うつ病の母と、見守る娘。3

私がうつ病の母と接する上で心がけていたことを箇条書きで書いておこうと思う。正しいのかはわからないけど、裏目に出たりはしていなかったと思う。

・母が言っていることは全て本当のことだということにした。
本当に突拍子もないことを言ってくる、というより病気がそうさせてくる。例えば盗聴されているとか。そういう類のことである。それを全部本当に起きているとして母と接した。
母が父は浮気をしているといえば、そうかじゃあ弁護士をつけようとか、離婚届をもらってこようとか、離婚ではなく別居するとして私と妹と母の3人で住むとしたらどれくらいのお金が必要でどのあたりに住むのが良いのか、など。私は全て受け止めた上で具体的な対策を考えて母に話した。母が望めば本当にそうしようとも思っていた。だって病気が言わせているとはいえ、母は「本当に」そう思っているのだから。それを否定したところでどうしようもない。だったらそう思ってる母のために何ができるか考えて行動した方が母のためになる。

・薬を全て1回分毎にまとめた。
まぁこれは薬剤師さんに言えばやってくれると知っていたけど、同行できない(来なくていいと言われる)のでセルフで。
調子が悪い日にODをしようとしたり、薬を飲み忘れそうになったりするのでそれを防止するために薬をもらってきたその日に母がお風呂に入ったタイミングでやった。毎回「そんなことやんなくても平気だよ〜」とかいうが、それは調子が良い日のセリフに過ぎない。調子が悪い日は別人になってしまうし、それを覚えていない。この病気は本当に怖いと思った。

・ひとりの時間を作らないようにした。
私も父も仕事をしていて妹は学生で、母の帰宅が一番早いのだができる限り急いで帰るようにした。会社にも理由を話して協力してもらった。それでも通勤時間はひとりになってしまうので、しょうもない内容のLINEをずっと送り続けた。例えば、今このドラマ見ててさ〜とか。本当にしょうもない。もはや生存確認に近い。でもいつ自殺をしてもおかしくない状況だったのでやれることは全てやろうと思った。毎日帰ってドアを開けるのが怖かったなこの頃は。たまに既読がつかないときがあって、あちこち探し回った。
本当は入院をしてもらうのが一番良いし、先生も進めていたが、母は仕事が好きで仕事を生きがいにしている人間だったのでむしろ仕事をさせている方が良いと思い入院はさせなかった。
(うつ病の方のブログを読み回っていたら、仕事場から入院先の病院に帰るという形で入院をしている人のブログを読んで、これなら!と思い主治医の先生に聞いてもらったがそれはできないと言われてしまった…あれはなんだったんだ…)

・必要以上に病気のことを口にしない。
私がうつ病のことを調べていることですら内緒にしていた。本人よりも薬のことに詳しくなっていて、たまに「あんたよく覚えてるねそんなこと」とか言われてドキッとした。とにかく病気のことから気をそらすことが私の仕事だと思った。母は弱音を子供に吐くようなことはまずしない、プライドの高い人なので子供に心配されたりすることを嫌がる。私がうつ病の勉強をしているなんて知ったら、余計に落ち込ませてしまう。だから私はとにかく何も知らないていで接し続けた。

こんなもんだろうか。
ちなみに今は通院回数も月1まで減り、症状も安定している。といっても寛解したわけではないので気は抜けないが。でも毎日自殺をするかもしれないということを考えていた頃に比べたらよっぽど楽になった。

きっと父は父で別の悩みがあったと思う。母から直接弱音を吐かれていたのは父なはずだから。でも私は私で役割を全うするだけというか、全員が全員病気の心配を四六時中していたら鬱陶しいというか、プレッシャーになるだろうと思う。
私自身、社会人になりたての頃にお局様に嫌がらせを受け、涙が出続けるという症状に見舞われたことがある。今思うとこれはうつ病に片足を突っ込んでいたのだと思うが。この頃どうやって過ごしていたのかはほとんど記憶がなく、とにかくなにも思ってないのに涙が止まらなくて、寝た記憶がない。ほとんど寝ていなかったと思う。電車でも会社でも関係なく泣き続けていたことしか覚えていない。その頃一人暮らしをしていたが、とにかく助けて欲しくて長期休みのときに実家に帰った。ある程度自分の症状について母に話してはいたので、家に帰るなり泣いている娘を見ても母は必要以上に何がったのかは聞いてこなかった。ただ、私が好きなものを作ってくれていた。私がそれに救われたからこそ、「何も聞かない、突っ込み過ぎない人」というのも必要なのだと思った。

長々と書いてきたがこの辺で終わろうと思う。
この記事が誰かのためになることを願って。

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