『コトミハオリのご案内』「命(ミコト)がノった名前」はどのように創られるのか?
こんにちは。
ハラヨミ通信「記響-フミユラ」を運営している諒太です。
今回はハラヨミ通信「記響-フミユラ」内で展開している創造事業『コトミハオリ』の活動内容についてご案内、ご説明をいたします。
「命がノった名前」と聞いて
・スピくさくて痛いw
・語彙力ひっくw
・中二病かな?w
といった印象をもたらしてしまっているかもしれません。
どんな印象を持たれてもいいのですしそのような印象を持たせてしまい申し訳ありません。
話は変わりますが、たまたま言霊学を知り、「言葉の世界」を知った私の脳裏にとある言葉がよぎりました。
「日本語の秘密は世界の秘密に関わる。そしてほとんどの人はこれを知ることなく、気づくことなく一生を終えていくんやな。」
と。
なんとも言えない気持ちになりました。
ここで『コトミハオリ』における「命」についてご説明します。
「命がノった名前」というのは「命」は「ミコト」と読みます。
『ミコトがノった名前』です。
「ミコト」というのは
・心
・状況
・心と状況に連動した言葉
という構成で『三位一体』を形成する意味を指し、『三位一体の内容(コト)』である3っつの事柄をあわせてノせることを『命(3こと)がノった名前』と表現しています。
当noteアカウント名のハラヨミ通信「記響-フミユラ」も『命をノせた名前』になっています。
<心>
縁があった人に配信内容を届けたい
<状況>
noteを通して文章(記した内容・言葉)が読者の心に届き(響き)拡散される(響きわたる)
<心と状況に連動した言葉>
伝えたい内容が読者に届き、拡散される
↓
<ミコトノリの名前>
「記響-フミユラ」
文章(記した内容・言葉)が読者の心に届き(心がユラぎ)拡散される(響きわたる)
といった構成になっています。
そしてこの「記響-フミユラ」の活動に創造意思がノることによって「記響-フミユラ」に『命』(イノチ)が吹き込まれ「記響-フミユラ」が活動をはじめます。
そして現状のような状況が発生し『生きた名前』が創造されます。(生きる・活きる)
「名前」というのは非常に奥が深いものであることを「言葉」の世界の中で知ることができました。
「名前」は「7の前」で「7・マエ(ナマエ)」だったんです。
「7」の前は「6」です。
その事柄や物事が「6」な状態になったとき(活動内容がわかってきたとき)に言葉を与えるから「7の前」で「7・マエ(ナ・マエ)」なんです。
(「6」な状態+適当な言葉(1)で名前 / 6+1=7・成る鳴る)
『名前』というのはこのように非常に奥深いものでありこのような構造になっています。
名前について『古神道言靈學』というコトタマの学問では以下のように説かれています。
そして「私はこんなハタラキをするよ」と言うように、その事柄が一体どんなハタラキをするのかを示し申す(示申)ことが「名前」なんです。
だから「名に恥じない」という心構えが生活の中に芽生えてきます。
しかし現代はどうでしょうか?
「名に恥じない」という心構え、責任感が希薄化しているのでは?と思ってしまうような事案を目にすることがないでしょうか?
これは「言葉と精神の分離」であり「示し申す(示申)存在、名前との分離」であることが言えます。
こうした内容もふまえ、ハラヨミ通信「記響-フミユラ」では言葉の創造『コトミハオリ』を展開しています。
↓ 『コトミハオリ』マガジン ↓
『コトミハオリ』は、コトをミてハをおります。
<心>
言霊学を取り入れた名前を創りたい
<状況>
事柄とハタラキを分析し言葉を創る
<心と状況に連動した言葉>
事柄に適当な名前をつける。氣もの(コトタマ)を事柄に羽織らせる。
↓
<ミコトノリの名前>
コトをミてハをおる・『コトミハオリ』
です。
(『コトミハオリ』の構造の詳細はこちら)
↓
『コトミハオリ』ではイベントや企業名・屋号、製品名、ハンドルネーム、縁起担ぎなど「名前」を必要とする事柄に対して「命がノった名前」のご提案・ご提供をいたします。
名前作成時にはビジネスで使用される「独自性(USP)」や「ターゲットとそのベネフィット」「目を引くキラーワード」など、マーケティングやコピーライティングにも配慮した作成を行います。
お問い合わせ、ご相談は以下のメールアドレスからお伺いいたしますのでご関心のある方はご連絡くださいませ。
【お問い合わせ、ご相談はこちら】
ハラヨミ通信「記響-フミユラ」
諒太
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?