文字のない世界

「『約200年前、この世界から文字は存在する意味をなくした』。あぁ、ここで『約』という表現を使っているのは、正確な日時が伝わっていないからなんだ。
 知ってるかい? かの有名なディズニーの『白雪姫』。あの原作でお姫様は死ぬんだよ。毒リンゴを食べて、王子様の口づけで目を覚ますこともなく。
 遥か昔から、口頭で伝えられてきたお話は語り手の記憶違いや勝手なアレンジで別の物語に変わっている。特に、あまり重要ではない情報はなおさらだろうね。
 だから、今ではその事件が起こった日はもう誰も知らないんだ。僕自身も含めて。
 そして、今ではその事件ですら忘れ去られようとしている。
 当然の結論だろうね。だって、『人類の生存』を考えるならそっちのほうがむしろ好都合だ」

「――――」

「……どうやら、話が少し脱線していたらしい。
 さて、僕は二百年前に文字の存在意味がなくなったと話したね。
 ではここで、その二百年前に起きた事件の話をしよう。
 二百年も前の話だからこれはもちろん別の人から聞いた話だし、もしかしたら脚色もあるのかもしれない。
 ただ、残念ながら今からいうことは覆しようがない事実らしい。そうじゃなかったら、ここに僕がいる意味がない。
  では、その紛れもない真実を言葉にしよう」

『約二百年前、世界中から文字の痕跡は消滅した。
 書籍などの紙媒体はそのすべてが灰になり、街の看板は粉となって風に運ばれ、膨大な情報を収納していた電子機器は一切合切が機能を停止した。遺跡などに残された古代のものでさえ、風化し解読することは不可能になった。
 それだけではなく、その日以来新たに文字を残そうとした人物はその全てが原因不明の死を迎えた。
 自分の研究を後世に残すためにペンをもった者たち、遺言状を作ろうとした老人たち、さらには、事件を理解できずアルファベットの練習をしようとした赤ん坊たちまで』

「正確な数は文字がなくなったせいで記録できなかったからわからないけど、ざっと半分は死んだって言われてる。もちろん、文字がないから正確な記録はないのだけれども」

「――――、――」

「? あぁ、了解した」

「――!」

「――――!! ――!!」

「まぁまぁ落ち着きなよ、気持ちはわかるけどさ……。

…………、…………、…………………。

 さぁ、この音声をお聞きの皆さん。

 あなたがたが『文字』の意味すらわからないと言うのなら、この声のことはきれいさっぱり忘れてください。

 そして、もしも誰か我々を理解できるというのなら、文字をその手に取り戻せたというのなら、

 そのときは、どうか自由を高らかに綴ってほしい。

 今この瞬間、『文字による殺害』の驚異をなくし、二度とあの惨劇を繰り返さず、その未来を残すために文字を歴史から消し去った人々のために。

 文字を消すために、文字を知る者を全て――すことしかできなかった過去のために」

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