思っていたのに、彼がその選択をする前に自分を頼ってくれなかったこと、自分が彼の自死を止められる要因にはなりえなかったことに虚しさや絶望を感じると思う。
前述した自分の思う愛の形と、相手の持つ愛の形が違ったことに対するやるせなさというか。

恐ろしいのは、悲しみから、痛みから立ち直ろうとすることすら罪のように感じ、時間がたって否応なく忘れたことが増えていくことに恐怖を感じるようになること。
忘れたくなくてすがったはずの写真や映像に、自分の中の思い出が塗り替えられていき、自分の心にいたその相手はどうしても掠れていく。
人は2回死ぬ、死んだ時と人から忘れられた時とはよくいったものだが、立ち直る自分を忘れていく自分のように感じて、自責の念を感じてまた沈んでいく。まるで自分が殺したかのような感覚に陥り、罪悪感に捕らわれるようになる。

受け入れた今では、自分は毎日健康に、思い出と一緒に生きていくことが正解だってことはわかる。
でもそれを他人から言葉で伝えられても、自分でその正解にたどり着かないと受け入れられなかった。
そこまでの道のりは本当につらかったし、本当に出口が見えなくてつらかったよね。
スングァンが同じかは分からないけど、あなたは自分で正解にたどり着いたから、今もアイドルでいてくれているんだと思う。

自分に似たあなたを一番に応援することは出来ない。
明るい意見だけじゃない、顔の見えない他人からの悪意にも触れざるをえないその職業は、必要以上に共感性の高すぎるあなたには、つらいことも本当に沢山あると思うから。
誰か一人が自分を選んで愛してくれることを期待しながら、自分は誰がそうなってくれてもいいように誰が相手でも高い共感性で愛を振りまくその姿勢は、自分で気が付いていてもやめられるものではないことは、よくわかってる。

スングァンの話か、私の話かは分からない。

優しい、暖かい空気になるべく多く触れていられますように。彼に、彼が欲しい愛の形を返せる人間がいますように。一番に応援することは出来なくても、一番に愛しています。

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