見出し画像

【日記】“人生初のアイドルライブ”と“東大寺”と“ジャ・ジャンクー”の話【24.4/8-14】

今週は仕事で大阪と奈良に行った。久しぶりの出張が本当に楽しくて、なんだか「頑張ろう」って思えたような気がする。入学式のニュースが続く。終わりと始まりの季節。そんな一週間に考えたこと。

【今週のいろいろ】
◯読んだ本
『群像(3月号)』
『ベンヤミン・アンソロジー』ヴァルター・ベンヤミン
『ヴァルター・ベンヤミン 「危機」の時代の思想家を読む』仲正昌樹
『屍人荘の殺人』今村昌弘(Audible)
『爆弾』呉勝浩(Audible)
◯観た映画
『三体』(Netflix)
◯書いているもの
ーちよだ文学賞

▶︎はじめて「推し」がわかった気がする。

4月某日。
ひょんなことからアイドルのライブにご招待いただくことになった。モーニング娘。やAKB48、乃木坂46などをはじめ、本当にただの一度もアイドル文化に触れてこなかった僕は、期待も半分に自分がどんな印象を受けるのかまったく想像すらできなかった。

失礼ながら出場するアイドルの方々は決して超有名というわけではなく、僕も名前を聞いたことはなかった。2時間弱のライブ。平日のど真ん中ということもあって、集まったお客さんは20人程度だった。

仕事終わりだろうか、30代〜50代と見られる男性が多い。なかにはスーツ姿の人もいる。女性ファンも数名いて、不思議な客層だ。でもただ一つわかるのは、彼ら彼女たちが「熱烈なファン」であるということ。全身から溢れ出す前のめりな“愛”がひしひしと伝わってくる。未だかつて身を置いたことのないようなライブハウスの雰囲気に自分の場違いさを痛感し、緊張感が高まる。

19時20分。ステージの幕が上がる。
圧巻だった。本当に最高の経験だった。

ほとばしるエネルギー。みなぎる夢と希望。
そして、迫り来る不安。

彼女たちの生命が全力で呼吸している。
彼女たちの身体が全力で躍動している。
彼女たちの精神が全力で渇望している。

本当に本当に素晴らしいステージだった。
自分はパフォーマンスの技術的な評価はわからない。
でも、これだけはわかったような気がする。
彼女たちが歌い踊っているのは、
きっと「人生」というステージなのだと。

本当はアイドルの名前を出してこの興奮を伝えたいのだが、読んでくださる方が決して多いとは言えないこの記事であれ、ひょっとすると特定されてしまうような気がして控えなければいけないのが悔しくてならない。

ライブにはいくつかのアイドルグループが参加していて、そのどれもが「自分たちの個性」を探していることが伝わってくる。あるグループは元気なパフォーマンスで、あるグループはシックな衣装と曲調で、あるグループはハートフルでコメディな構成で。彼女たちは「自分たちの個性」を信じ、「自分たちのアイドル」を目指しているのだと思った。そして、その懸命さにこそファンは熱狂するのではないか、と。

そんななか、僕は人生で初めて「推し」という気持ちがわかったような気がした。実は長い間「推し」という気持ちや感情がわからずにいた僕は、その心を探ってみたいと、無理矢理本業と絡ませてたくさんの書籍を読んだりもした。でも結局、どれだけ本を読みどれだけの事例を学んだところで、その実態や現状はわかってもその“心”はわからなかった。のに。僕はたった1度のアイドルライブでそれに少し触れた気がした。やっぱり「推し」ってすげぇ!

それはある二人組だった。
彼女たちをみて、僕は冗談ではなく感極まった。
僕にはその歌唱力やパフォーマンス力はわからない。
彼女たちがライブで誰かを応援しようとする姿。
彼女たちがライブで自分の人生を掴もうとする姿。
拳をあげて会場を鼓舞し、
掌をかさねて互いの存在を確かめる。
そこにはアイドルとしての祈りがあるように感じた。

甘く切ない青春の味。
僕にはじめての「推し」ができたかもしれない。
本当に素晴らしい日でした。

▶︎大仏はデカい

4月11日。木曜日。
半年ぶりくらいの宿泊出張で大阪と奈良に行った。この日の午前中はちょっと自由時間があったので、少し前から行きたかった東大寺の大仏様を拝むことにした。

きっかけは去年末に手塚治虫の『火の鳥』を読んだことだった。単行本の5巻〜6巻に収録されている「鳳凰編」では、奈良時代を舞台に「信仰(仏教)」と「芸術(彫刻)」そして「生命」が描かれる。紛うことなき傑作である。

