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低気圧

■ここ数日の低気圧と部屋探しとで気力をかなり消耗している感じがあったので、今日は焼肉を食べた。家の近所の安かろう美味かろうの店だが、ここは豚ハラミに豚トロの脂だけが入っていたり、カシラにも豚トロが入っていたりする。まぁそれはそういう豚ハラミでありカシラだったということなので特に怒りもせず、まぁ次回はもう豚ハラミは頼まなくてもいいかなという気持ちになりながらも、満腹まで食べて体力の回復に努めるのである。

 僕も妻も外食が好きで色々と「この気分の時はここ」「この時はここ」というようなお店を開拓してあったので、引っ越しして店が遠くなってしまうというのは少し残念なところもある。まぁ遠くから食べに来てもいいくらいのお店、結婚記念日のディナーを用意してもらったお店とかもあるので、たまには食べに来るのもいいかな。いずれにせよ少し子供が大きくなるまでは外食の仕方も考えなくちゃならなくなると思う。

 部屋探しは時間との戦いというところもありつつ、本当に縁のある部屋というのはそういった事柄から超越したところにあって、部屋探しに限った話ではないが、然るべき時に然るべき処に来るということはもうわかっているので、色々と部屋を見ながら、日をまたぐ度にアクセスできなくなってゆくページたちを眺めながら、そうは言いつつも目星をつけた部屋が僕らを待っていてくれることを祈るばかりなのである。

 最近少し思っていることはこの文章の1000文字という縛りは外してもいいかもしれないということだ。文章は短くたって文章だし長くなって文章だ。いい文章と長さには一切関係がない。極限まで短く絞った文章は詩になるかもしれない。もちろん、縛りの中で文章を気合いで引き延ばすことによって次元の狭間から姿を顕す言葉というものもあるだろう。そういうものの存在の可能性を否定したくはないし、むしろ出会いたいとさえ思う。ただ、だったら毎日気合いで20000字かけば?という話になってしまい、長ければ長いほど良いという発想になってしまうところが難しい。一方で、大体の目処がつけ安くなるので、毎日の日課とする以上は何文字以上という目安はあったほうがいいのではないかとも思う。

 この手の形式的なことは、意外とその事柄の本質と不可分だったりするので侮れない。もっとも良いのは、形式と内容とが必然において合一していることでこれは芸術作品としての強度を持つということになる。

 しかしやはり、はじめに毎日1000文字以上書くと決めた以上は、毎日1000文字以上書くべきなのだろう。1000文字以下で書きたいのならば、1000文字以上の文章を書いた後、1000文字以下の文章を書くべきなのかもしれない。

 とにかく今は、この日課を確実にクリアして行くことが大事だと思う。1000文字以上か以下かという問題は、まぁ後々考えよう。自然と書ける量がいいね。
ここまで読んでくれてありがとうございます。おやすみなさい。
あ、今度から書き始めた時間もメモるようにしよーっと。

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