2023年色々話題のイランに行ってみたら想像以上に凄い国だった イスファハーン編
前回からずいぶん時間が空いてしまったことをまずはお詫びしたい。いや、その、プライベートで色々あったんすよホント。失業して再就職したらブラック企業だったのですぐ辞めたりね。年に2回も失業する奴なんておる?
とても記事を書くどころでは無かったのだが、精神的にちょっとだけ落ち着いてきたので、せめてイランの旅行記を思い出せる限りオムニバス形式でまとめておきたいと思う。
ペルシャ絨毯を買おう
イスファハーン滞在2日目、私には人と会う約束があった。前日に両替やSIMカードの設定を手伝ってくれ例の彼が、去り際に「良かったら明日ペルシャ絨毯の店を紹介してやるよ」と言ってくれたのだ。イスファハーンの中心地であるエマーム広場には、広場を囲むようにバザールが広がっているのだが、彼によるとそこにある絨毯屋は観光地価格だからオススメできないと言うのだ。
「だから、地元民が絨毯を買いに行く店まで連れてってやるよ」との提案だった。私はそれを受け入れ、翌日、つまり滞在2日目の朝10時にエマーム広場で待ち合わせることにしていた。
しかし懸念がある。一緒に昼食を取った際の会話で分かったことだが、彼はエマーム広場まで自動車で来ていた。つまりその絨毯屋に行く際も、車で行く可能性が高い。さすがに昨日今日知り合ったばかりの人物の車に乗るのは危険ではないだろうか。特に、彼は私が大量の紙幣を両替するところを見ている。郊外に連れていかれ、金を出せと脅されたらこちらはひとたまりも無い。
車がおかしな方面に移動しそうになったら、最悪ドアを開けて飛び出すしかない―――私はその覚悟を決め、約束の場所へと向かった。
約束した場所はエマーム広場の一角で、朝10時にはもうたくさんの観光客(ほぼ全部イラン人)でにぎわっていた。彼は少し遅れてきた。そして挨拶もそこそこに説明を始める。
「すぐ近くだから、歩いて行こう」
私の心配は一体何だったのか。
イランとイラク
目的地までは歩いて15分ほどだったが、その間に彼はイランの歴史について語ってくれた。この旅行で分かったことだが、イラン人と仲良くなるとイランの歴史や政治、経済の話になることが非常に多い。彼もペルシャ帝国時代のイランの偉大さを色々と教えてくれた。曰く、2500年前のペルシャ帝国は妊娠した女性に対する子供手当の給付制度を整え、世界で初めての社会保障制度であると見做されているという。私は歴史には疎いので真偽のほどは分からなかったが、彼が自国の歴史に対して誇りを持っていることが窺えた。
さてしばらく歩き、目的の店に到着した。下の写真が店の内部の様子である。
問屋だコレ!
私はそう思った。地元の人が買いに行く店と言うからもっと隠れ家的な物を想像していたが、どう考えてもこれは問屋である。確かに彼の説明をよくよく思い出すと、「ペルシャ絨毯というのは遊牧民が作るんだ。今から行く店は、遊牧民から買い付けて、土産物屋に卸してるんだ。その店から直接買えば、中間マージンが取られず安く買えるわけさ」という説明をしていた。冷静に考えれば問屋の事だと気付けたかもしれないが、私の脳内ではすっかり隠れ家的な店のイメージが出来上がっていたのである。
彼はどんどん建物の奥へと進んでいった。もはや絨毯だらけで足の踏み場も無い、というか絨毯を踏みつけて先へ進んでいる。それでいいのか?
