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「神は細部に宿る」―物語世界を建築する語彙選択について

先日、高田大介「図書館の魔女」についてnoteの片隅から愛を叫んだ。
流麗な文体。一般人の教養ギリギリを攻めた格調高い言い回し。
今回言いたいのは、この作品で高田氏は恐ろしく入念に語彙を選んでいる、ということだ。
 
ときどき、とてもおもしろい物語なのに、世界観にそぐわない語を無造作に使ってあってハッと我に返ることがある。
たとえば、明らかにアラビアンな世界観の話なのに、地の文で「フラッシュバック」という英語が飛び出し、「え?」ってなったことがある。
こういうことにこだわりすぎるとあまり健全ではない気がするが(「〇〇警察」?)、瞬間的に気になってしまったら仕方ない。
 
その点、「図書館の魔女」は隙がない。
「烏の伝言」から引用する。 (※「伝言」は「つてこと」と読みます)

「棟梁、剛力は字は書けますか」…
「字? 本字のことか」本字というのはニザマの表意文字のことだ。

「図書館の魔女 烏の伝言」p.403

本字。この物語の舞台、ニザマは中華帝国を彷彿させる国。このシーンでは「筆」で縦書きをする様子も描かれる。なので、脳内に思い描くべきは「漢字」のはずだ。……のはずが、あえて「漢字」という語を避けたところがミソ。
 
「漢字」という言葉には、「中国由来の字」という意味がべったりくっついている。

【漢】
①中国。中国語。中国の本土にすむ民族。「漢詩・漢字・漢文・漢方」
②おとこ。「痴漢・熱血漢・門外漢」

明鏡国語辞典

おそらく高田氏は「大食漢」という語は避けないだろう(知らんけど)。しかし、「漢字」は避けるべき、と判断したのだ。どれほど中国風でも、ニザマは中国ではない。
「小」に「シャオ」とルビをふっても、「漢字」は使わない。
私は言語学に明るくないので、言語学者の筆者が実際どう考えて「漢字」という語を避けたのかはわからない。しかし、意図的でないはずがないのだ。
 
もう少しわかりやすいところを見よう。

長いと噂の両の腕は外套の身頃に包み隠されて見えない。衣紋掛けに吊るしたように裾は膝の下まで覆ってたゆたっている。

「図書館の魔女 烏の伝言」p.422

衣紋掛け、ときた。間違っても「ハンガー」などという語は使わない。
このシーンは「花街」の「廓」で展開している。自動車や電灯もない世界だ。まさか「ハンガー」の出る幕はない。
こういう所にどれほど注意を払えるか、が作品の完成度を左右する。
「神は細部に宿る」は真理である。
 
ほかに語彙のコントロールが素晴らしいなと感じたのは小野不由美の「十二国記」シリーズ。 
2022年発行の30周年記念ガイドブックでも、「カタカナ使っちゃ駄目っていう縛りが」あるのが辛い、とおっしゃっているが、やはり相当に気を遣って、意図的にある種の語彙を避けて、あのシリーズは書かれている。選り抜かれた言葉が築き上げる壮大な異世界。
作者と編集者、校正者の圧倒的な努力のおかげで、これほど多くの人を熱狂の渦に巻き込む世界が広がっているのだ。
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それから、蝉谷めぐ実。
「化け者心中」は衝撃だった。台詞まわしからちょっとした用語まで、こだわりに満ちている。読むと江戸の空気が吸える。

「今、ここ」とは異なる場所、「異世界」を読者の脳裏に現出させるには、言葉の厳格な取捨選択が必須なのだろう。
 

一方で、あえて世界観にそぐわない語彙をぶちこむことで効果をあげる手法もある。それについてはまた今度書こう。


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