【中国戦線のBC兵器】地上部隊支援に使用された投下弾

「戦争責任研究」最終号の松野論文には興味深い史料(C04123681100)が紹介されています。
ここでは、この史料について述べます。



史料について

「関東軍防疫給水部」の実用試験依頼で、支那派遣軍が「試製三〇瓩投下爆弾(特殊)」(※)を約200発試用。
この結果、「地上作戦直接協力」において「人馬殺傷力極メテ著大」だったため、追加で計800発の支給を要請。
「受領時期」は「至急」とあり、現地軍は早急に本投下弾を欲していたことがわかる。

※なお、本史料では投下弾の名称を「九九式三十瓩爆弾」とする項もあります。おそらく、表面上は通常兵器である「九九式三十瓩爆弾」を支給する名目としたのではないでしょうか。


最大規模の生物兵器戦?

この投下爆弾が生物兵器だった場合、セッカン作戦を含めて日本軍による最大規模の生物兵器使用だと思います。

また、軍中枢・現地軍からあまり褒められることの少ない生物兵器戦のなかで、本戦闘は現地軍から高く評価されている点も注目すべきです。
現地軍としては実用試験の依頼に応えただけだったのが、あまりに効果があるので、早急に(大量に)追加が欲しくなったのでしょう。


投下弾は「ハ弾」?

私個人の勝手な想像ですが、本投下弾は炭疽菌を填充した(または細菌なしで鉄球だけの)「ハ弾」だと思います。
これは、以下の理由によるものです。

(1)ウジ・ハ弾のどちらか

石井部隊では、さまざまな投下弾が開発されていました。
ですが、ウジ弾・ハ弾以外の投下弾は不評だったのか、大戦後期の実験記録には登場しなくなります。
ここまで高く評価された投下弾がのちに「没」になったとは考えにくいため、ウジ・ハ弾のどちらかではないでしょうか。

(2)ウジ弾(PX填充)は使用困難

近接航空支援に使用されたという点から、ウジ弾(PX填充)は友軍誤爆の危険性大であり、かつ効果発揮(腺ペスト発症)までの期間が長すぎるような気がします。
また、「50型ウジ弾」(「新ウジ弾」、「石井式細菌爆弾」)は各種史料(業務日誌、ハバロフスク)から、1944年末に完成したはずです。
それ以前の旧タイプのウジ弾は、実戦に投入できるような段階ではないと思います。
また、本史料における射耗弾数・支給弾数は計1000発ですが、当時のPX生産量では困難かもしれません
サイパンに重爆大編隊(のべ250機?)によるウジ弾使用計画が実現されなかったのも、PXの生産能力不足だったはずです(1944年の業務日誌に記載あったはず)。

参考文献

松野誠也「関東軍防疫給水部・関東軍軍馬防疫廠における部隊人数の変遷について」『季刊 戦争責任研究』日本の戦争責任資料センター、No.91(2018年冬季号)。


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