異端

【異端】 その世界で正統とされていない学説や宗教。「――者」 ―視 正統でないものとみなすこと。 ―者。 1.正統でない教えや学説を信ずる人。2.伝統や権威に背く人。 3.仲間外れ

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 とある宗教を国教とし、信仰心のもと国民が一致団結し、他のどの国にも負けない発展を遂げたこの国の議会には独特な制度がある。

 「異端審問」

 聖典曰く、『この国が発展したのは唯一神イアが我々により深き知恵を授けなさったからである。しかし、イアを心底嫌う悪魔ンシンカムはこの国をを滅ぼすために四年の月日をかけて国の最も信仰ある一人を「異端者」にし、また一人、また一人と支配し、最後にはこの国を手に入れようとしている。悪魔は信仰あるものに信仰無き行為をさせ、やがてすべての人から信仰は消え去るだろう』

 故に、四年に一度議会では悪魔から国を守るために、最も信仰あるもの――つまり議員の一人を罷免する。

 それが、「異端審問」。

 悪魔を絶ち、議会を保ち、国を守り続ける神聖な儀式。

 十人全員の議員が集まり、一日あるいは長いときには一週間以上の議論の末に一人の「異端者」を見つけ追放する粛清の場。

 これが、「異端審問」。

 今現在、この場で行われようとしている、文字通りこの国の行く末がかかったターニンングポイントである。

「十時になりましたな。それでは、今年も『異端審問』を始めよう」

 進行役を務めるのは、この十人の中でもっとも高い位にいる議員。

 その名を、シャーロックという。

 彼は現在の議員の中でただ一人、国が生まれて間もない当時議員として選ばれてから一度も異端者になることなく議員として国を導いてきた人物だ。

 幼い頃から慈善活動に積極的に行い、国教に定められた全ての決まりを守り続け、議員になったあとでもその収入の殆どを貧しい人々のために使う。

 まだまだ挙げられるものはあるのだが、これだけでも彼が最も信仰あるものとして十分だということがわかるだろう。

「みなさんは今日の日をとても心苦しく思っているでしょう。異端審問ゆえ仕方のないことではありますが、この四年間、ともに国を支えてきた友と悪魔のせいで別れなければならないのは、本当に残酷なことだ」

 一切合切物音がしない部屋で唯一聞こえる穏やかであるが力強い声に、他の九人の議員は改めてこの日がいかに国の運命を左右するのかを認識する。

 なぜなら、

「――ご存知のとおり、わたしは四十四年間議員として国のため国民のためつとめてきました。故に、断言しましょう。わたしは、今までで一番よい議員たちとこの四年間を過ごしてきたと。できることなら、この十人で国を永遠に支えていきたいと」

