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「聖闘士星矢」におけるカミュのビジュアル変遷について妄想する

このnoteの目的:

車田正美の「聖闘士星矢」におけるアクエリアスのカミュのビジュアル変遷について妄想する

 近頃ひょんなことから、〇十年前に愛読していた「聖闘士星矢」を再読し、内に眠っていた小宇宙が再燃してしまったオタクです。以下すべてネタバレありの怪文書。まともに取り合わないでください。

主な参考資料:「聖闘士星矢」文庫版 
※画像は公式HPのHITOKOMA

 
アクエリアスのカミュは黄金聖闘士の中でもトップクラスの人気を誇る。彼はジャンプコミックス28巻・文庫版にして15巻という短い原作中で、次々と新たな属性を獲得していった、極めて味わい深いキャラである。多面性のあるキャラはいつだって人気なのだ。その属性とは以下である。
・師匠、父親
・女神、聖母
・妹

 
※もう一度繰り返す。以下はネタバレとオタクの過剰な妄想に満ち満ちた怪文書である。なお、4400字以上ある。 
 

ある年代にとって「わが師」=「カミュ」である

【カミュ=師匠、父親①】

「聖闘士星矢」を通過した者はみな彼を「わが師カミュ」と呼ぶ。(「和菓子カミュ」の表記も有力。)それほどカミュ=師匠、という等式は強固だ。おそらく13歳のときにはアイザックを弟子にしていたし、8歳の氷河を弟子にしたときは14歳だったカミュ。成長過程において、師匠気質が骨の髄まで染みこんだであろうことは想像に難くない。まだ自分も子どもなのに幼児の面倒を見なければならなかった彼は「保護者」でもあったわけで、父親気質も五臓六腑に染みこんだであろうことは疑いない。
 
そんなカミュが天秤宮で初めて姿を(影ではなく)あらわしたときは、かなり男っぽく、「師父」のイメージにぴったりのビジュアルだった。雄々しい。まじめで厳しくて頑固一徹……なるほどこいつは「クール」だ。一片の隙もなくかっこいい。勝てそうにない。よく見たら全コマ、口を真一文字に引き結んでいる。あんなにしゃべってるのに。
そして涙も男らしく、そっと、密かに流すのである。おお…
 

【カミュ=師匠、父親②】

車田先生面目躍如の美形キャラ(眉毛は二股)

ところがそのわずか7時間後(火時計は便利だなー)、再び氷河が相まみえるカミュは、あきらかに中性的になっている。きれい系になっている。(ついでにいうと、髪が数十センチ伸びている。)これはなぜかというと、おそらく車田先生のノリであろう。直前の敵はカプリコーンのシュラ。十二宮屈指の渋い系、三白眼の「武士」、もののふである。つまり男くさい。その前は誰だったかというと、スコーピオンのミロ。これもキラキラしているが俺様系のオスキャラ代表。そろそろ美麗な敵キャラが描きたい。そんなところだろう。
 
師匠が手塩にかけて育てた弟子に最後の授業を通して倒されるというストーリーが、カミュを悲劇のヒロインに近づけていき、その美しさに拍車をかけている、とも考えられる。カミュvs氷河はマジで聖闘士星矢全編中もっとも尊いのでなめるように鑑賞したい。(その話はまた後日。)とにかくカミュの清冽な美しさが頭のてっぺんから爪の先までみなぎっている。もうこれは見てください、としか言いようがない。

こうして氷河がカミュを倒す過程でカミュの魂・技・心意気がすべて氷河に託される。まさしく師弟愛。辞書の「師弟愛」の項にはこの戦いを載せれば事足りるのである。 

【カミュ=女神、聖母】

結果的に氷河はカミュを殺してしまう(作中でこの言葉は注意深く避けられている)が、氷河の心に「わが師・カミュ」は生き続ける。フリージングコフィンよりも永久的に。ポセイドン編ではリュムナデスのカーサが使うたいへん優秀な変身技で、氷河の心の中のカミュが現出する。ここで登場する偽カミュはまさに氷河が求める「理想の師カミュ」なのだが、それがまた驚くほどみめ麗しい。控えめに言って「女神」か「聖母」である。氷河を抱き起すコマとかもうね…氷河おまえ…師匠をそんな目で見てたんだ…聖闘士星矢を何も知らない人にこのコマだけ見せたら、「なるほどこれがアテナか。さすがにきれいだな」となること必至である。
(このすぐ後の残忍顔が好き、という人も結構多く、カーサおまえ罪深いこと限りないな)

なお、カーサの技の趣旨は「最愛の人に化けて油断させる」というものであり、つまり氷河の最愛の人はマーマではなくカミュである、ことになる。もちろん超人気キャラのカミュと再戦する方が展開的に面白いからマンガとしては当然の選択。しかし画面の外の都合は置いておくことにすると、氷河の中ではカミュはすでにマーマと同じカテゴリに入っていた、二者は入り混じっていた、とも考えられる。氷河がここで夢見るカミュは慈愛の光に輝いている。カミュはマーマなのだ。

ポセイドン編では隠し弟子(違)のアイザックも登場し、彼が幻視するカミュも描かれるのだが、これがまた超ド級の美人。「きれいなお姉さん」そのものである。おまえら二人そろって師をどんな目でみていたのか。
 
