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「差別」と「違和感」。

ほぼ毎朝、起きてすぐに着替えて散歩に向かう僕ですが、今日は少しだけ違う朝を過ごしました。

現在僕はシンガポール人男性の家に住まわせてもらっています。彼はデイビッドといい、もともと指揮者だったこともあり、朝起きてすぐにリビングにあるスピーカーで音楽を流し始めるので、僕はその音楽をアラームがわりに毎朝起きます。

そのデイビッドが今朝は珍しく、散歩に向かおうとする僕を引き止めて、今取り掛かっているリフォームの手伝いをして欲しいと言いました。それ自体は別に構いませんし、住まわしてもらっているのでむしろ、そんな手伝いなら喜んでします。そしてその後デイビッドは僕にこう言いました。

「男の子だから力あるでしょ?」

まあ、間違えではありません。僕はスポーツなどで体を動かすのは好きですし、一般的に見ても体の弱い方ではなく、力も特段弱いわけではありません。そして「男の子=体が強い」このイメージはとても一般的です。ただ、僕はこの時少しだけ違和感を感じました。その違和感を説明するために、力に関するステレオタイプについていくつかの例をあげます。

女の子=力が弱い、若者=力が強い、黒人=力が強い。

などが一般的に思えます。他にも色々あると思いますが、とりあえず3つに留めておきます。僕が感じた違和感を共有するのに1番わかりやすいのは3つ目かと思います。

「黒人=力が強い」

これは「Journal of Anatomy」という雑誌に載せられた記事を確認したところ、間違えているわけでは無さそうです。(無知なので間違えていたらすみません。)

ただこの言葉を聞いた時に、「人種差別だ」と感じる人もこの世の中には多くいるのではないか、と思います。そして、アメリカや欧州諸国では顕著でしょう。そうすると、デイビッドの言った「男の子だから力がある」という言葉に、性別に対する差別は内包されていたのでしょうか。

僕はそうは思いません。しかしながら、そう感じる人も世の中にはいると言うことが、僕が感じた違和感の正体なのだと思います。

世の中の人間は色々な括り方をすることができます。人種、性別、年齢、国籍など、無限と言っていいでしょう。そして、これまでの歴史の中でたくさんの人々がこの「括り」を利用して、意見を述べて、批判をしてきました。そうすることで、人の数だけある人の種類をわかりやすく、少なく簡潔に表して評価することができます。とても便利です。数学における「奇数」と「偶数」のようなものです。無限にある数字を2種類に「括り」、評価することができます。

僕が言いたいのは「奇数の中には3もあれば、5もあるし、なんなら469も含まれる。」ということです。(数字に特に意味はありません)

男性や黒人を力が強いと評価するのは構いませんし、統計や実験など、人を括れば得をする場面も沢山あると思います。しかし、括り方を間違えれば、人種や性別に関する差別の歴史も人類は持っているため、傷ついてしまう人や、過剰に敏感な人もいるので注意が必要です。

そして、そんな考えを持つ僕は、会話の中であっさりと現れた「男の子だから」に違和感を感じたというわけです。

朝ごはんは日本人らしくラーメンを食べ、男の子なのでおかわりをしました。




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