舞台は奈良時代と呼ばれた8世紀の日本。隻眼隻腕の盗賊・我王は、命を助けられた高僧・良弁上人と諸国を巡るうちに、病や死に苦しむ人々の姿に出会い、眠っていた彫刻家としての才能を開花させました。
一方、若き日の我王に利き腕を傷つけられた仏師・茜丸は、精進の末にリハビリに成功して、名声を高め、奈良・東大寺の大仏建立のプロデューサーにまで出世しました。
茜丸のパトロンとなった時の権力者橘諸兄(たちばなのもろえ)は、大仏殿の鬼瓦の製作を、茜丸と我王に競わせることに決め、ふたりはライバルとして運命の再会をします。
しかし、勝負に敗れそうになった茜丸は、我王の旧悪を暴露して、我王の残っていた右腕を切り落とさせてしまいました。

手塚治虫公式サイトより

『火の鳥』に通底しているテーマではあるが、この「鳳凰編」で特に顕著なのが、人間が抱く“欲”——それには“生きたい”という欲も含まれる——と信仰あるいは運命との関係性ではないか。

「鳳凰編」では最初は欲にまみれ殺生を繰り返していた我王が信仰心(宗教という意味にとどまらない)を抱くことで、芸術の才を発揮していく。その一方で、最初は芸術の才に恵まれていた茜丸は、欲を覚えていくうちに宗教へと飲み込まれていく。そんな二人とは無関係に、あるいはそんな二人を包み込むように、運命(=火の鳥)は翔けていく。

そして、その“欲の象徴”として本作では大仏像は描かれる。政治に信仰を利用しようとする欲(≒宗教)が縋る幻の運命こそが東大寺の大仏像なのだ。ただ、ここで注意したいのが大仏像=大仏ではない。こうした政治と宗教と芸術の“欲”が結ぶ密約に対して大仏は涙す。茜丸をはじめ人々は困惑してしまう。相次ぐ自然災害や凶事を鎮めるための大仏像になぜ大仏は涙しているのかと。そして物語の最後、信仰に帰依する我王がつくった畏怖すべき鬼瓦は、その“欲”を呪うかのように東大寺を焼き払う。焼失を免れた大仏像はあろうことか“人間の手によって”眼≒生命を入れられる。

それは宗教と政治が結びつき
貴族が絶対的権力となる時代の予兆ともいえるものだった

『火の鳥』第6巻より

「鳳凰編」を読んで以来、僕は東大寺の大仏に対峙してみたくなった。“欲”の象徴として建立された大仏像を拝むとき、その“欲”に涙する大仏を拝むとき、果たして僕はどんな感情を抱くのだろうかと。

桜が最後の盛りを見せる奈良公園には、やっぱり鹿がたくさんいて、それに群がる観光客もやっぱりたくさんいた。鹿せんべいを手に嬉しそうな人々は、次の瞬間には鹿に囲まれて困惑し、手や尻を噛まれて悲嘆する。道にはたくさんの糞が落ちている。鹿せんべいの成れの果てを人間が踏みつける。

「鳳凰編」では茜丸は死後、ミジンコになり亀になり鳥になる。そんな終わらない輪廻転生のなかで、せんべいをやる人間とせんべいを食べる鹿は同じなのかもしれない。そんなことを考えながら20分近く歩いて、とうとう東大寺へと辿り着いた。

まず目に飛び込んでくるのが「南大門」だ。鎌倉時代に東大寺を復興した重源上人が再建したその門は、とにかくすごい迫力で佇んでいる。磯崎新が「日本建築の歴史のなかで最重要の建物」と位置付ける南大門は、なんだかとても重力を感じさせる。禍々しくも美しい、圧倒的であるのに吸い込まれるような。ここが境界だとすぐさまに感知する。ここから先は大仏様の世界だと。

東大寺「南大門」(筆者撮影)

南大門をくぐるとき、2体の金剛力士像の視線に姿勢をただす。宇宙の始まりを表すという「阿形像」は怒りを顕わにした表情を浮かべているとされ、宇宙の完成を表すという「吽形像」は怒りを内に秘めた表情を浮かべているとされる。

東大寺「金剛力士像(阿形)」(筆者撮影)
東大寺「金剛力士像(吽形)」(筆者撮影)

「鳳凰編」では、我王を信仰にそして彫刻へ、あるいは生命や運命へと導いたのは、まさに「怒り」であった。そして僕も(おそらく人間誰しも)怒りが生命のエネルギーになっているところがあるのではないかと思う。そして、それを鎮めたいと祈る。そんなことを思いながら歩みを進め、とうとうやってきた。

大仏像は本当にデカかった。正式名は盧舎那(るしゃな)仏。像高14.98mという数字になどとらわれない圧倒的な大きさ。破壊的なまでの存在感で迫る。この絶対的な威風に晒されるとき、いかに自分の存在がちっぽけかということを否が応でも思い知らされる。

