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雑記・最近気になった言葉、について、

〇一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)
一粒万倍日は、日本の暦に古くからある吉日の一つ、なのだそうだが、私がこの言葉を知ったのがつい最近なので、どうしてもそんな気がしない。
というか、まだ信じていない。
どうも、もっと近年になって作られた言葉のような気がしてならない。
私は読んだことが無いのだが、「ドラゴンボール」というマンガがあって、その中に仙豆(せんず)という豆が出てくるらしいのだが、おそらくそれに関連した何かなんじゃないかとニラんでいる。

〇井の中の蛙大海を知らず
「井の中の蛙大海を知らず」の後に続く言葉がある、というのも最近になって知った。
「されど空の青さを知る」
あるいは
「されど空の深さを知る」
というのがその言葉だそうだが、正確には「続く言葉がある」わけではなく、後から勝手に付け加えられた言葉が流布している、という方が正しいようだ。

もとの「井の中の蛙大海を知らず」は「荘子」の言葉ということだが、「されど~」以降は日本で、しかもかなり後年、昭和になってから言われ出した言葉だとか。
それを知ると、この続きの部分はどうしても負け惜しみにしか聞こえない。
「大海を知らず」と指摘された「井の中の蛙」が「ちくしょう、ちくしょう」と思いながら絞り出したセリフのような感じがする。
「井の中の蛙大海を知らず」
が客観的な事実の指摘なのに対して、
「されど空の青さを知る」
がベタベタに情緒的なのもなんだか哀れだ。

※その後もうちょっと調べて見ると、「されど空の青さを知る」という言葉を誰が言い出したのかは明確にはわからないが、「井の中の蛙大海を知らず」という言葉を引いて語った言葉がいくつかあったのは確かで、その中の一つに北条民雄の「とはいへ井の中に住むが故に、深夜沖天にかかる星座の美しさを見た」という言葉があるらしい。
北条民雄が言うのであれば、さすがに「負け惜しみ」とか「哀れ」とかいう気にはならないが、それはハンセン病で隔離されて23歳で死んだ北条民雄の言葉だからであって、別に隔離もされていない人間が気取ってこの言葉を使うのは、やっぱり哀れで滑稽な気がする。

〇きもの警察と「役不足」
着物(和服)を着ている人に対してサササッと近づいてきて、着付けのルール・しきたりに外れている部分、あるいは外れていると自分が思っている部分を指摘してくる人がいるとか。
そしてそういう人を「きもの警察」と呼ぶそうだが、言葉に対しても同じようなことはある。
「役不足」という言葉は間違った使い方をされることが多いことで知られているが、SNSとかで間違った使い方をしている人がいるとサササッとやって来て間違いを指摘する人たちをよく見かける。

着物は日本の伝統衣装なので、しきたりを守ることは大切だろうし、言葉も正しい使い方をした方が良いのは当然である。
言葉の間違いを指摘されて「言葉は時代によって変わるものだから」とか言い訳するのはかっこ悪いと思う。
しかし、この「きもの警察」や「役不足警察」が、どうにも「感じ悪い」のは何故だろうか。
きもの警察の方はよくわからないが、「役不足警察」は指摘の仕方がサッパリしていなくて、冷笑的でネチネチした、なにか陰湿な印象があるのだけれども・・・。

〇肉肉しい
テレビの食レポとかで、いかにも「肉を食べてるなあ」と実感できるような料理に対して「肉肉しい」という形容を聞くようになったのは何時頃からだろうか。
一番最初にこの言葉を聞いた時は「ふふっ、面白いこと言うな」と思った記憶がある。
もともと「にくにくしい」には「憎々しい」=いかにも憎らしい感じ、という意味しかなく、しかしそこに「肉」を掛けたところが・・・とか説明するのも馬鹿らしいくらいの話だが、
最近はもう「憎々しい」という言葉に掛けたとかもすっ飛ばして、普通の形容として使っているように感じることがあって、さすがにそれはオカシイんじゃないか、と思うのだが、そうは言っても「肉肉しい警察」にはなりたくないので心の中でひっそりとそう思っている。

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