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仏教ってなに? 基礎編−3

仏(釈尊)は何を悟ったのか?

どうやって悟った?

 先にも述べたように、釈尊は自分の内面世界をとことん探求して、ついに、ものごとの本質的なあり方を完全に把握するに至りました。何故、内面世界を探求して宇宙のあり方の事まで分かるのかというと、私たちが外に広がっていると思っている広大な宇宙は、実は私たちの内側に広がっている世界であると仏教は考えるからです。
 この基本的なことが分かっていないと、いくら考えても仏教の本質は絶対に理解できません。
 ちょっと前に「マトリックス」という映画が話題になりましたが、あのマトリックス の世界は高度に発達したコンピューターがカプセルの中に閉じ込められた人間の脳に五感それぞれを刺激する信号を送り、その人間はその脳への刺激によって、殆ど現実と変わらない世界を生きていると思っているという設定です。
 あの映画の例で分かるように、人間の感覚器官に刺激を与える信号さえあれば、人間にとっての世界は構築されるということです。
 事実私たちは日々の生活の中で夜空の星々や日常生活の光景や音や感触や匂いなどを感受しそれによって目の前に世界が広がっていると感じています。そして、基本的にはそれらの情報は外から私達の方へと入ってきていると感じています。
 しかし、それらの情報が外から来ていると考えるのか、実際には内側から来ていると考えるのかは、薄型テレビとプロジェクターテレビとの違いと同じようなもので、とことんよく考えれば、世界が私たちの外側に広がっていると考える方がより現実的で、内側に広がっているなどという考えは非現実的であるという根拠はどこにもないことがよくわかります。
 なぜ、そう言い切れるかと言うと、人間が外の世界だと思っている代表のような物理学の最先端の現場では、素粒子の存在の仕方というのは、人間が観測するまでは、その状態が確定しないということが明らかになっており、人間の意識というものが素粒子の状態確定に決定的な役割を果たしていることが分かっているからです。これは「量子の観測問題」と言われ、1920年代ごろから発達した量子力学の研究者の間で大きな謎とされ、21世紀になった今でも、それを否定する明快な解答は見つかっていないのが現状なのです。
 遠い宇宙からの情報も、私たちの直ぐ間近の極微の世界からの情報も、もしそれらが、私達の内側から来ていて、最終的に私たち一人ひとりの意識をつうじて、プロジェクターのように外に広がる世界として投影されているのであれば、最終的に人間の意識が物質の根源である素粒子の状態確定にも決定的な役割を果たすのは、辻褄の合うことであるといえます。
 しかし、情報がもし外から来ているとすると、人間の意識に関係なく、すでに素粒子の状態も含めたあらゆるもののあり方は確定しているわけだから、それらの状態が人間の意識によって左右されるなんてことは絶対にありえないことになるからです。
 また、最新の宇宙論でも、人間存在というものが宇宙の存在の仕方の確定において大きな役割を果たしていると言われています。これは、先の「量子の観測問題」と同様、これまでの、ニュートンの古典物理学によって定着してしまった、広大な宇宙の中の小さな地球の表面の塵のような人間と言う無味乾燥な世界観を大きく覆すものであると言えます。今の宇宙論では、宇宙は単一ではなく、無限の数の宇宙(世界)が一瞬ごとに無限の可能性の数だけ枝分かれしていると考えられており、その中の一つの在り方が人間存在によって確定または確認されるとされているのです。これを、宇宙論の中の人間原理と言います。
 話がだいぶ脇道にそれてしまいましたが、ここは物理学の話をするサイトではなく、仏教の話をするサイトなので、これ以上の深入りはやめておきます。ただし、ここでお話しした「量子の観測問題」も最新の「多元宇宙論」も私のでっち上げではなくて、今時はネットでも書店でもそれらの関連書籍は沢山で出回っていますので、関心のある方は、ご自分でご確認されることをお勧めいたします。


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