 少なくとも、シャーロックの目には彼ら九人の議員がそう見えていた。

 例年であれば、必ず四年の間に一人は私利私欲のために権力をふるう、神の庇護下にあるこの国を守り続けるという使命を忘れた異端者が現れる。

 けれども、今回は違う。

 シャーロックは本当に、今回は誰が異端者になってしまったのかがわからなかった。

 誰が異端者なのか明確にわかるような事件はこの四年間で一度もなく、かといってそれぞれの日々の行動を振り返っても特に何も異端者らしいところは見当たらない。

 しかし、この中に絶対に一人の異端者がいるのだ。

 シャーロックは一度、自らの手で握りしめている真っ白な紙をちらりと見る。

 この紙は、異端審問が始める前にそれぞれが異端者と思った人物の名前を書き留めるために使う紙だ。

 異端審問では、まず最初にこの紙を一斉に見せて異端者の候補を挙げる。

 口頭ではないのは、誰かがあの人が異端者と言ったから自分もその人を異端者ということにしておこうなどと考えてしまうのを防ぐためだ。

「――では、この中に異端者は?」

 シャーロックの声を合図に、十人全員が裏向きにした紙を出す。

 そして、一斉に裏返し、

「……これは」

 十枚のうち九枚、シャーロック以外の紙はとある人物の名前を指し示していた。

 その人物を、シャーロックを囲む九人がまさに悪魔を見る目でにらみつける。

「わたしが、わたしこそが『異端者』であると?」

 たった今、「異端者」であると決定した人物、幼い頃から慈善活動に積極的に行い、国教に定められた全ての決まりを守り続け、

 国が生まれて間もない当時議員として選ばれてた後でもその収入の殆どを貧しい人々のために使い、今までで唯一ただの一度も異端者になることなく議員として国を導いてきた人物。

 そんな人物だった異端者は、

「――どうして、わたしが異端者であるのか、お聞きしてもよろしいのかな?」

「シャーロック卿、いや、この神聖な国を陥れる異端者よ。醜い悪あがきはやめるが良い。我ら九人が貴様を『異端者』と認めた時点でこの決定が覆ることはない」

「それはわかっているともジェームズ卿。だが、わたしは少なくとも四年前までは異端者ではなくただ一人の信徒であったはずだ。どうしてわたしが異端者になってしまったのか、わたしは知りたいのだ」

「黙れ! この悪魔の手先が! そうやって自らの失敗を知り、今度はより狡猾に立ち回る気だろ! そうとわかっているのに誰がお前にそれを教えるか!」

 議員十人のうち、九人が一人を異端者とした時点で異端審問はその人物を異端者として閉廷する。

 これは誰であっても変えられないルールであり、故にジェームズという名の少し年のいった人物や大声で非難した若い議員の言う通り、そして何よりシャーロック自身が理解している通り彼に弁明の余地は何一つとしてない。

 もっと言えば、異端者である彼は今すぐにでもこの場を去らなければいけないのだが、

「まぁ、落ち着きたまえポーロック卿。いいではないか、私は今回に関してのみ例外だと思うがね」

「と、いいますと?」

「初歩的なことだ友よ、彼は自らが異端者である自覚がない。自らが、どれほど悪魔に操られているかを全く理解してはいない。だからこそ、先程の発言なのだろう」

「は、はぁ……」

「故に、我々は教えなければならない。この異端者の重い罪を、そして、もう二度と国を揺るがすようなことをしないように。それに、君たちも心苦しいだろ?」

 誰も、まっすぐジェームズの目を見るものはいなかった。

「我々は、特に最近議員になった者たちほど、かつてシャーロックと呼ばれた聖人の背中を見て、憧れ、そしてともに国を守りたいと願ってこの場にいるのだ。きっと、この決断に未練が残るものも多くいるだろう。そうならぬように、もう一度かの異端者の罪を心に刻みつけるべきなのだ」

「なるほど、そういうお考えなのですねジェームズ卿」

「では、私の意見に反対はあるかな?」

 ジェームズは八人全員の目をまっすぐ射抜き、

「異端者よ、本来貴様に掛ける慈悲や哀れみの類いは何もない。で、あるが、今回は特例として貴様には贖罪の機を与えよう。心して聞くように」

「ありがたく受け取ります、ジェームズ卿」

「よろしい、早速だが単刀直入に言おう。貴様の背徳は他のなにでもない、人の身は有り余る、その権力である」

「人の身に有り余る、権力でしょうか」

「そうだ、シャーロックと呼ばれた聖人はこの国にいるものであれば誰もが敬意を表する偉大な人物である。それこそ、彼が一言この国のためと言い張れば、国民全員が如何様にも動いてしまうほどに」

