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生まれて初めてアイドルを好きになった【5】

わたしが多感な年頃より敬愛しているアーティストに松永天馬氏がいる。

アイドル、というコンテンツに心惹かれるまでは聴き流してしまっていた一節。
「あいどるなら あいのどれい」
わたしはこの詩で勝手に、胸を痛めている。

人間は薄情で、忘れる生き物だ。
ずっと好き、永遠に好き。
「その瞬間のその感情」に嘘はないけれど、明日も明後日もその先もずっと一人の対象に執心しているかはわからない。きっとそれは、アイドルという職業に従事している存在の方が一消費者よりも深く深く理解をしていることなんだと思う。

アイドルをアイドルたらしめるのは、
彼、彼女を愛しているファンだ。
ファンがいなければ、アイドルはアイドルにはなれない。

キラキラと輝いているアイドル。
ステージの上に立っているアイドル。
アイドルの存在は愛されて初めて成立する。

いつか忘れる人間が、いつまで好きかもわからないわたしがこんなことを祈るのは間違っているしとんでもないエゴだ。それでも、テヨンにずっとずっとステージにいて欲しいと心から祈っていた。

3月10日
1曲目のPunchから目頭が熱くなった。
2曲目のSuperhumanから涙が止まらなかった。

今テヨンがステージから見ている景色は、どう見えているだろう。
記憶に残る景色だろうか。
離れている間も、思い出すだろうか。

図々しくもテヨンの気持ちを想像し、勝手に泣いていた。隣の友人は早いと言っていた。わたしもそう思う。1回目のMCすらしていない。

涙で視界がぐにゃぐにゃだった。
それでも、テヨンのパフォーマンスから目を離したくなかった。
全て覚えていたかった。
涙を堪えることは諦めて、ひたすらステージを見つめていた。

テヨンが好きだ。
少し前のわたしだったらこんなわたしを想像することもできなかった。

たくさんの歓声、統制されたペンライトの輝き。
わたしもそれを構成するひとりなのに、どこか他人事のように感じられた。

これまで入ってきた5回の公演よりも、
ずっとずっと熱を感じるステージだった。

東京ドーム前にて

テヨンが涙を流したとき。
いち観客の癖に嗚咽していた。
テヨンが敬礼をしたとき。
どうしても「いってらっしゃい」という言葉が出てこなかった。

後悔がある。
心から、笑顔で「いってらっしゃい」と言えたらよかった。
もう戻ることはできないから、次にステージの上のテヨンを観ることができたら絶対に「おかえりなさい」と言いたい。

生まれてしまったから仕方なく生きている。
起きて仕事して寝て、また起きて仕事をする。
大きな夢はない。誰にも迷惑をかけず、静かに暮らして穏やかに死にたい。
そんな生活の中にひとつ目標ができた。

テヨンを好きになれて幸せ。
月並みな言葉だが、心からそう思う。

NCT127をわたしに教えてくれた友人と最高のアイドル、テヨンに心からの感謝を。

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