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暗中日記・津和野さんの夢

4月28日(水)
高塚君が入ってからもう2ヶ月。
まあまあがんばってると思うが、なにかいらいらさせられる。
虫が好かない、というのだろうか?
まだ入って間もないからミスは仕方がないし、仕事中の態度も別にひどく悪いわけでもない。
でもやることなすこといちいち気にさわる。
こんな風に感じるのは良くない、と思う。
理由もなく嫌われる、という経験は自分にもある。
何も思い当たることがないのに、やけにぼくにだけきつく当たった人を、パッと3人くらい思い出せる。
ずいぶん嫌な思いもしたが、その時の相手は今の自分みたいな気持ちだったのかも知れないと思う。
しかしそんな態度をされて本当に嫌な思いをしたのは確かだから、高塚君に対してはそういう態度を取らないようにがまんしている。
がまんはしているけれども、時々出てしまう。

今日もちょっと急ぎの書類を書いている時に高塚君からどうでもいいようなことを質問されて、イラっとしながら雑に答えてしまった。
高塚君の表情が微妙に変わった。
あ、良くなかったな、と思い、あらためて丁寧に説明したけれども、高塚君の表情がさっと硬くなった瞬間に、ぼくが高塚君のことを理由もなく嫌っている、ということを、高塚君も感じていることがわかった。

あまり気分が良くない。
しかしその後も、やはり高塚君のやることや言うことが気にさわるのは変わらない。

連休に入るので、それまでにやらなければならないことが多すぎて本当は残業しなければいけないのだが、今日は高松クリニックに行かなければならないので定時で帰る。
ここのところ何回かは、コロナのこともあって電話再診というやつで、クリニックでは処方箋を受け取るだけだったのだが、今日はソラナックスを1日2錠から3錠にしてもらいたい、と言うために久しぶりに電話ではなく直接診察を受ける。
毎晩夜中の2時ごろに起きてしまいそれから寝られない、朝晩1錠ずつ飲んでいるソラナックスを1日3錠にしてもらえるとありがたいのだが、と訴えると、割と簡単に増やしてくれた。
少し安心した。
薬局で薬をもらう時、毎回注意事項で、ソラナックスを飲む時はアルコールは飲まないで下さいね、と言われて、「あ、はい」と答えるが、酒は毎日飲んでいるのでいつも少し罪悪感がある。

5月5日(水)
今日は休み。
ゴールデンウイーク中、一度も会社に出ないのは今日だけ。
映画館も美術館もやっていないので、Youtubeをだらだらと見て1日をつぶす。
休職中の人の動画とかをたくさん見た。

新光印刷の津和野さんの夢を見る。
この間、高塚君への接し方のことを考えたので、そのせいだろう。
津和野さんは、ぼくに理由もなくきつく当たってきた人の一人だ。
新光印刷は、もう30年ちかく前の、ほんの4ヶ月くらいしか在籍しなかった会社で、その会社のことも津和野さんのこともほとんど忘れていたのに、夢の中では新光印刷の小さなオフィスがびっくりするくらい鮮明に夢に出てきた。
社長の下に津和野さんがいて、経理兼雑用みたいな女性が一人いて、そこに津和野さんの下に着くポジションでぼくが入ったので、そういえば今の会社とメンバー構成がほとんど同じだ。津和野さんがぼくで、ぼくが高塚君の立場で。

津和野さんは当時20代だったぼくよりも10歳くらい上だったと思う。
全く未経験の職種だったので津和野さんが色々教えてくれたのだが、あまり丁寧でない教え方で、それで憶えないときつい事を言われたので、ずいぶん嫌な思いをした。
社員ではないが時々手伝いに来てくれる安田さんと言う人がいて、その人は津和野さんと仲が良かったのだが、その安田さんが津和野さんに「津和野君さ、内田君にちょっときつく当たりすぎじゃない?」
と言っているのを立ち聞きしてしまったことがあった。
それで自分が津和野さんに嫌われているのは、自分の気のせいではないんだな、と思ったのを憶えている。