建物の最奥は、いくつかの小部屋に仕切られていた。ガラス窓から中が見えるが、どの部屋も積みあがった絨毯でいっぱいだ。彼はその内一つに入っていくと、中にいた恰幅の良い男性と親し気に話し始めた。
「どんな絨毯にする?」彼は振り返って尋ねた。私は「日本の住宅は小さいから、小さい絨毯が欲しいんだ」と説明すると、彼は恰幅の良い男性に通訳し、男性は候補となる絨毯を探しに行った。男性が絨毯を持ってくるのを待っている間、彼は私にこう説明した。
「あの男はイラク人だよ」
というか、この問屋で働いている男たちの多くはイラク人だという。
意外な思いがした。イランとイラクは対立しているのではないのか?
私が率直にそう聞いてみると、彼は事も無げに「ああ、イラン・イラク戦争の話?あんなのもう40年も昔の事だよ」と言ってのけた。それから、「君たちだってアメリカと戦争したけど、今はアメリカと仲良しだろ」とも。まあ確かにそうだ。それに、彼はどう見ても40代以上には見えない。生まれた時には終わっていた戦争のことなどどうでもいい―――それが偽らざる気持ちかもしれない。それに仲違いしていないのなら、私から言う事は何も無い。
しばらくすると例の男性が何枚かの絨毯を持って戻ってきた。正直、玄関マットサイズのを期待していたのだが、どれも大きい。とは言えこれより小さい物は無いと言うので、たたみ2/3畳くらいのサイズで、クジャクが刺繍された可愛らしい物を選んだ。価格、220米ドル。
支払いは、連れてきてくれた彼がカード(イラン国内専用)を用いイラン・リアルで行い、後で現金(米ドル)で俺に払ってくれればいい、とのことだったので、お願いすることにした。
ちなみに、問屋を出るときに彼は門番に心づけのようなものを渡していた。こうした阿吽の呼吸を見るに、恐らく観光客が単身でここに乗り込んで買い物をするのは難しいと思われる。
さて買い物を済ませると、彼が手ぐすね引いて待っている。何かと思っていると「色々手引きしてあげたから、ちょっとばかりキックバックをくれないか」とのこと。ううむ、強かである。
とは言え、彼には大いに助けられたのも事実だ。彼は20ドルを要求したが、昨日の両替と今の絨毯の支払いで米ドルが枯渇しかかっていたので、10ドルだけ渡した。少し残念そうではあったが何とか納得してもらい、そこで彼とは別れた。それに、絨毯代として220米ドルを渡しているのだ。不安定な自国通貨を安全通貨に変換するという役割は十分に果たしたはずだから、これでヨシとしてもらおう。
別れ際、「今日は土曜日だから夜のハージュ橋を見に行って、明日は日曜だからアルメニア人居住区の教会に観光に行くのがオススメだよ」と次に行く場所を説明してくれるRPGのキャラのような事を言われた。とはいえ地元民のオススメには素直に従う事にしている私は、その通りに観光に出かけることとした。
モトハシス登場
さて夜のハージュ橋を見に行けと言われたもののまだお昼前である。私はかなりの重量のある絨毯を置きに一度ホテルに戻ってから、再びエマーム広場に繰り出した。先ほども写真を掲載したが、エキゾチックな雰囲気の広場やバザールはただ歩いているだけで魅力に溢れている。
そこで、広場に面したモスクを撮ろうと、私はそちらの方に歩いて行った。
石垣に囲われたモスク入り口のそばをブラブラ歩いていると、浅黒い肌をした小柄な中年男性が颯爽と石垣に飛び乗り、華麗にジャンプして私の前に立ちふさがった。念のため言おう。これは盛っていない。マジである。中年男性が華麗にジャンプして私の前に立ちふさがったのだ。そして流暢な英語で話しかけてきた。
「君、日本人かい?」
私はおやと思った。これまで私の事を見てシーナ(チャイナ)と言ってくる人は多かったが(悪気があったわけでなく、中国人かい?と聞きたいだけだと思われる)、日本人かと聞いてきた人は初めてだったからだ。
聞けば彼の姪っ子が日本で結婚し日本に住んでいるのだという。スマホで写真も見せてもらったから恐らく本当の事だと思われる。私が子供の頃は在日イラン人による偽造テレカ事件などが取り沙汰された頃であるから、意外と日本に関わりのあるイラン人は多いのかもしれない。
それはさておき、彼はモトハシスと名乗った。英語が堪能なおじさんで、聞いてもいないのにモスクの歴史を延々と語ってくる。
私は警戒した。観光地で頼んでもいないのにガイドをしてくる奴がいたら注意が必要である。あとから高額なガイド料を請求してくることがあるからだ。というかイランの前に立ち寄ったネパールでは見事にそれに引っかかったから、余計に警戒していた。
しかしモトハシス、一向に料金を請求してくる気配が無い。果てはモスクの中に一緒についてきて、どういう歴史があるかまで説明してくれるのだが、それでも料金の話はしてこない。
モスク内部を見学して出てくると、彼は「この近くに俺の店があるから、寄ってってよ」と言い出した。ううむ、これが狙いだったのだろうか?
