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Twitterと放送クラスタと人生

私が最初に開設したTwitterアカウントは、好きなバンドの公式アカウントとメンバーのアカウントをフォローして最新情報を得るためだけのものだった。
今でも基本的な運用方法は変わっていない。

ただ、フォロー数とフォロワー数は増えた。
多い時は相互フォロー300人ほどだったが、今では80人ほどに落ち着いている。
アカウントを変更したわけではない。
休眠アカウントを中心にブロックを行い整理を続けた結果、現在に至る。

アカウントを開設したばかりの頃の私はブログにハマっていて、Twitterの使い方にはいまいちぴんと来ていなかった。
フォロワーも、せいぜい友人数人と当時の恋人、よくコメントをくれていたブログの読者1人、と10人にも満たないほどだった。

フォロワーが一気に増えたのは、「放送クラスタ」という界隈とつながってからだった。

当時高校生だった私は放送部に所属していた。
プロフィール欄に「放送部」と記載していたのか、それとも部活のことを呟いたのかはもはやさだかではないが、ある日同じく放送部に所属しているという人にフォローされた。
その人が使っているタグに、「放送クラスタとつながりたい」というものがあった。
「放送クラスタ」というのは、主に高校で放送部に入部している人たちが自称している肩書きあるいはコミュニティだ。

今となってはつながりたいタグを使わないし、そもそもリアルの友人とつながっているアカウントを公開アカウントにすることもないけれど、その時軽い気持ちで「放送クラスタとつながりたい」とハッシュタグをつけて、簡単な自己紹介を載せた。
すると、すぐにたくさんの人からリツイートとふぁぼ(当時は星マークの「ふぁぼ」だった)の通知が届き、何人かはフォローと挨拶のリプライを飛ばしてくれた。自分の投稿に対してこんなに大勢の人から反応があったのは初めてで、私はせっせとフォローバックとリプライを返した。

放送クラスタを名乗る人たちは、いわゆる「ふぁぼ爆」(ある人の投稿全てにふぁぼを付け通知を大量に送るようなこと。以前は同一人物からの通知であっても、ツイート一つ一つに対して通知が来ていた)をしたり、「規制垢」(ふぁぼ爆やツイート読み込みを繰り返してAPI制限がかかった状態のときに使うためのサブアカウント。規制垢も複数持っている人が多かった)を持っていたりする「ツイ廃」が多かった。
Twitterクライアントも、公式クライアントではなくJanetterなどの非公式クライアントを使用していたり、自分でbotを運営していたり、かなりのTwitterヘビーユーザーだった。

そんな人たちが多いから、みんな普段の交流も活発だった。
私も何人かの放送クラスタと仲良くなり、毎日どうでもいいような話にリプライをし合ったり、おはようやおやすみ、お風呂行ってくる、などの挨拶ツイートにも見かけたら必ず返すようにしていた。

日常ツイートに限らず、放送部の活動や発声練習法、映像表現の情報発信・共有も活発だった。

春は新入生勧誘のために放送部のアピールポイントを羅列したツイートが飛び交ったし、しばらくするとNコン(放送部のNHKコンテスト)の課題図書やテーマの話、毎日の活動報告が上がってきた。
夏は学祭、秋は高文連の話題で持ちきりだった。

テレビでNコンの優秀作品の放送があると聞けば実況ツイートをしたし、普段のニュースを見ながらアナウンサーの話し方を研究していたし、ツイートする画像も構図を意識して撮った。

ところで、放送部には部活動のことを「仕事」という文化が全国的にある(らしい)。
規定の時間より遅くまで学校に残って映像編集や撮影に勤しんでいれば、「残業」だ。

時には取材のために街角でインタビューをしたり、会社やお店、その他団体にアポイントを取ることもある。
学祭ではクラスの出し物に交わらず、ビデオカメラを片手に校内を回ったり、放送室に引きこもって動画編集をしたりしている。
"高校生だけど、ちょっと大人っぽい活動をしている私たち"が好きなのだ。

「放送クラスタ」は、そんな背伸びした高校生たちの中でもより「意識高い系」の人たちの集まりだったのだと思う。
しかし実際に、意識が高い人たちもたくさんいた。
面白おかしく日々ツイ廃していながらも、botを運営したり、こえ部で活動していたり、とにかく行動力があって発信することに臆さない人たちだった。

大学に入学し、卒業し、数年が経ってしまった今では、前述した通りかつてのフォロワーの大半の消息が掴めないが、声優を目指して専門学校に入った人や、映像系の学部に進みそのままクリエイターとして活動している人、有名コスプレイヤーになった人、フォロワーを伸ばしてインフルエンサーになった人など、色々な形で発信者の道を進んだ人がいる。
(もちろん他の道を進んだ人だっているし、写真趣味が高じて鉄オタになった人もかなりいる)

高校の部活とはいえ、熱意をもって取り組んだことはずっとのちのちまで響いてくるのだと思う。

私はと言えば、「小学生の時に音読を褒められた」という体験だけを胸に、中学校も高校も放送部に所属していた。
高校放送部の活動を通して映像制作や脚本にも感心が芽生え、一時は映像表現が学べる大学への進学も考えたが、結局はスタート地点の「本」が好きだったことと、「物事を解釈する」という方向性を突き詰め、文学を学び、図書館に関わる仕事で生きている。

もちろん心は一生放送クラスタで、大学の講義でも、本や映画を鑑賞するときにも、放送部で培った表現の解釈法は私の中で生きていた。
映像制作も現在の趣味の一つだ(好きなゲームのPV風MADを作って個人的に楽しんでいる)。

直接的には放送に関わっていないかもしれないけれど、それでも放送部の活動と「放送クラスタ」を名乗っていた間に培われたマインドは、今の私を形作っていると思う。
それに、数が減ったとしても、もはや放送クラスタを名乗っていなかったとしても、残っているフォロワーはみんな今でも変わらず尊敬できる向上心と遊び心溢れたフォロワーたちだ。

約10年、私のTwitterライフは放送クラスタの面々と共にある。
今では滅多にログインしなくなったTwitterアカウントだが、たまに顔を出して呟いてみると、「いいね」がぽんとつくことがある。
そのとき、ふと「放送クラスタ」として連帯していたあの青春を思い出し、改めて今の生活を省みる気分になるのだ。

Twitterという舟が沈みゆくとかいう恐怖の大魔王的な言説が流れる昨今、ふとTwitterと放送クラスタと人生を振り返りたい気分になった。


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