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知覧特攻平和会館に行ってみた

以下の文は全て個人の見解です。


23歳、大学生。戦争反対です。

薄っぺらいと思う。
もちろん戦争は反対だ。人命が失われるし、憎しみは何も解決しないから。
でも抽象的すぎる。ぼんやりしすぎてる。
戦争はダメということ以外何も知らない。
戦争がダメだと思うのも、そう教えられたからなのかもしれない。
自分は政治に興味が薄いほうだと思う。遠い世界に感じてしまうから。選挙も行ったことがない。昨今のジェンダー論争にも興味がない。賛成も反対もない。
教育レベルが高い空間で育ってきたけど、受験のための勉強しかしてない。政治も経済も歴史も全て覚えるためのものだった。
日本の国債問題も、戦争紛争も、知れば知るほど、全てが途方もなく悪の連鎖で、もう誰にも止めれないように思えて、そっと諦めてしまう。

そんな私が旅先で出会った人に、「知覧特攻平和会館は一度行くといい」と言われた。この人に出会わなければ、戦争資料館には絶対に行かなかったと思う。
政治的な話が嫌いで、思想を植え付けられたくないと避けていただろう。

知覧特攻平和会館とは

鹿児島県南九州市知覧町にある。特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料が展示されている。

https://www.chiran-tokkou.jp/heiwakaikan.html

朝9時の会館に合わせて行ったがすでに来館者は結構多く、気づけば混み合っていたのが驚いた。外国人が多いのが印象に残った。

特攻作戦とは

重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈める、パイロットは必ず" 死ぬ・亡くなる" という『必死』条件の作戦だ。知覧基地が本土最南端だったということもあり、全特攻戦死者1, 036名のうち、439名(中継基地となった徳之島・喜界島を含む)、全員の半数近くが知覧基地から出撃している。

https://www.chiran-tokkou.jp/heiwakaikan.html

結果、2時間ほど滞在した。

特攻隊員一人一人にフォーカスを当てる演出がとてもよかった。戦争というアバウトな概念ではなく、実際に存在した人間に思いを馳せられたからだ。

平和会館では、特攻の実際の映像や特攻隊員の写真を見ることができた。
戦闘機が母艦に突っ込んでいく様は衝撃だった。この中に生身の人間がいるのか。また、朝日新聞の記者が撮った特攻隊員の写真を見た。特攻前日なのにもかかわらず朗らかな笑顔だ。この笑顔の裏にはどんな葛藤が隠れているのだろう。とうとう日本の勝利に貢献できるという満足感?それとも戦況が悪化している日本のために、早く自分たちが特攻しなければという焦燥感?死への恐怖?わからない

特攻に行く人の遺書には
轟沈
でかい奴を沈めます
日本男子は大空で散れ
など勇ましいものもあれば、母への感謝や残していく子供達への手紙もあった。

特攻は悲劇の制度だ、もちろんそうだ。絶対に間違っていたし肯定できない。でも、特攻隊員を否定は出来ない。特攻という必ず死ぬ作戦の環境の中で、自分を納得させ、鼓舞させるには、大日本帝国万歳、天皇陛下万歳、日本のために大空で散ることが大義だと、本心から思うことが、またはそう思い込むことが、ある意味正しかったのだ。今でこそ悲しい結果となったが、この生への思いの強さに感銘を受けた。

この歴史を軽んじて無視してはいけない。だって、確かに自分の命を日本のために捧げた人たちがいたんだ。その人たちは自分が死んだ後も、日本人が日本のために頑張ってくれると信じてきたはずだ。

知覧特攻平和会館に行って、少し人生に新しい視点が加わった。
この日のことは少しずつ気が付かないところで、自分に影響を与えていくだろう。

平和を願って

(おわり)

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