しかし無下に断るのも悪いのでヒョコヒョコついて行った。彼の店はバザールの目立つ位置にあったので、特に危険は感じなかった。中に入るとまず彼は紅茶をごちそうしてくれた。イラン人の歓迎は、何はともあれ紅茶から始まるのだ。
飲み物に睡眠薬とか混ぜてあったらどうしようという考えも無くは無かったが、昨日タクシー運転手に出された紅茶を飲んだうえで彼のタクシーに乗ったのだ。考えてみれば危険極まりない行為だったが何とかなった。もうここは体当たりで行くしかない。
彼の店は絨毯屋さんだった。正直、さっき絨毯を買ったばかりの私には興味のない店であると言わざるを得ない。さて、どうやって断ったものか…
そう考えていると、モトハシスは一枚の絨毯を持って来た。日本人の住宅事情は知っているから、一番小さいのをピックアップしてくれたという。これは…
そういうのでいいんだよそういうので!!
私は驚いた。さっきの絨毯問屋では畳みたいなサイズの絨毯しかなかったが、ちゃんと玄関マットサイズもあるじゃないか!
値段を聞くと約15,000円とのこと。さっき220米ドルの絨毯を買ってしまった後だが、イランなどそうそう来れる国ではない。欲しいと思ったのなら買っておいた方がいい。
私が財布を開いて手持ちのお金を確認していると、モトハシスは驚くべきことを口にした。
「あ、うちクレジットカードも使えるよ」
私は耳を疑った。イランではクレジットカードは使えないのではないのか?
理屈はよく分からなかったが、彼曰く「ドバイを経由して規制を回避してるから大丈夫だ」とのこと。ちなみに、この他に一軒だけ、宝飾品店でも同じことを言われた。イラン商人の商魂は逞しい。
しかもありがたいことに、日本円も受け付けてくれるとのことだった。クレカも日本円も受け付けてくれる店などイランではそうそう無い。昨日両替した現地通貨も適当に消費していかねばならないし、私は日本円で1万円と、イラン・リヤルで5000円分を組み合わせて支払う事とした。
店員のガタイのいいあんちゃんとそんな交渉をしたのだが、なんと彼は日本語を話せた。読み書きは難しくてできないらしいが、口語会話はかなりのレベルだった。これは推測だが、彼は若い頃日本に出稼ぎに来ていたのではないだろうか?そう、偽造テレカ事件が取り沙汰されていた、90年代前半に…
私が店を出るとき、彼はこう言った。
「イランの経済を助けてくれて、ありがとう」
私のような(見た目は)若造にそんなことを言わねばならないほど、イランの経済は今でも混乱しているのかもしれない。私の支払ったお金が、少しでも彼らの生活の糧になっていることを切に願うばかりである。
ハージュ橋を訪れる
さてそうこうしているうちに日が暮れてきた。私は助言に従い、夜のハージュ橋を見に行くことにした。
流石に40分歩くのも大変なので、タクシーを捕まえることにした。運よくホテルを出てすぐ流しのタクシーが掴まり、スマホの画面を見せて「ハージュブリッジ」と言うとすぐに理解してくれた。歩いて40分の道のりも車なら5分で済む。しかも料金は300円程度。安い。イランではタクシーをバンバン利用することで観光を効率的にできるようだ。
本当はUberに相当するSnapp!というイランのタクシー配車アプリがあるそうなのだが、入手方法が分からなかった。よくよく考えてみれば昨日携帯ショップでSIMカードの設定をしてもらう際に頼めばインストールしてくれたかもしれないが、考えが及ばなかったのが悔やまれる。結局イラン旅行はSnapp!無しで回る事となったが、もしアプリがあればより便利に旅行が出来ただろう。これからイランに行く人はぜひアプリを入手してからの出発をオススメしたい。
