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「東京行進曲」と西條八十のこと、

「東京行進曲」
同名の映画(原作:菊池寛/監督:溝口健二)の主題歌だそうだが、今では「東京行進曲」といえば歌の方を指すことがほとんどだろう。
映画の方はフィルムが一部しか残っていないとのこと。
歌手は佐藤千夜子
発売は1929年(昭和4年)5月1日

日本で最初の映画主題歌ということで前から興味は持っていて、この曲を収めたCDも持っていた。
作曲は中山晋平、作詞が西條八十。
曲の方はいかにも昔の歌謡曲、という感じでそれほど面白いとは思わなかったが、歌詞の方は良かった。

有名な

シネマ見ましょか、お茶飲みましょか、いっそ小田急で逃げましょか

というフレーズ以外にも印象的なフレーズが多い。

ラッシュアワーに拾った薔薇を せめてあの娘の思い出に

なんてところも良いなあ。

昭和初期の都市生活者の姿が浮かび上がってくるような名曲だと思う。

この間、竹久夢二美術館の「明治・大正・昭和 レコードの時代と夢二の時代」展で「東京行進曲」(のあれは楽譜表紙絵だったかな)を見て、あらためて興味を惹かれてちょっと調べてみた。
調べてみた、と言ってもWikipediaでちょっと見た程度だけれども・・・。
(Wikipediaにはけっこういい加減なことが載っているので、本当に真面目な調べものをするのならあまり参考にしない方が良いのだが、まあ個人の楽しみの範囲ならかまわないだろう、もちろんちゃんとした情報も多く載っているわけだし)

シネマ見ましょか お茶飲みましょか いっそ小田急で逃げましょか

というフレーズについて、

小田急の重役が「うちは駆け落ち電車じゃないぞ」と怒鳴り込んできた話とか、その後「良い宣伝になったから」という理由で西條八十に小田急電鉄から終身乗車券が支給された、なんて話も面白いが、一番興味深かったのは、
このフレーズが、原案では

長い髪してマルクスボーイ 今日も抱える「赤い恋」

だったのだが、当局を刺激しないように、というレコード会社の意向で差し替えられた、という話。

ちなみに「赤い恋」はロシアの女性革命家:共産主義者であるアレクサンドラ・コロンタイの小説とのこと。

面白いな、と思うのは
「長い髪してマルクスボーイ~」
が駄目、ということになって、差し替えられたのが
「シネマ見ましょか~」
だということ。
差し替える、ということは(まったく違うテイストの歌詞を差し替えるわけはないので)同じようなニュアンスの歌詞、ということだろう。

西條八十の中では、左翼思想に入れ込む若者たちも、シネマやカフェに夢中になる若者たちも、「東京でふわふわと暮らしている現代人の姿」として同じようなものに見えていた、ということなのかもしれない。

× × × × × ×

西條八十について・・・名前だけは良く知っているけれどもあまりちゃんと知らなかった西條八十についてもちょっと調べた。

日本の詩人、作詞家、仏文学者。
1892年―1970年

有名な童謡「かなりあ」は1918年の作
鈴木三重吉から依頼されて書いた詩だという。

唄を忘れた金糸雀(かなりあ)は 後ろの山に捨てましょか
いえいえそれはなりませぬ

1920年代後半から作詞家としても多くの作品を残す。

ヤクルトスワローズの応援歌としても知られる「東京音頭」(1933年)も、「東京行進曲」と同じく、作詞:西條八十、作曲:中山晋平コンビの作品だ、というのは初めて知った。

ハア 花は上野よ チョイト 柳は銀座 ヨイヨイ 月は隅田の 月は隅田の屋形船 サテ

戦時中は日本文学報国会支部会幹事長として戦争協力を行った、とのこと。

軍歌も多数書いている
一番有名なのは「同期の桜」か、

貴様と俺とは同期の桜 同じ兵学校の庭に咲く

軍歌ではないが「みんな揃って翼賛だ」なんて曲も書いている(1941年)。

進軍ラッパで一億が 揃って戦(いくさ)へ出た気持ち
戦死した気で大政翼賛 皆捧げろ国の為国の為 ホイ

ホイ、じゃねえよ、という気持ちになるが・・・

戦後になると代表作はなんといっても「青い山脈」(1949年)だろう

若く明るい歌声に 雪崩は消える花も咲く

今聞くとちょっと常軌を逸したような明るい前向きさが素晴らしい。
戦後民主主義!

みんな揃って翼賛だ、とか書いておいて8年後には戦後民主主義を歌い上げる、というのはあまりにも節操がないような気もするが、時代の雰囲気を捉える才能、という意味ではさすが、なのかもしれない。

他にも
「誰か故郷を想わざる」(1940)
「蘇州夜曲」(1940)
「ゲイシャ・ワルツ」(1952)
「王将」(1961)
など、へえ、これも西條八十なのかという有名曲が並ぶ。
あらためて日本を代表する大作詞家なんだなあ、と。

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