うつ病の母と、見守る娘。1

これから書くことは今から3・4年前の話で、記憶が曖昧だということ、そして「うつ病患者」を見守る側の話であるということをご理解いただきたい。

なぜ「うつ病患者」を見守る側の記事を書こうと思ったかというと、自分が困っていたから。うつ病の当事者の経験談はたくさんあるのに、それを見守る側の話はなかなかない(今はあるかも)。掲示板などで同じ処遇の人の書き込みを見るだけで安心できたことを思い出して、私の経験が誰かの役に経てばいいなと思い、ここに残すことにした。

うつ病患者とは、私の母親である。
スペックはというと、年齢は40〜50代、OL。弟がひとりいる。プライド高め。バツイチで私が小学生の時に再婚した。
一方私は20代のOLで仕事はブラックではないが繁忙期と閑散期の差が激しい業界にいる。実家暮らし。兄と年の離れた妹がいる。

いつから母がおかしくなったのかは覚えていない。
おそらく引き金は祖母の死だったと思う。母の父(祖父)はうつ病で私が小学生になる前に亡くなった。自殺だった。うつ病だったことも自殺だったことも私は成人してから知った。
母の中で祖母がどれほどの存在だったかはわからない。でも祖母が入院先の病院で亡くなったと知らせがきたときに、母は私たち(子供)を病室に同席させなかったくらいだから、よほど悲しかったのだと思う。でもお葬式のときは泣いてなかったな。私は誰よりも引くほど泣いていたけど。

それから、母が熱を出すたびにおかしな行動や言動をするようになった。これが関係があるのかはわからないけど今はしないからおそらく初期症状だったのだろう。
完全にうつへ入ってしまったのは、兄の借金問題である。
兄というのは私の兄、すなわち母の息子。
母にとって「借金」はタブーなのだ。というのも離婚した原因が相手の借金だったからである。私は幼すぎて覚えていないが、取り立てもきていたようだ。今でも覚えているのは、お見舞いにいくと言って母からもらったお金をなにか悪いことに使っていて、それがバレて大げんかしていたこと。まぁこの変の話はあんまり関係ないので省略。
祖母が亡くなったことで心が不安定だったところに、借金ということが加わり、完全にノックアウト状態になってしまった。

あんまり覚えていないが、それからの母は眠れなくなっていた。普段から夜更かしをする私と同じように起きていたし、それでもいつも通り朝は4時に起きて父のお弁当を作っていた。多分寝ていなかったのだと思う。当時の私はなんにも気づいていなかったけど。

ある日の朝、いつも通り通勤電車に乗っていると母からLINEがきた。
「死にたい」と。直接そうは言っていなかったがそういう内容だった。
私は「なんでそんなことを私に言うの?私や妹が残されてどうなってもいいの?」と返した。そんなことが毎日のようにあった。
たしかその頃から病院には行っていたが、合う病院が見つからず、症状は悪くなるばかりだった。

続く。


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