私はどうしたいの

気がついたら、下書きを投稿せずに早5月…。

初投稿にしては重いテーマになってしまいました…

文章がまとまらないことがコンプレックスで、少しでも伝わる文章のためのnoteを綴ることにしました。
初回ゆえ、どうぞ御手柔らかに読んでいただけると嬉しいです🙇‍♀️🌼


人生においての大事な分岐に直面した


途端に私はどうしたいのか分からなくなった。

いつも、あれだけ偉そうに話せるのに。
それを、行動やレポートとしても表に出せるのに、
それを進路にまで結び付けられない私は、結局態度だけでかい、“お局さん”なんだろう。


私は「曖昧」が嫌い。


でも、曖昧に溶け合った世界を求めている。
きっと、「曖昧」というより「うやむや」が苦手だ。
無責任に聞こえるから、自分への責任を取らない人がいるから。
結局、尻拭いは私だから。
…じゃあ、私の尻拭いは誰がしてくれるの…

私は完璧とは反対側にいる人間。
実力不足、努力不足、愛嬌不足…
だから、誰にも認められないのがオチ。
他の人のそれを片付けれるけれど、自分のはできない。
無能、孤独、悲しい言葉だけが積み重なって、愚痴だけが膨らむ。
何もしないで、電子機器と向き合い時間を溶かす。

「うやむや」が嫌いなのは自分も「うやむや」でいたいからだ。
「うやむや」に上手く生きられる人が羨ましいからだ。
そういう人を見ると、自分の才能、人望のなさが際立つから、可愛くない自分が浮き彫りになるから嫌なんだ。
それが辛くて、言葉だけでも虚勢を張って、“正しい”を貫いて嘘をつくから、どんどん辛くなって、どんどん現状維持の沼に落ちる。

「私はどうしたいの…」


自分の努力しか自分を守れない
羨ましいを無くすには、信念を貫くしかない

そんな当たり前の言葉の難しさに涙する

何がしたいの、私

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