とは言え、タクシーを通じて得た奇妙な縁もあるので、それは次回紹介しよう。
さてハージュ橋である。17世紀に造られたという石造りの橋で、夜は美しくライトアップされている。
ちなみにこの橋、自撮りしている人が滅茶苦茶いる。イラン人も自撮りしてSNSにアップするのが大好きなのだ。イランでは何度も地元民に話しかけられ、「インスタやってる?」と聞かれたものだ。イランと聞くと怖い国のイメージがあるかもしれない。実際、イラン政府はそうだろう。だがイラン国民は親切で人懐っこく、インスタもやるし、旅行もする、普通の人々なのだ。
どこの国でもそうだが、政府と国民は違う。イランほどそのことを痛感させられる国は無いだろう。
なお、来るときはタクシーが掴まったが、帰りは全く捕まらずやむを得ず徒歩で40分かけてホテルに帰りましたとさ。とほほ。
アルメニア人地区を訪れる
さて翌日、私はアドバイス通りアルメニア人地区のヴァーンク教会を訪れることにした。到着初日にタクシードライバーたちに助けてもらった地点に行くと、顔ぶれは違うが沢山のタクシーが待っていた。そのうちの一台に声を掛けて、教会まで行ってくれと依頼する。
着いてみると、たくさんの観光客でごった返していた。タクシーを降りるとき、運ちゃんから「一時間後にまた迎えに来てやろうか?」と有難い提案があったので、是非にとお願いした。猛暑の中、また40分かけてホテルに帰るのは御免だ。
入場料を払って教会の敷地内に入ってみると、結構広い。教会そのものだけでなく、資料館が併設されているようだ。まずは資料館から見てみることにした。
さあ資料館に入ろうか…と思っていると、イラン女子たちに話しかけられた。曰く、「一緒に写真を撮ってもいいか」とのこと。
私は一瞬混乱したが、様々な人のイラン旅行記に書いてあったことを思い出した。「外国人観光客はイランでは珍しすぎるので、アイドル扱いされる」というのは本当だったのだ。何しろこちらは冴えないアジア人のオッサンである。世界中のどこの国を旅行してもこんなお誘いは来ないだろう。私は快く誘いに応じた。
が、あまりの事に動転しすぎて自分のスマホでも撮らせてもらう事を失念したのは悔恨の極みである。イラン女子の写真撮っとけば良かったなあ…
いや、もちろんこれは旅行記を書く者としての責務から言っているのである。やましい所は無い。
さて、ここに来てもう一つ驚いたのは、イランの英語表記の充実ぶりである。ほとんどあらゆる説明にペルシャ語と英語が併記されているのだ。先に述べた通り、外国人観光客なんてほとんど来ないのに、である。
外国人観光客が山ほど来るのに、頑なにフランス語表記しかしないフランスには是非見習って欲しいものだ。外国人旅行者にとって、英語表記があるだけで安心感は段違いなのだから。
一つ目の資料館を見終わった後、私は教会内部を見学した。それにしても驚かされるのは、厳格なイスラム教国だと思っていたイランにおいて、キリスト教もその存在を認められていることだ。しかもイラン人も普通に見学することが許されている。実際にイランに来てみるまで、私はてっきり他宗教は弾圧されているものだと思っていた。
無論、日本のように何でもかんでも自由に信仰していいという訳では無いのだろうが、それでも私の中にあったイラン像と現実はかけ離れていたと言わざるを得ないだろう。
イスファハーンをぶらぶら歩く
その後も数日イスファハーンに滞在した。見知らぬ国の見知らぬ町に行って、目的も無くブラブラするのが好きな私は、当て所もなく人気のない道を歩いたりした。
