見出し画像

現代のシェイクスピアによる至福のファンタジー! 高田大介「図書館の魔女」

読み終わって…しまう…!!!
ラスト数十ページ、身もだえしながら読んだ。
読み終わるのが、悲しくて悔しくて…
読んでいること自体が至福、そんな本。  
『図書館の魔女』 高田大介 

京極夏彦、森博嗣、西尾維新などを輩出した大型新人賞「メフィスト賞」が生んだ鬼才による本格ファンタジー。2013年にシリーズ第1作が出版され、2015年に続編が登場。今も第3作が待たれている。
(本当に、熱烈に待たれている……高田先生、「霆ける塔」はいつごろ……発売でしょうか……??)
 
この物語の壮大さ、人間模様のおもしろさについてはファンの皆さまによるすばらしい記事・ブログ・ツイート・イラストをご覧いただきたい。私がこの記事で注目したいのは、類まれな文体である。

※以下は私の個人的な主観による文章なので、的外れ・見当違いはご容赦ください。
※引用が多いのですが、ある程度の分量を読んで初めて感じられる空気があるので、お許しください(著作権様、なにとぞなにとぞ)。
※引用はすべて、単行本(上下巻)より。

【格調高く淀みない地の文】

ろくに学もないキリヒトの言葉遣いが、きちんとした教育を受けたもののそれに似ていたのは、一つには先生の口ぶりの模倣があったのだろうが、これに加えて北方の山岳地帯に隔離されていた鍛冶の里の方言が、あにはからんや古典語に近しいものだったということに依っていた。
 どのみち高い塔の執務には古典語の修養は必須になる。それならばあたら俗語の読み書きに寄り道するよりも、古典語の読み書きに最初から乗り出してしまった方がよいだろう。そのために彼の山村の『訛り』の性質はうってつけのものだと二人には思われたのだった。

「図書館の魔女」上・p191

この調子で、地の文が流れるように書き継がれていく…
圧倒的な読み心地のよさ!! このレベルの語彙を使っていて、なお!
「あにはからんや」、「あたら~」が普通の文芸書でこうも自然に現れるとは……他にも「目に一丁字もない」など、日常目にすることがないフレーズも滞りなく読ませる。奇跡の文体じゃないですか!?

【立て板に水! キャラクターのセリフ】

本気で隠しておきたいんだったら書に著したというのが、そもそもおかしいじゃないか。書物を著すというのはね、隠さないということがその本質に含まれているんだよ! 書を著すならば、それは世に問うこと、世に知らせること、おのれの説く正しいところも誤ったところも、すべて人目にさらして審判を問うということだ。仮に百年と読み継がれる書物なら、百年の後世の批判を仰がねばならない。著すとは万人の批判に堪える覚悟を意味する。隠しておかねばならぬことなら著さないのが、まずは道理だろう? 書けばその言葉は残る。書けばその言葉は伝わる。書けば秘密は決して保たれない――したがって門外不出の秘法の書などてんから自家撞着も良いところ、秘法などとは体のよい自称の肩書に過ぎない。そして己の価値を自称する『秘法』に本当の価値があった例などありはしない。なぜなら書物の価値は、秘法ではないということに他ならないのだから。その価値は万人の理解を求めて、万人に開かれることで初めて与えられ、そうしてはじめて書物は力を持つのだから。

「図書館の魔女」下・p70-71

これが、「図書館の魔女」、少女マツリカの台詞である。
かかかかっこいい!! 声に出して読みたい日本語!!
全編、この格調高くもさばさばした調子で進む。読んでいるだけで、至福。

【読んでわかるが逆立ちしても書けないハイレベルな語彙・言い回し】

そもそも多島海と一ノ谷が臨む海峡周辺は東の大陸と西の大陸の境に位置しており、一ノ谷はまさしく東大陸の最西端にあって東西の交通の要衝をなす。文字通り四方八方からの文化の往来の交差点に位置するのが、一ノ谷であった。南北に海路を擁し、東西に陸路を扼す、二大大陸の接点にして要衝。その好条件はここに位置する部族国歌に、大きな通商上の利点と、従って一頭地を抜いた国力を約束する。

上・p135

文脈があるので読めばわかる、でも「扼す」って何?と問われると困る……「切歯扼腕」でしかこの字を見たことがない。「要衝を占める」の意らしい。
「一頭地を抜く」もわかるが、では自分で書けるか、というとたぶん思いつかない。
私が一般レベルの教養を持っているとずうずうしくも仮定する場合、「図書館の魔女」は一般人のPassive vocabularyのギリギリを攻めている。読んで理解できるが、自分で書くことはできない、そういう語彙・言い回しだ。筆者は言語学者であり、その博覧強記ぶりを本書でいかんなく発揮している。

例によって机上席上の知識だけれどね。鱒っていうのは古代の文献からずっと出てくるもので、洋の東西を問わず遥か昔から人語に親しい魚なんだ。

上・p517

「人語に親しい」はGoogleの完全一致検索(※「"人語に親しい"」のようにダブルクォーテーションで囲む)では出てこず。しかしわかる。私たちが普段口にする言葉、ということでしょ?

【高田大介は現代のモーツァルトでありシェイクスピアである】

このように、日常使うことはおろか目にすることも稀な語彙・言い回しを縦横無尽に駆使していながら、「図書館の魔女」は少しも読みづらくない。それどころか、読み進むのが楽しくて仕方ないのである。読むドラッグなのか、というくらいに。(教養がないと例えの質が下がる例)

この流麗さは、言ってみればモーツァルトの仕事である。
つまり、あーでもないこーでもないと悩みながらひねり出したりしたものではない、するする、と流れ出てきているのだ。ごくごく自然に。だから、読みやすい。

花が咲けば嵐、人の生に別れは事欠かぬ――古来そう言うように、会うは別れの始まり、出会ったものは別れて終わるのが人の世の習いである。マツリカらの旅の締めくくりにも幾つかの別れがあった。これらの別離に紙幅を費やして、この物語は終わる。

下・p637

あまりの名調子に涙が出る。誰が別れてやるものか、終わるなこのやろう、と呻きたくなってもいたしかたない。

言葉が豊富な一方で、「これ、標準的な語法だろうか?」と戸惑う部分もなくはないが、要するにこれは、シェイクスピアの仕事である。
言葉の豊かさに遊び、破格すら恐れない。型を新たに作り出す勢いである。


…ろくな学識もない者がなんかわかってる風に云々してしまった。でも、とにかく素晴らしいんだよ! とだけ叫んでおきたい。味わってみてよ! おいしくて滋味あふれまくってるよ!!
 
豊かな文章にがっちり支えられたストーリーも最高にすばらしい。
ファンタジーであり、ミステリーであり、冒険あり、知的探検あり、アクションあり、政治上の駆け引きあり、
ちょっと恋愛ありの、2010年代を代表する大傑作エンターテインメント!!なのである!!!

とにかく、読書好きはすべからく、読むべし!

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?