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食育ってなによ

「栄養バランスの取れた食事」を「残さず食べる」。



ああ〜〜〜。ヤダヤダ。

うちの子はこの真逆を突っ走っている。

なんなら最近の夕飯はもっぱら冷凍ブルーベリーと牛乳で済ませている。お腹空かないのか?? だって食べないんだもん。もういいや、元気だし。

なんてダメ親な私が、保育園では保護者様の連絡帳を見ながら、「年齢に合わせて噛みごたえのある食事を増やした方が」だの「苦手な野菜も少しずつ挑戦してみましょう」だの言っているのだからおかしなものだ。

そもそも、「少しだけ食べてみようか。お口開けて、あ〜ん。モグモグモグ」でお口開けて食べる子なんているのか?

と、思ったら、いるじゃないか笑

というか、大半の子が、食べるわ。

みんな、いいのか?こんななんでも口に入れていいのか?もっと警戒しなくていいのか?と逆に心配してしまう私は少数派なのだろう。


でもね、やっぱりいます。

うちの子ほどではないけれど、初めての食材にはとっても苦い顔をする子が。

そんなとき、私は困ってしまう。

そりゃもちろん、美味しく食べられるものが増えるということは人生の喜びが増えるということだけれども。

でも、そんなのも時間が経てば勝手に解決するようなことな気がするし。

結局それは個人の感じ方の程度問題のような気がする(偏食でも元気に健康に生きている人もいれば、偏食で虫歯だらけで栄養不足の人もいる。結局偏食そのものが問題なのではなくて、「どんな食べ物に偏っているか」に注目されるべきだ)。

で、閑話休題。

そもそもだ。

食育ってなに?

食べることは生きることってなに? って話だ。

答えになるかわからないけれど、ひとつの経験談をここにご紹介したいと思う。

青森県に「森のイスキア」という癒しの施設があった。

主催されていたのは佐藤初女さんというおばあちゃんで、そこに行ったら美味しいおにぎりが食べられる、というだけの場所。

しかし全国から人が絶え間なく訪れていた。そしておにぎりを頬張るとみんな号泣してしまうというのだ。

実は私も高校生の頃に訪れたことがある。

両親が良かれと思って連れて行ってくれたのだが、なんと、私はどなたが初女さんかもわからぬまま、旅行気分で行って、帰ってきた。

そのことを後で両親に話したら激しく呆れられたのだが、若い私には初女さんの偉大さがわからなかった。

しかし、数年後、異国の地にて、森のイスキアを訪れる人たちの気持ちを追体験することとなる。

日本を離れ、中米はグァテマラというところにてボランティア活動をしていた私。

2年という長期滞在の予定で、しっかりと現地の人の輪に入り、お役に立つぞと張り切っていた。

現地の方々も親切で、特に何があった訳ではないのだが、常に「自分はよそ者」感が抜けていなかった。

当時、毎夕食をご馳走になっていた食堂があったのだが、そこの家族は、おばあちゃんを筆頭に自然体で私を受け入れてくれて夕食が癒しの時間となっていた。

ある日、夕飯時にそこで焼き立てのトルティーヤをご馳走になる。

グァテマラのトルティーヤはトウモロコシの粉を練って手で綺麗に円になるように広げて、それを鉄板で焼く。しかもガスではなくわざわざ薪をくべて火を起こす。トウモロコシの粉も、早朝にその日の分のトウモロコシを製粉所へ持っていき製粉する。手の平大に生地を広げて、素手で鉄板の上で裏返し、ひとりのムチャチャ(雇われているオネエちゃん)何十枚も焼き続ける。

作り方はシンプルだが、美味しく食べようと思ったら、とっても手間ひまをかけなければいけないのだ。

そんな焼き立てのトルティーヤを食べた時、私は涙が止まらなくなった。

きっと森のイスキアに行く人もこんな気持ちだったのではないかと思う。

自分の居場所はないのではないか、よそ者ではないかという気持ちを常に抱えている人間が、温かい食事に出会った時のありがたさ。伝わってくる温もり。「自分は愛されている。大事にしてもらっている」そう感じることはイコール生きる力に繋がる。栄養成分だけが人を生かしているのではないのよ。



そして、現代に戻るが、保育園の給食だ。

一応わたしも嫌がる子には少しずつでもいいから食べてみようと声を掛ける。

食わず嫌いはもったいないから、試しに食べてみたら?という思いはある。

でも、伝えたいのは「ほんまもんの生きる力」だ。

あなたが将来大きくなって、少し世の中のことを知って、食べ物が作られて食卓に届くまでのプロセスをなんとなく知った時、「この子、豊かであれ、元気であれ、幸せであれ」とおばちゃんが思って食事を共にしていたことを、うっすら思い出して欲しい。

なんなら思い出さなくてもいい、無意識下でもいい。

なんとなく、自分が大事にされていた感覚を、食事を通して感じて欲しい。

そう思って食事介助という名のご相伴をしている(テクニックを身に付けることも愛情の表れだとは思うけれど、本質的な気持ちは忘れないでいたい)。


さて。

「食育とは何か」の答えになっただろうか。

少なくとも私は「食育=食生活の教育」ではなく「食育=食事を通して自分が大切にされているという気持ちを育む(はぐくむ)」だと思っている。

その子の自己肯定感を下げるような食育をしちゃダメだよ〜。