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東京→NYC→ニュージャージー: PART l

30歳の頃、自分の将来について悩んでいた。当時は仕事も多忙で、先行きをじっくり考える暇もなく、焦っていた。そしてある日突然片頭痛に見舞われ、一年半苦しんだ。頭部CTを撮り検査したが異常は認められず「ストレスが原因」と診断された。体調不良と将来の不安が重なり、辛い毎日を過ごしていた。

自分は一体どうしたいのか、を自問した。考えた挙句、そうだアメリカへ行こう、と思った。

大学卒業時に3週間アメリカ一人旅をして(当時まだ『卒業旅行』ということばはなかった)日本とは真逆の文化に魅せられた。それ以来、時間があればアメリカへ一人で旅をした。

いつか住めればいいなと思ったが、具体的に計画することはなかった。30男がアメリカへ行って何をする?やはり仕事だろう。仕事と言っても、どうやって働き口を見つける?何も手がかりもないなかで。

調べていくと「アメリカで学位を取得するとワーキングビザにアプライできる」ことがわかった。新宿にある某無料留学相談所へ行き、情報収集すると「松本さんは大卒ですから大学院へ行きましょうよ」と背中を押された。

ああそういうものか、確かに大卒なのにまた大学に入るのもなあ、もっともな話だ、と納得した。それではやってやろう、と決心したら長年の頭痛も消えた。大学院へアプライするため、大学へ行き成績証明書を発行してもらった。「GPA(平均得点)が3以上でありますように」と祈るような気持ちであった。3.0以下ならまともな大学院に入るのは不可能だからだ。

確か3.4くらいあった。よしっいける(それだけではないんだけど)。次に3人の推薦状が必要だ。卒業以来一度もコンタクトしたことのない教授二人に電話して、長年の無沙汰を詫び、頭を下げ(電話上で)、何とか書いてもらうことを了承してもらった。

あと一人は我が社の社長のイギリス人だ。広告代理店のトップである彼は元々コピーライター出身。「会社を辞めてアメリカの大学院へ行きます」という無鉄砲な男に、嫌味のひと言も言わず素晴らしい推薦状を書いてくれた。

書類一式を揃えて志望校へ送り、判定を待つ。結果は「条件付き合格」。つまり「(大学院入学に必要な)TOEFL/GMAT/GRE提出の代わりに本校ESLの英語コースを取り英語力を証明すれば入学を許可する」というもの。

よっしゃあ、とりあえずアメリカ行きの第一段階はクリア。そして1995年8月某日、6年半勤めた会社を退職する(パートll に続く)。

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