生死を握られているという緊張。
運命を決められているという確信。
祈り願うことを余儀なくされる感覚。

あろうことか“人間の手によって”入れられたその目は、まるですべてを見透かすように僕の身体を捉えて離さない。カメラを向けることなんてできるはずもない。僕の身体に巣食う“欲”をすべて断罪するようなまなざし。恥じる。畏れる。立ちすくむ。

その瞬間、対峙するまでに考えていたすべてのことが吹っ飛んだ。「鳳凰編」のこと、前日に急拵えに勉強した華厳経のこと、奈良公園で見た鹿と人間のこと。そこではただ祈るしかないと思った。手をあわせるほかないと思った。

これを書いている今も、大仏像のまなざしを、あの絶望的なまでの大きさを、そしてその存在すべてを感じている。そこに信仰的(あるいは宗教的であっても)な意味での盧舎那仏を感じているのかどうかは、もはや僕にはわからない。ただ一つわかることは、この感覚がきっと“東大寺の大仏”であるということだ。

▶︎祝!賈樟柯カンヌコンペ!

4月11日。木曜日。
ビールを片手に出張の疲れを癒していると、カンヌ国際映画祭のラインナップが発表されていたことを知る。毎年5月に開催され、世界三大映画祭にも数えられる映画界屈指の華やかなイベント。例年世界の名だたる巨匠や鬼才の作品が顔をそろえるコンペティションを僕は本当に心待ちにしている。

そしてやっぱり今年も凄かった。

去年のヴェネツィア映画祭で『哀れなるものたち』が最高賞を受賞したヨルゴス・ランティモス、『ゴッドファーザー』『地獄の黙示録』などで知られるフランシス・フォード・コッポラ、『ゴールデン・リバー』『ディーパンの闘い』などカンヌ映画祭の常連ジャック・オーディアールなど、驚くほどのメンツが顔を揃えた。

映画祭が近づいてきたら、これらコンペについては過去作短評も交えながら記事を書こうと思うので今回は割愛して、なかでも僕が心から嬉しかった賈樟柯(ジャ・ジャンクー)について少し書こうと思う。賈樟柯は僕が卒業論文で研究した監督だから。そのときのテーマは賈樟柯におけるドキュメンタリーとフィクションの境界線を探るという内容だった。

賈樟柯は1997年に大学の卒業制作『一瞬の夢』がいきなりベルリン映画祭のフォーラム部門に出品され、華やかなデビューを飾った。賈樟柯の国際的な活躍は、それまでの陳凱歌(チェン・カイコー)や張芸謀(チャン・イーモウ)など中国の歴史などを題材として“大きな映画”をつくる第五世代から、ドキュメンタリー的な手法を駆使して市井の人々を描く”小さな映画”をつくる第六世代へと、中国映画界における世代交代を促していくことになる。

その後も2006年に『長江哀歌』がヴェネツィア映画祭の最高賞を受賞、2013年には『罪の手ざわり』がカンヌで脚本賞を獲るなど、輝かしい経歴を歩む。通底しているテーマは、変わりゆく中国社会のなかで翻弄される人々。時代を彩る歌謡曲や文化を背景にしながら、小さな物語を描き続けてきた。

しかし最近はどうも“しっくりきていない”気がする。『山河ノスタルジア』『帰れない二人』と5年に1本くらいのペースで作品を出しているが、なかなか評価は高くない。正直卒論を書いた僕の目から見ても、お世辞にも素晴らしい作品とは言いにくい。最近はプロデューサー業などにも精を出しているそうだが、やはりファンとしては1本でも多くの傑作を作ってほしいものだ。

卒業論文を執筆しているときに、担当教官に「なぜ最近の賈樟柯はイマイチなのか」と問うたことがある。そのとき教授は「王兵(ワン・ビン)に代表されるように、ドキュメンタリー、すなわち中国社会の実情がフィクションを超えてしまったから」と答えた。つまり、フィクションを超えたドキュメンタリーが内在する社会において、ドキュメンタリー的なフィクションなど成立しえないという指摘。なるほどと思った。

前作『Swimming Out Till the Sea Turns Blue』(2020)はベルリン国際映画祭のコンペに選ばれていたのだが、ドキュメンタリー映画だったこともあったからか、日本国内では上映されていないどころかまったく話題にすらならなかった。実は僕はこのとき1週間近くベルリン映画祭に参加して、当然この作品も鑑賞したのだけれど(しかも賈樟柯の近くの席で!)、正直英語字幕についていけない部分もあり、全然ノレなかった…。

そんな賈樟柯がついに復活の兆しか!というニュースが、今回のカンヌ国際映画祭のコンペティション選出だ。卒業論文執筆にわたり半年近くは研究していた大好きな監督には是非ともまた傑作を見せてほしい。そして願わくば、なにか賞を・・・!

作品の内容がもう少し詳細にわかってきたら、上記のとおりカンヌ予習記事的なものでも書こうかと思う。

まずは本当におめでとう!という嬉しい報告でした。





この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

今週の振り返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?