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わたしのnoteの流儀。少しだけ生まれました

「ぼやく」を変換してみたら、母役になった。知人が教えてくれました。
いいねえ。ステキ。わたしは思わずニッコリです。グズってしまうことのハードルが下がったような。やさしい気持ちです。

自分のnote記事を読み返して思います。大体ぼやきだな。たまーにキラッとビシッと記事があるか、もしや無いかな。そんな程度。でもわたしの心地良いのはコレなんだって、ようやく納得。自分がゆるゆる緩んでいられるリズム感。

この2週間くらい、自分へチャレンジしてました。今まで書かなかったことを書いてみようって。気づいてたけど、書かずに逃げてたこと。盲点をあえて探すこと。意識してやってました。

なんで挑戦したのか。いや。いっぱい書いてきたし、やってなかったことをやってみるか。パッて思いついて。思いついたし書こう。そんなノリ。

実は昨日書いた記事で400記事目だったそう。noteからの通知で知りました。300記事のときもそうだったけど、ガーンて。それならそうと、違う内容で書いたかもしれないのに。ちょっとの間、呆然。

まあ、でも。深く考えようが、結局は似たようなことを書いてるだろな。そのときの1番書きたいことを書いてるだけだし。ガーンは過ぎ去り、立ち直りました。

noteとは自分のSNSで、書きたいことを書けばいい。ホントそうだと思います。でもちょっとだけ、そこへ追加で思ってるとこがあって。

まだ始めたばかりの挑戦だけど、SNSに書くところと、自分の胸に秘めて、考えつくしてから書く部分とがあるなーって。明確に「ハイ!ここからー」と線引きはできないけれど、ありそう。思いました。

頭の中でぼんやり思ってたことを形にするって、いいですね。わたしは文章という形だけど。やってみて初めて気づくことがある。どんどんぼやいてこうーって、思ってるのでした。

さて。本日は当直です。
では また明日。

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