(原作のどこにも描かれていないが彼らはほぼ間違いなく一つ屋根の下に暮らしていたであろう。面倒を見てくれる女中さんなどいなかったであろう。となると料理も洗濯も、子どもたちに手伝わせつつお母さんカミュがやっていたに違いないと確信している読者は多い。同居する家族について、「清く正しく真の強さを持った男」となんのてらいもなく言える…すごい話である。ふつうそんなに一緒にいたら嫌なところやダメなところが見えるはずなのに…少年カミュはよっぽど気をはっていたに違いない。と同時に、弟子たちはこの美人すぎる師匠に惚れてしまわないようにことさらに「男」って言って予防線を無意識のうちにはってたんか、との疑いも生じる)(そろそろ黙れ)

こうして氷河が思い出すたびにカミュは美しくなるが、本人もまた登場する。死んだのに。そこが聖闘士星矢のすごいところ?である。
 

【カミュ=妹】

ハーデス編で冥衣をまとって再登場したカミュは、驚異的にかわいらしくなっている。美少女といって差支えない。初登場時のコマと並べてみてほしい。ギャップで風邪をひくから。
(もちろん長期連載マンガにはつきものの現象ではあるのだが、ここではただただ素直に驚嘆するスタイルを貫く)

絶対可憐アクエリアス!

いったいなぜこんなにかわいくなったのか? 
答えはもちろん車田先生の趣味である。コンスタントに「かわいこちゃん(男)」を描き続けたい。「慟哭キャンディーズ」と名高い例の3人組に編入された瞬間、カミュが「可憐枠」になるのは不可避だったと言えよう。シュラは先述の通りザ・侍!って感じだし、サガは美形だけど男っぽい。こうして「きれいどころ(男)」はカミュに回ってきた。また、一番年下でもあったため、お兄ちゃんたちに一途についていく「妹」ポジションをも同時に獲得した。

氷河の不在も注目に値する。カミュwithout弟子が、ここで初めて見られるのである。氷河の前では肩肘はりまくってたんだな、とほほえましくなっちゃうくらいである。
 
聴覚以外を剥奪され、ボロボロになってカエルのおっさんに足蹴にされるシーンでは正しく悲劇のヒロインという趣。氷河が最後に見る師・カミュは儚く、悲しく、やはり可憐である。雄々しい師を見上げていた氷河がたくましく成長し、カミュは塵となって音もなく去る。この数コマもたとえようもなく心を揺さぶる。二人は並び立つことがない師弟であり、そのテーマは常に「継承」である。氷河のために、氷河にすべてを託して、カミュは退場する。
 

【終わりに】

以上のように、文庫版にしてたった15巻、実質5巻~12巻までという極めて短い原作中で、アクエリアスのカミュは「師匠、父親(雄々しい)」→「女神、聖母(美麗)」→「妹(可憐)」と次々新たな姿を見せ、美しくかわいらしくなっていった。長編マンガにはつきもののビジュアル変化だが、それにしても大きく変わっている。

カミュ自身が目指したのは絶対零度であり、永久氷壁に象徴される不変の強さである。しかしそれとは裏腹に、カミュ自身は絶対零度に到達せず、一貫性も(外見・内面において)なかった、と思う。その一貫性のなさこそが、カミュをこれほどまでに魅力的で、様々な角度から長く愛されるキャラクターにしているのではないだろうか。
 

【蛇足】

ビジュアルの話をするといいながら全然外見の話をしていない。カミュといえば
・二の腕
・眉毛

である。(そうなのか)
 
カミュは決して華奢ではない。冷静になれば、184センチであの肩幅なんだから大男である。黄金聖闘士基準ではしかし体重がやや軽めで、つまり筋肉量が少なめ(というのがファンの間の通説)。SNS上で得た情報によると、ジャンプ連載時にはごつごつした腕を表す筋肉線が描かれていたが、コミックスでは消されたという。ここにも車田先生のたぐいまれなバランス感覚が反映されている。もう筋肉キャラはいい。きれい系でいこう。

さらに、水瓶座の聖衣のデザイン的に、肩が見える。例えばシャカの場合、肩を覆うパーツがあって見えにくい。カミュの聖衣は肩から二の腕を積極的に見せていくスタイルなのだ。

こうしてあの、女子競泳選手のごとき肩から二の腕を持つ、がっちりしつつもきれいな師匠が誕生した。奥義・オーロラエクスキューションはむっちりした二の腕から脇を惜しげもなくさらしまくる技であり、「さあ目を開いてとくと見ろ!」なんて言われちゃうと「えっ…いいんですか!?」って目を覆いながら指の隙間からチラ見するくらいがちょうどいいくらいの色気、もとい凍気を発してくる恐ろしい技である。

星矢で一番(ポーズが)真似しやすい技とも言われる 肩こりにも効く模様

(なお、アニメではしっかり男っぽい筋肉質の腕である。アニメ版のカミュはあの渋い声もあいまって、原作より3割増しで男っぽい。アニメから入って原作を後で履修した者はことごとくそのギャップに風邪を引くとか引かないとか)
 
ネタにされやすい二股眉毛については、しかし師の美しさを少しも損なわないばかりか、かえって際立たせる効果を担っている。作者が美形の描き分けができないから眉に特徴を持たせた、という話もあるが、私から見ると十分できている。黄金聖闘士だけで十二人いて、しかも一人も「異形」(「るろうに剣心」や「BLEACH」で見られるような人間離れした体形・容貌)がいない。子どものころはわからなかったが、大人になった今はデスマスクだってイケメンだし、なんならアルデバランもかっこよく見える。あんなにまともかつ美しい人間しか出てこないファンタジーバトル漫画はもう二度と拝めまい。

ということで、カミュの眉毛が二股にわかれているのは必然である。もし付言するとすれば、キャラ的に悲劇のヒロインなので、女性っぽくなりすぎないための枷、ブレーキなのかもしれない。


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