毎日noteをはじめて半年。変わったのは、この3つです
noteを毎日書くようになったのは、去年の10月半ば。きょうは半年以上書いていて、変わったことを3つあげます。
自分の気持ちを大切にするようになった
この出来事こそ、この解釈こそ、きっとみんなにいっぱい読まれちゃう。なんて勢い込んだものが、そうでもなかったり。
そうかと思えば、こりゃアカンかもの記事がアレよあれよと読まれたり。ときには勿論、自分の目論み通り(いい方も悪い方も含め)のこともあったりしました。
自分の感覚って狭い世界だったんだな。まじまじ実感です。自分じゃない外の世界の感覚を読もうとしたって、全然わかんない。じゃあ自分の気持ち最優先でいいじゃん。自分の思ったこと、感じたことを大切にしよう。
そんな「自分の気持ち信じるぞ軸」が芽吹きました。今もなお、毎日ちょっとずつ育ってます。
ネタ探しの感性が育った
さて今日は何書くよ。自分の頭の中で、さながら毎日編集者会議をしているようなもの。
「あれはどうだ」「これはどうだ」意見交換が活発な日もあれば、チーンとダンマリな日ももちろんあります。ダンマリ日は困りもするけど、腕の見せどころでもある。
そんなときは、自分の変化したとこ無いかなって探してます。変化探しの目線で今日の自分を見直すと、不思議と何か出てきます。
前に比べて穏やかになってるとか、なんかイライラしてるとか、プラスでもマイナスも含めると発見しやすい。さあ、なんで変わったの。自分へインタビューするように、記事を書き進めてます。
「ネタ探しの感性」ってわたしの場合は、「自分への興味が増した」と同じことでした。
自分を大切に思う心があったと知った
変わり映えのしない、なんちゅーことない人間。自分で自分のこと、そう思ってるところがあって。事実なんだろけど、でもやっぱしモヤってしてました。
ここだけの話。この半年にわたって書いてきた記事全部が、わたしは愛おしい。毎日そのときの精一杯を込めて記事書いて、間違いなくそう思ったから書いたものづくし。こんな気持ちになるもんなんですね。
大切にしたくて書き留めたかったことが、いっぱいある。「なんちゅーことない」なんて、自分のこと思ってないよ。たくさん伝えようとしてるんだから。
わたしは、かけがえのない存在。自分だけは自分のことをそう思おう。そしてニンマリしよう。自分への自己評価へ変化の兆しです。心のどっかにあった、「自分は大切」が現れてきました。
まとめ
noteを毎日半年間書いてたら、たぶんホントはずーっとしたかった「自分を大切にする」がカタチになった。そんな気がしてます。
自分の思ってることを言葉にする。言葉にしたことで誰よりも自分へ、ビシバシ伝わってくる。わたしが思うnoteを書き続けることのいいことでした。
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