「しかし、国民を動かすには議員十人全員の決定が必要であろう、わたし、いえ、かの聖人シャーロック一人にそのようなことがあったとして、何が問題でしょうか?」

「あぁ、それだけなら問題がなかった。それだけだったのなら……しかし、かの聖人シャーロックは、悪魔の手によって堕ちてしまった。その結果どのようになったと思う?」

「わかりませぬ、この愚かな異端者には」

「それは百も承知である。故に、教えよう。聖人シャーロックは悪魔によって、その権力を手放せなくなってしまったのだ!」

 静かだったジェームズの口調に、今までになかった熱がこもる。

 それは、目の前にいる異端者に対するものではないような気がする、そうシャーロックは何故か思えた。

「貴様は先程なんと言った? 『わたしは、今までで一番よい議員たちとこの四年間を過ごしてきたと。できることなら、この十人で国を永遠に支えていきたい』? 何を馬鹿なことを言っているのだ! 悪魔ンシンカムは我々のうち一人を四年の月日をかけて異端者にする! だからこそ異端審問があるのだということを忘れたのか! 我らが神の教えを守っているという象徴である異端審問を否定するなど許されざる大罪である!」

「……、なんと」

「その上、権力欲しさのあまり自らの行動を振り返ることすらしないなど、たとえそれが自覚なきものであったとしても許されざるものである! 神の教えを忘れたことがないとされた聖人がこんなことをするなど、異端者となったとしか説明しようがないだろう!」

「なるほど、なるほど……それは、考えていませんでしたな」

 確かに、ジェームズ卿の言うとおりだ。

 今まで自分はずっと、自分を除いた九人の中から異端者を見つけようとして、自らが異端者であるとは考えたことはなかった。

 いつの間にか、傲慢になっていたのかもしれない。

 今まで議員として長年やってきたのだから、今回も異端者ではないと、なんの証拠もなく、自分の行動を全て確かめることもなく、振り返ることもなく馬鹿げた自信を持ってしまったのかもしれない。

 あぁ、確かにこれでは、

「この身が、とんでもない罪を犯した者の物であると、よくわかりました」

「反省するがいい。そして、二度とこの場に現すな異端者め」

 コツコツとゆっくり音をたてながら、異端者がいてはならない神聖な場所を離れる。

「…………」

「どうした、異端者。振り返りなどせずに今すぐこの場を離れよ」

 ふと、ともに笑いながら国を支え合った時期を思い出す。

 ――いや、今の自分に、異端者である自分にそんな権利はないのだろう。

 最後はせめて、自分が国のために頑張ったのだと誇れる自分であれるように。

 異端者として唯一国のためにできること、

 シャーロックは、もう二度と振り返ることなくどこかへ歩き続けた。

 どこまでもどこまでも、遠く離れてゆくその背中を静かに議員たちは見守る。

 かつてだれもが憧れたであろう人物のその姿は、国民が見ればその殆どが涙をしたに違いない。

 ただし、議員たちもそうであるとは限らなかった。

「さて、今回の異端者の代わりに入る議員ですが」

 話を切り出したのは、先程大声を上げていたジェームズという議員。

 その声は、もう氷のように冷えていた。

「打ち合わせ通り、ジョン・ダクラスでよろしいかと」

「ふむ、それで異議はあるかな」

「「「「「「「「異議なし」」」」」」」」

「ふむ……あぁ、ようやくだ。ようやく、私の悲願がなされたよ。本当に、あのシャーロックは邪魔だった。これで、私は私の思う通りに文字通り全てを動かせる」

 異端審問にあるまじき爆弾発言を、それこそ悪魔のような顔でジェームズは平然と言い切る。

 しかし、この発言を諌める者も真の異端者だと叫ぶ者もこの場にはいない。

 なぜなら、

「思えば長い道のりだった。誰にも悟られないように私にとって不都合な存在に異端者の嫌疑がかかるように仕向け、新しく入る議員をどうにかして私の言うことを秘密裏に守ってくれる人物に誘導させ、そしてついに! かの聖人シャーロックまでもを追い払いこの議会は私の意見に賛同するものしかいない! ハハ、ハハハ、ハハハハハハハハハ!」

 神聖な場所であるはずの議会の場には、【異端者】であるが「異端者」ではない者の嗤い声だけが満ちていた。

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