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ぼくはプレイヤーとして力不足を知った。

東京で1年間社会人として突っ走ってきて感じたことのひとつ。

プレイヤーとしての経験値の圧倒的な力不足

今まで学生時代に大学に通いながら、中途社員でテレビ局で日中働いていたり、コワーキングスペースで運営メンバーとして活動したり、東京のベンチャー企業のリモートインターン・学生団体の支部代表など様々な経験をしてきたが、この1年間プレイヤーとしての力不足を毎日痛感した。

※過去の自分の経験に関しては下記のnoteにまとめております。
お時間あれば読んでいただけると幸いです。

今まで会社や組織の中に入って活動してきた中で、思っていたこととして

ぼくは卒なく色々なことを広く浅くだけどできるタイプ

例えば、テレビ局時代やコワーキングスペースでの運営をしていた時も
「これやってみて」と言われたことに対して、手や足が止まることなく、こなすことができ、なおかつわからないことや初めて体験することに対して自分で調べたり、よりやりやすい効率を模索したりして働いていた。

また、過去に大きな失敗体験と呼べるものも少なく、湯当たり上手な生き方で生活してきた。

それらの過去もあったためか、ある程度は自分はできるという変なプライドとなんだかんだ最後に帳尻を合わせることができると自負していた。

でも、今思うと自分は昼間に社会人と同じ量の仕事をしていて、社会ってこれくらいのものかと舐めていた部分が正直あった。
これぐらいのパフォーマンスでもお給料ももらえる、社内でもある程度評価されることに満たされている自分がいて、「社会人」という存在を少し履き違えていた部分があった。

これらの学生時代の肩書きと社会人歴が長いという変なプライドを背負った状態で、今年4月から東京の広告代理店に入社してふたを開けてみると、
自分の知らないこと、これぐらいは自分はできるでしょと思っていたことが尽くできていない、他の同期より遅いと痛感させられ、

あぁ、ぼくは社会人という存在を完全に舐めていた。
ぼくのできると思っていたレベルは学生レベルだったんだ。
所詮、ぼくと一緒にしていた社員さんたちもクオリティーの部分に関しては多めに見ていた部分が大きかった。

今まで自分のものさしだけでできる、できないを判断してきてなおかつ広島での学生時代は自分と全く同じ環境下には同世代のメンバーがいなかったことで比較対象や自分が全体で見たときにどれくらいの市場価値なのかを図る指標がなかったことでふんぞりかえっていた突きつけられた。

プレイヤーとしての経験値を積んできたつもりではあったが、学生団体などに所属してからはマネージメントをすることが増えたりと比較的に個人としてのスキルセットやできることが段階を踏まず、ジャンプアップして行っていたことで本来の基礎的なことをやってこなかったツケが回ってきた。

当たり前のことが当たり前にできて本当の1人前

よく新入社員や社会人1年目が上司や先輩社員から言われることの意味をこのときはじめて自分の心に響いた気がした。

今までの活動や取り組みを全てまっさらにすることは違うが、
あくまで社会としての市場価値はまだまだ微々たるものだと実感させられ、
足を動かさない、誰かをマネジメントするには早すぎるぞと社会から投げかけられた。

結局ここから何を学んだかというと

①もっとプレイヤーとしての活動量を増やす
②失敗を恐れずにどんどん手をあげて場数を踏む
③これだけは自分誰にも負けないという自信を持てるものを作る

自分はまだプレイヤーとしての市場価値は微量でしかない。
変なプライドや過去の栄光にすがることなく、できる縦幅と横幅を広げていき、社会に還元できることをひとつひとつ増やしていきます。
ただ、着実にこの1年でプレイヤーのスキルやマインドは瀬超してきているのは実感しているのでそこは自分でも褒めたいですね(笑)

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