理系文系

より一般的には、研究・探究の対象によって分けるものだし、またそうであるのが望ましいと思う。けれど、実情としては、(契機はその一般的な分類だったにしても)結果的に形成された集団等への「所属」が強調され論じられるように感ずる。

実際、組織なり何なりで、似たような考えかたをする人が集まる、というのはあり得る事で(属している人も似た人を集めようとすれば)、そういう意味で、「傾向」が形成されるのも、充分生じ得る。だけれど、問題は、「傾向が明らかにされていないのに」傾向があるかのように言われる所。

私がよく、何らかの社会的なカテゴリ(に属する人)の性質を云々する言説に対して、「証拠はあるのか?」と問うのは、その言説自体が、社会現象のありかたに関する主張で、量的な表現に還元出来る言明、という構造になっている場合があるから。

自然現象の振る舞いの記述は、その精確さを厳しくチェックするのに、社会現象については雑で構わない、という道理は無い、と考えているので。

踏まえると、「理系」「文系」と言うのも、社会的にカテゴライズされた層・組織・集団、等々の有する性質や傾向を云々するものなのだから、そのような言説に対して、「では証拠は?」となるのは、私にとっては当然の事だと言える。

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