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歌詞ってそんな重要?

「この曲歌詞がいいんだよ~」というときの、発言者の意図は次のどれか。

ア.とにかく歌詞がいいんだよお
イ.メロディもいいけどそれよりも歌詞がいいんだよお
ウ.歌詞ちゃんと読みこんでるオレ・アタシ通やん?
エ.共感してほしい~


巷で頻出の発言である。

思春期真っ盛りの教室から、金を払ってでも聞かせたい歌自慢会のイントロ中、事後の床の上、愛聴するラジオ番組に独り言を吐く長距離運転手の車内まで、時と場合を選ばずに滑り込める汎用性。

神出鬼没のカメレオンの正体は何なのか。それを探るため我々はジャングルの奥地へと向かった…。

<歌詞の重要性>

ポップスにおける歌詞は今更私などが目くじらと青筋を立て、唾をまき散らしながら力説しようと、白い目で見られるだけであるし、そもそもそんな気合も気概も毛頭ない。

音楽が、いや「歌」が人類に浸透する遥か以前から動物界にも広義の音楽と見なせる空気の振動をお届けする数多の種が跋扈する中で、殊更に歌詞に注目するのは言葉という「最上位の」コミュニケーションツールを得た人類の矜持故か。

伝えたいことがあるから、歌詞に作品に詰めて思いの丈をぶちまけるのだ、という。自身の内臓感覚として存在するドロドロのヘドロのような思いや、トロットロのエロスそのものを、その鮮度が失われないように苦心する、のは「真の」アーティストだけで、使い古された言葉の羅列に終始する輩や、美辞麗句を並べ立て退廃的でお耽美な虚構の世界に溺れる衆、お気持ちツイートや長文LINEよりも風情のない業務連絡かと見まごう簡潔な言葉遣いに邁進するフレンズまで枚挙に暇がない。

<残酷な天使のアンチテーゼ>

だが、果たして歌詞というのは音楽全体に於いてどれほどのプライオリティを約束されるのだろう。これは歌詞に対するアンチテーゼではないし、歌詞を重要視される皆様への挑戦状でもない。もしこう明言してもなお、「こやつは歌詞排斥運動家の急先鋒である!」という穿った見方を捨てきれない諸兄に於かれましては、金一封でもお送りしますので(嘘)黙っておれ。

全く以て各地に洪水警報が溢れているこんな深夜になんだって斯様な駄文を認めているのか。わしゃ自分というモノがわからん。

さて

冷静に狂気を取り戻すとしよう。

<意味性の消失>

私は音楽を熱心に聴いていても歌詞の意味をバイパスしていることがよくある。楽器演奏者が陥りがちな傾向なのか、インストゥルメンタルミュージックを偏愛する傾向からなのか。

ギターを弾き始めるまでは、我とて歌詞に注目してたのは確かで、逆に言えばそれはメロディはともかくとして、サウンドやアレンジに関する感受性を未だ持ち合わせていなかったことが原因と言えるかもしれない。

さりとて楽器やアレンジに対する聴覚上の解像度が上がり、また数々の批評に触れて言語によって解凍する手法を我がものとしたとて、それが歌詞をないがしろにする傾向につながるのだろうか。

<急転直下のアイロニー>



ここでたった今思いついた自虐的とも言える仮説を立ててみる。

・俺氏単純に集中力がない。
・分析ばかりで総合がない。
・細部に注目しすぎて全体像が物語が見えない。
・目の前のことばかりで将来を見通す計画性がない。

どれも当てはまる気もする…。

ただ、音楽に対する解像度を上げて細部に至るまで分析する能力を向上させたとき、歌詞は言葉としての意味性を消失し、他の楽器同様サウンドのひとつになる。一方、音楽が時間的な芸術である以上、単一の音や短すぎる音などは音楽として捉えられない。なんだか量子力学の話みたいだな。

歌詞はその言語を理解する者にとってフロントエンドであって、音楽として最重要なファクターであることは間違いないのだが、それをバイパスしてもなお残る豊かさがある音楽が聴きたいと私なんかは思うわけです。

<ジュゴンのジャーゴン>

歌詞の意味が全くわからない音楽は楽しめないだろうか?あるいは歌詞がないインストゥルメンタルの楽曲は感情移入できないだろうか?さだまさしの北のほうから聞こえるあの曲には何も感じラララれないのか君は。ジャーゴンと化したノリ一発だけの「中身がない」歌詞の曲は価値がないのだろうか。

歌詞を噛みしめてそのストーリーに深く共感し、あるいは境遇に余りにもクリティカルフィットする歌詞に驚嘆しながら泣いたことは一度や二度ではない。

だがそれ以上に歌詞を置き去りにして音だけで感動した経験が皆さんにも無数にあるはずで、それを忘れちゃあいないかってことさね。


<結び>

さて、以上の駄文を踏まえた上で最もふさわしいと思われるものをア~エから選びなさい。


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