「あのさあ、」
もうあきれ果てた、という口調で津和野さんが言う。
新光印刷のオフィスには自分と津和野さんしかいない。
「何回おんなじことを言わなきゃいけないのかなあ。もう、勘弁してほしいんだよね」
自分はなにか大きな失敗をしたらしい。
とても何か言い返したりできない状況のようだ。
津和野さんはうんざりした顔で半笑いを笑う。
「なんで先方に出す前にもう一度見直さないの?なんでこのまま出していいと思ったの?俺そういう風に教えたかなあ?」
これは質問ではない。単にうっかりミスなのは津和野さんにもわかっている。どう答えたにしても相手の持っていきたい方向が同じなんだから、どうしようもない。
「あのさあ、内田君に聞いているんだよ、聞・い・て・い・る・の。わかる?答えてくれない?」
それでも一応答えないと進まないらしい。
とにかく早く終わってほしい。
「すみませんでした」と答える。
「いや(半笑い)、それ答えになってないよね。なんでか、って聞いてるんだけど」
だんだん声が大きくなってくる。
「いい加減にしてくれないかな、これって会社の責任問題なんだよ」
津和野さんの中でイライラがエスカレートしてくるのがわかる。
いつものパターンだ。
これから最低でも30分はこれにがまんしなくてはならない。
「なに?何か言いたいことがあったら言ってみなよ。」わざといったん口調を抑えて津和野さんが言う。「いいよ、言ってみなって、なあ、ちゃんと意見を言い合わないと進歩がないだろ」
本当にこっちが何か言ったら、さらに頭に血が登って、延々と説教が続いて結局30分が90分くらいに伸びるだけなので、黙って下を向いていた。

目が覚めてから思ったのだけれど、あの場所は確かに新光印刷のオフィスだったし、相手は確かに津和野さんだったけど、あのものの言い方、話の持って行き方は、津和野さんではなくて、今の会社の社長の山村のものだった。
津和野さんはつっけんどんな、切って捨てるようなものの言い方をする人で、それはそれできつかったけれど、こんなふうにネチネチ追い詰めるような物言いをする人でも、長々と説教をする人でもなかった。

夢だから、津和野さんと山村がごっちゃになってしまったのだろう。

夢はもう少し続いて、
「内田君の仕事のやり方には心がないんだよ」
そういって津和野さんが机の上に1羽のハトをどさっと放り投げるように置く。
ハトは尾が無いように見える。
何かに食いちぎられたように、尾の部分がすっぽり無くなっていて、尾の付け根だったあたりに赤黒いものがこびりついているのが見えた。
ああ、まだ死んでいないんだ、と思った。
よろよろと動いている。
尾が無いのでバランスが取れないのだろう、
歩くというよりずるずると這っている。
「自分が何やったかわかってる?」
津和野さんに山村の声でそう聞かれたところで目が覚めた。

5月7日(金)
やっぱり今日も午前2時ごろに目が覚めたが、ソラナックスを飲んだら3時ごろにはまた眠れたと思う。
ただ5時半ごろに起きたとき、汗びっしょりで、肩にひどく力が入っていた。
首が凝り固まって頭痛がする。

出勤途中、早稲田通りに出る手前の、住宅街の中を歩いている時、道をずるずると這っているハトを見かけた。
何かに食いちぎられたように、尾の部分がすっぽり無くなっていて、尾の付け根だったあたりに赤黒いものがこびりついているのが見えた。
それでもよろよろと動いている。
尾が無いのでバランスが取れないのだろう。歩くというよりは体を地面につけてずるずると這っている。
ギョッとしたし可哀そうだと思ったが、できることは何もないと思った。
この近所に獣医があるかどうかも知らなかったし、あったとしてもどうすればいいというのか?このハトを抱え上げてそこまで持っていくのか?
結局一度も立ち止まることなく通り過ぎた。

今日も2時間残業
帰りは新宿まで歩く。

サブナードの中の飲食店で夕飯を食べて帰ろうと思って新宿まで歩いたのに、そういえばサブナードは緊急事態宣言で全店休業中だったことを行ってから思い出した。
仕方がないので西武新宿線で新井薬師前まで帰り、駅の近くのセブンイレブンでハンバーグ弁当みたいなのを買って帰宅。

仕事をしている時も、何度かあのハトを思い出したが、2日前に観た夢のことはすっかり忘れていて、部屋に帰って夕食も済ませて、ソラナックスを飲んで紙パックのワインを飲んでいる時にやっと思い出した。
夢の中で津和野さんが机の上に放り出したのは間違いなくあのハトだった。


夢の方が先だったのは不思議だが、夢だからそこらへんもごっちゃになってしまったのだろうと思った。


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