どことなく昔のコールオブデューティーみたいだなあとか考えながら、人気の無い路地を歩く。そうこうしているうちに、観光客向けではない地元民向けのバザールにたどり着いた。
ただでさえ外国人が珍しいイランにあって、さらに地元民向けのバザールではよほど外国人が奇異に映ったのだろう、色々な人が話しかけてきて「俺の写真を撮れ!」と言ってくる。カメラを持って歩いていると、イランではこのようなことが往々にして起こるのだ。
それからさらに歩みを進めると、どうもエマーム広場のバザールに戻ってきてしまったようだ。そこでなんとモトハシスに再会する。彼は挨拶もそこそこに自分の友達がやっているという土産物屋に私を引きずり込んだ。ううむ、なんという商魂…
結局色々と説得され、その店でも私は土産物を買う事になってしまった。モトハシス、恐るべし。
長距離バスで次の街へ
話は前後するが、私はこの旅行が始まる前に以下の事を調べていた。
①イラン国内移動で主な手段は飛行機か長距離バス。列車もあるがメジャーではない。
②飛行機が予約できないか調べたが、運悪く席がすべて埋まっていた。
そこで私はイスファハーンから次の目的地のシーラーズまで長距離バスを利用することを考えていた。様々な旅行記を読むと、「バスに乗りたい日の前日くらいにバスターミナルに行って予約すれば十分間に合う」と書いてある記事が多かったが、何分心配性の化身と言ってもいい私である。可能ならば日本にいるうちから予約をしたい…
そこで様々調べた結果、以下のサイトなら日本にいるうちからバスを予約できそうだった。
とは言え一筋縄ではいかない。できるのはあくまでも希望の路線と日付を入力して送信するだけで、その場で予約確定という訳ではないらしい。旅行開始の10日ほど前に上記の公式ウェブサイトから入力すると、数日後スマホのWhatsAppに連絡があった。
最後のメッセージでも分かる通り、イスファハーンからシーラーズへの長距離バスはなんと5ユーロである。イランのバス、安すぎ問題。
ただ、ここでもやはり一筋縄では行かないのがイランである。路線は固まったが、乗車日が近くならないと業者ですら予約ができないらしく、まだ予約が確定できないのだ。最終的に予約確定メッセージが来たのは乗車の6日前だった。そこで送られてきたリンクを辿り支払いを行うと予約が確定され、バウチャーのPDFが送られてくる仕組みだ。
ホテルをチェックアウトし、呼んでもらったタクシーに乗ってバスターミナルへ。
このターミナルには沢山のバス会社のバスが発着する。印刷したバウチャーをインフォメーションに見せて、自分の乗るバス会社のカウンターがどこにあるか教えてもらい、待合室にてバスを待つ。
乗車時刻が近づいてきた。私はROYAL SAFAR社の受付係から教えられていた番号の発着場へ向かった。"Thirty-One!"と言われているので、31番を探せばいいのだが、ペルシャ数字が跋扈するイランで31番乗り場を探せるだろうか…と思っていたら、
私は拍子抜けしながらも31番バス乗り場で仁王立ちしている強面のおじさんにバウチャーを見せて「このバスで合ってるか?」という雰囲気を醸し出してみた。するとおじさんはバスに乗り込み私に手招きする。そして「この席に座れ」とばかりに席を指さした。
なおシートの上には網棚があるのだが、私の愛用しているオリンパスのカメラバッグCBG-12は分厚く、比較的薄い物しか乗らない網棚には乗せることが出来なかった。なのでしょうがなく股の間に置くことに。
