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西條和 ~ナナニジの象徴、ナナニジの異質~

ナナニジのメンバーについて私が感じている魅力を書いてみたいなと思ったときに、まず初めに書かなければいけないのはセンターである西條和であろう。しかし、いざ書いてみると実に難しい作業となった。既に書いては修正を繰り返し、2週間が経つ。
正直なところ、ナナニジに興味を持ち始めた頃は西條和に苦手意識があった。私の凝り固まったアイドル像からかけ離れていたからである。それがどのようにして魅力を感じるようになっていたのかは自分にとってはとても重要な話ではあるのだが、その話はまた別の機会に譲り、今回は西條和の魅力についてのみ書いていくことにする。
私が思うに西條和は二つの側面がある。それは彼女がナナニジの象徴的なメンバーであると同時にとても異質な存在であるということである。それが掛け算となり、非常に魅力的な人物になっている。象徴と異質、それぞれの側面から私が感じている西條和の魅力をつらつらと書いてみる。

ナナニジの異質

私は他のアイドルを知らないが、西條和ほど無口で人見知りなアイドルはいないだろう。バラエティーでも喋らず目立とうとしない。場合によっては企画をギブアップすらしてしまうのだ。他のメンバーとはおろか、アイドルとしての立ち振る舞いとして異質なのではないだろうか。そのような姿を微笑ましく見られるかが西條和を推せるか否かを分ける。

そもそも他のメンバーと決定的に違うのは、オーディションの応募動機であり、活動へのモチベーションであろう。デビュー間もないころのインタビューの中で「自分を変えるために、一番苦手なことをしてみようと思って応募した」と語っている。他のメンバーは声優になりたい、アイドルになりたいといった動機があって応募している。応募して受かり、その先の活動こそが目的になっている。ところが、西條和はオーディションを受けること自体が目的であった。受けるからには全力で取り組んだのであろう。見事に1万人を超えるオーディションの狭き門をくぐることになる。

自らを変えたいという思いでオーディションを受けた西條和には売れたいとか有名になりたいという欲はないかもしれない。そして、その性格ゆえに感情の全てが表に出ることもなければ、気取ったりぶりっ子することもない。バラエティーやかわいらしい振り付けで恥ずかしそうにしている姿や、SHOWROOMやライブなどでファンに見せる嬉しそうな笑顔はきっと自然に表れてくる素直な感情なのだろう。そう思うと、当初感じていた苦手意識はなくなっていて、受け止められるようになっていた。

西條和がナナニジにいる理由、そしてナナニジの活動の中で見せてくれているものは他のメンバーとは異なるものだ。それが独特な個性となり、各方面でレベルが高く個性的なメンバーの中で輝けている理由だと思う。

ナナニジの象徴

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無口で人見知りなアイドルはすごくアニメ的なキャラクタだと思う。まさしく滝川みうだ。アニメの世界では主人公になり得るが、現実の世界では単純に短所として扱われることが多く、受け入れられにくい個性かもしれない。様々な差別が問題視され平等が謳われる世の中にも関わらず、ちょっとした短所というものは個性として受けいれてもらいにくい。私自身もひどい人見知りであるのだが、なかなかに生きにくいものである。もちろん、受け入れてもらえるように努力が必要なことも書いておく。
キャラクタメンバーたちはとても個性が強い。現実には存在しないようなメンバーもいる。その中に、無口、人見知りという個性も一つの個性として対等な関係で存在している。様々な個性を持ったメンバーが共存しているのがナナニジの面白さであり、魅力なのだ。この点については計算中Blu-rayのインタビューで三四郎・小宮浩信が非常にうまく語っているので是非読んでみてもらいたい。
そして、リアルメンバーの中でその魅力を体現しているのが西條和のように思う。他のグループや身近な例でいうと会社や学校の中では確実に目立たず隅っこにいるような人である。それがかわいらしいルックスや正確でキレのあるダンスを武器にアイドルグループのセンターを担っている。これはどんな個性でも受け入れるというグループだからこそである。西條和がセンターであることが、このグループがどんなグループなのかを物語っている。
ナナニジは「みんなちがって、みんないい」を実現しているグループだ。その象徴が西條和なのだと思っている。

西條和に感じる可能性

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西條和はその性格ゆえに、すべての感情を表に出せていない。恥ずかしい、怖い、あるいはファンへの感謝、声援に対する喜びをチラリと見せていて、それが魅力の一つになっていると思う。多くのポップミュージックやアートは普段人には見せないような感情、隠しておきたいような思いを表現したときに、共感を呼び多くの人を惹きつけることがある。私が西條和に期待するのは、普段内に秘めている様々な感情があふれ出す瞬間である。あの性格だからこそ、普段から敏感に色々なことを感じ、苦しむことも感動することもあるのではないかと思う。それが意図せず表に出た瞬間、とんでもないアートが生まれるような気がしているのだ。
その片鱗が垣間見えたのが「僕が持ってるものなら発売記念ライブ」での帆風千春への手紙である。読もうとしていた手紙をしまい、その時の思いをそのまま言葉にした。あの場面で涙したファンも多いだろう。私も漏れなくその一人だ。印象的だったのは「ずっと守ってくれていた帆風千春に恩返しをしたいと思っていたこと」、「いざ帆風千春が泣いている時に何をしたらいいか分からず、何もできなかったこと」、そして「その時に帆風千春が海乃るりや天城サリーに話をしているのを見て、本当は自分にも話してほしいと思っていたこと」だ。これほどまでにリアルな感情をあの場で語ったことに多くの人は胸を打たれた。どれもこれも、自身の性格所以だ。悔しくてもどかしかったのではないかと思う。もともと自分を変えるために受けたオーディションだ。だからこそ、その後に続く「いつか相談してもらえるくらい、22/7で頑張る」という言葉も本心のはずだ。もちろん「大好き」という言葉も。リアルな感情は人の心を揺さぶるのだ。
普段、ファンの前であそこまで感情を表に出すのはなかなかないことだ。でも、おそらくあの場で手紙という外向きに整えられた言葉ではなく、今の思いを率直伝えたいと思ったのだろう。その時に、すべての人を巻き込むほどの大きな感動が生まれた。あの行動は、芯の強さを持ち合わせていないと生まれなかったと思う。無口、人見知りといった個性とはまた別なる一面だ。無口、人見知りといった性格に隠れてしまっていた芯の強さとリアルな感情が剝き出しになったとき、大きな感動を呼ぶことができたのだろう。西條和にはそれができる。普段は感情を秘めている分、西條和には22/7の由来のごとく無限の可能性を感じるのだ。メンバーやスタッフにはやるときにはやるという信頼をしっかりと得ているようである。本人にとっては大変かもしれないが、また西條和の芯の部分が表現される時を期待してしまうのである。

自分を変えるという挑戦の途中。まだまだ多くの支えが必要なのかもしれない。幸いにして支えてくれる人はたくさんいるようだ。だが、その先にある強くなった西條和が私たちに何を見せてくれるのか、ゆっくりと楽しみに待ちたいと思う。

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