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【毛沢東戦略】砲兵と工兵(爆薬)に自信ー第二次国共内戦の後半

毛沢東は、第二次国共内戦の後半において、砲兵と工兵(爆薬)に大きな自信を持っていたようである。



結論

毛沢東は1948年の年末ごろ、砲兵と工兵(爆薬)について2回も言及している。
毛沢東が具体的な兵器名に言及するのは珍しいため、この時期の毛沢東はこれらの兵器にかなりの自信を持っていたと思われる。

砲兵・工兵は、航空機・戦車を圧倒する?


毛沢東は、優勢な砲兵・工兵は敵の航空機・戦車を圧倒すると主張した。
以下に示すように、これらの記述は1948年の年末に書かれたものである。

「杜〇明らに降伏をうながす書」:1948年12月17日
「革命を最後まで遂行せよ」:1948年12月30日

「杜〇明らに降伏をうながす書」(1948年12月17日)において、毛沢東は以下のように述べている。

諸君の飛行機や戦車も役には立たない。われわれの飛行機、戦車のほうが諸君のより多いのだ。それは、大砲と爆薬のことで、人びとはこれを手製飛行機、手製戦車とよんでいるが、諸君の舶来飛行機、舶来戦車より十倍もすごいではないか。

「杜〇明らに降伏をうながす書」1948年12月17日
(『毛沢東選集 第四巻』外文出版社、1968年、389項)

「革命を最後まで遂行せよ」(1948年12月30日)においては、優勢な砲兵・工兵によって敵の航空機・戦車が「とるに足らない」ものになったと主張している。


兵器への言及は珍しい?

毛沢東が具体的な兵器名に言及するのは珍しい。

中共軍は近接戦闘を重視していたようだが、毛沢東が三大戦闘技術(手榴弾、銃剣、射撃)に言及したのは管見の限り1例のみである。


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