このバスは進行方向左手にひとり掛けシート、右手にふたり掛けシートがあり、通路を挟んで私の右側にはふたり掛けシートの通路側に若い男性が座っていた。これでお互い快適だね…などと思っていると、出発時刻間際になって若い女性が一人乗り込んできた。恐らく当日になって乗車を決めた人だろう。
すると先ほどの強面のおじさん、ジェスチャーで私に席を移動しろと迫って来る。どうやら先ほどの若い男性の隣、窓際席に移動しろと言っているらしい。
これは推測だが、イスラムの戒律では結婚しているわけでもない男女が隣同士の席に座ることは好ましくないという事なのではないだろうか?最後に乗ってきた若い女性がふたり掛け席に座ってしまうと男女が隣り合ってしまうので、男性である私がふたり掛けシートに座るべき、という事なのだろう。
せっかくゲットしたひとり掛け席を譲る事になったのは悲しいが、郷に入りては郷に従え、である。私はふたり掛けシートの窓際に移動し、隣の男性に気を使いながら股の間にバッグを挟んで汲々としながら長旅を迎える事となった。トホホ。
出発時刻になり、バスは走り始めた。途中、イスファハーンにもう一つあるバスターミナルに寄って追加の旅人を乗せると、今度こそ荒野の旅へと出発した。
まるで西部劇に出てくる砂漠である。イランの自然は、日本でも東南アジアでもオセアニアでも欧州でも見られなかったものだ。それだけに、見ているだけでワクワクしてくる―――とは言いつつも。
私は気が付くとタブレットを取り出しダウンロードしておいたジョジョ4部のアニメを見ていた。だって9時間半もかかるんですよこのバス旅!!
もっとも、バウチャーに9時間半と書かれていただけで実際には7時間半で済んだのだが、それは結果的にそうだったというだけだし、そもそも7時間半だって十分長い。4部の好きなシーンを見終わった私は次にロマンティックキラーを見始めた。女性が活躍するアニメをイスラム教国で見るというスリリングな背徳感を愉しみながら、バスは進んでいく…
さてここで2つほど重要な情報をお伝えする。私が乗ったROYAL SAFAR社のイスファハーン→シーラーズ線では、途中のトイレ休憩は1回だった。その際にはごく小さなサービスエリアのような所に停まり、簡単な食事や飲み物を買える休憩が20分程度設けられた。それにしても、7時間半の間にトイレ1回である。トイレが近い人はむやみに水分を摂らないようにしよう。
もう一つ重要な情報だが、他の方の旅行記では長距離バスでは軽食と飲み物が提供される、という記述が多いが、今回の旅ではそうした物は一切無かった。私がそういうプランを選択してしまったのか、そもそも無いのかは分からない。何しろ最前列なので車内全体の様子が分からないのである。後ろの方の人は軽食を受け取ったりしていたのだろうか?
とにかく空腹に耐えられなさそうなら個人で軽食を持ち込んだ方が良いだろう。
そして出発から7時間半の後、私を乗せたバスは無事シーラーズバスターミナルへと到着した。ターミナルからホテルまでの移動をどうしようかと思っていたが、心配ご無用大量のタクシーが今か今かと乗客を待ち構えている。向こうからグイグイ来るのでバスを降りた次の瞬間にはタクシーをゲットできた。
終わりに
いかがだっただろうか。私がイスファハーンで体験したことをなるべく時系列のオムニバス形式にまとめてみた。これを読んだ方が少しでも楽しんでくれたり、イランに興味を持ってくれたら望外の喜びだ。
…さーて頑張ってシーラーズ編も書かなきゃなぁ。就職活動もしないとなので、期待せず待っててください。
次回、「シーラーズ」。C.S.の飲むシーラーズのコーヒーは、苦い。
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