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ぶらり関西みて歩記(あるき) 天王寺七坂

〔第6回〕
天神坂

■安居神社へ通じる天神坂

安居天神(安居神社)へ通じる坂道であることから、この坂は天神坂と呼ばれる。石畳が美しく、上るにつれて左へゆるやかにカーブする景色の変化に富んだ坂だ。

江戸時代の大坂では、上町台地の周辺から良質の水が湧きだしており、天王寺七名水(七名泉)と呼ばれた。この湧水を汲んできて売り歩く「水屋」という商売もあって、よく売れたらしい。

安居神社の鳥居前にも「相坂の清水」と呼ばれる名水処があった。平成13年、坂の上り口に、当時の湧き水の雰囲気を再現した施設が大阪市建設局によってつくられた。残念ながら、節水か節電のためだろうか水が流れていない(取材時)。一見すると路傍のオブジェのようにも見え、顕彰板の説明文から由来を知った次第である。

■大阪名物の商標とも関係が深い?

安居神社の創建年は不明とされている。初めは少彦名神が祀られていたが、天慶5年から菅原道真が祀られるようになったという。

昌泰4年、菅原道真は大宰府へ左遷された。その旅の途中、河内の国・道明寺にいる伯母・覚寿尼を訪ねる際にここへ立ち寄って休憩したことから「安居」の名がついたとの伝承がある。一方で、明治時代に書かれた「大阪けんぶつ」という書物によると、名水の井戸があることから「安井」と呼ばれるようになったという記述もある。そのため「安居」と「安井」の二通りの書き方があるというのだが、正しく考証されていないようだ。

ちなみに道真がこの地に立ち寄ったとき、その境遇に同情した村人が「おこし」を差し入れたところ、そのお礼にと菅原家の紋所である「梅鉢」を贈られた。この梅鉢の紋が大阪名物「粟おこし」の商標として、現代に伝わっているといわれている。

■真田幸村最期の地として有名

最盛期の境内には桜や萩の花があった。高台にあるため見晴らしがよく、とくに信仰をもたない人でも観光に訪れた。そんな客をもてなす茶店もあって、その賑わいは摂津名所図会、浪速名所図絵、そして広重の浪速名所図絵 安井天神山花見にも描かれている。

安居神社といえば、その名が全国的に有名になった歴史上の出来事がある。大坂夏の陣で真田信繁(幸村)が、この地で最期を遂げたことは大河ドラマを観ていない人にも良く知られているはず。

友軍の不手際が重なって、幸村自ら立てた作戦はことごとく破たんした。負傷し疲労困憊して、境内にある松の木の根元で休んでいたところを徳川軍に発見され、さほど抵抗することもなく首を討ち取られたと伝えられている(最近の研究では、最後まで戦った末に戦死したという説もある)。

また上方落語の「天神山」の舞台としても登場する、文化的にも歴史的にも重要な位置を占める神社である。

●天神坂:大阪市天王寺区下寺町2-6-6/距離:142m・高低差:12m・平均斜度4.2度

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