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『狂気山部屋にて』

「発狂用意」行司の声がそのように聞こえた、と大関・群馬灘は語った。だが、それ以降の記憶が曖昧だという。

「初めは強く当たって――その後のことはよく覚えていません」

取組のVTRを見ると幕内最重量の巨漢大関が小兵・土根性(どこんじょう)に突き当たり、廻しを取った途端に膝をついて敗れている。決まり手は「腰砕け」とされ、幕内下位の土根性が八連勝で勝ち越しを決めた。

今大会の台風の目となった小兵・土根性。長年膠着した上位陣を切り崩す若手の台頭に相撲界が沸いたのも、わずか数日間だけだった。当初は「奇跡だ」「無気力相撲だ」と騒ぎ立てた好角家達も八連勝の全ての決まり手が「腰砕け」であるという異常事態を前に沈黙し、力士達は土根性との取組を恐れた。(なお、腰砕けの発生確率は0.04% 大相撲の歴史の中でも30回に満たない希少な決まり手である)

土根性と対戦した多くの力士がショックで精神を蝕まれ休場となった。かろうじて安定を保っているのは群馬灘のみである。立ち合い時から口中に甘い痺れがあり思考が揺らいだ、と大関は語る。

「ウス今場所はもう休場ス、もう休ませてください、スンマセン、ウス」

飛騨海部屋を後にした相撲記者の本田は取材メモを見返しながら群馬灘の証言を記事にするか思案していた。裏取りのため土根性の所属する狂気山部屋へ向かうべきか、そう考えて押上方面へ向かう途中で外国人力士に道をふさがれた。

「本田サン、ここから先はイケナイ」

犬公方部屋の若手・犬犬犬(ケルベロス)である。名門ケンブリッジ大学相撲寮出身の力士はスンスンと鼻を鳴らしながら警告をする。

「ここから先は瘴気が蔓延していマス。これ以上、嗅ぎまわらナイほうが身のためデス」
「しかし」
「記事にするのもやめて下サイ、ここから先は我々の仕事デス」
「関取、土根性には秘密があるんですね」

犬犬犬は沈黙でそれを認める。

「……決着は土俵でつけマス」

若手力士の真剣な眼差しを受けた本田は道を引き返した。編集部へ戻り別のアプローチを検討する必要があるだろう。

◆ミ◆ミ◆ミ

「理事長からの指令だ。あいつは俺たちが狩るぞ!」

犬公方親方が力士たちに檄を飛ばす。

「「ワン!!」」

所属力士たちが吼える。大関・飆(つむじかぜ)を筆頭とした犬系力士は日本相撲協会への侵略を開始したある勢力に対抗するための地獄の番犬だ。アイドル力士の褒羅仁(ほうらに)、大酒呑みの聖華道(せいかどう)も裏の顔は悪魔力士狩人である。

「標的は土根性、正体不明だが何らかの毒物を用いる」

犬犬犬が鼻を鳴らしながら補足をする。

「おそらく植物系の揮発神経ガス、"マンドラゴラ"由来のものデス。土俵で呼吸を合わせないようにして下サイ」

決死の戦いとなる。犬力士たちの顔に恐怖が張り付く。

「ボクたちは協会の犬じゃないが、親方の犬だ。これまでの恩義に報いる時が来たぜ!」
「ぶははは、力水は俺がつけてやるよ!」

ムードメーカーが褒羅仁と聖華道が空気を和らげる。

「行くぞ!」

飆(つむじかぜ)の一喝で力士達は死兵に転じた。

◆ミ◆ミ◆ミ

相撲記者・本田は、土根性の故郷である赤森県西部の雪深い山脈へ向かっていた。人里離れたその街の名産品は、世界遺産・黒神山地の雪解け水と豪雪によって甘味が凝縮された「雪下にんじん」であるという。秋田駅で新幹線を降りて在来線へ乗り換える。移動だけでも1日仕事だ。明日は土根性の生家があるという集落を目指し黒神山地のトラッキングガイドに山中を案内してもらう予定だ。

◆ミ◆ミ◆ミ

褒羅仁が土俵で死亡した。犬系力士は毒物耐性が強く腰砕けになることはなかったが取組開始1分後に昏倒、その場で死亡が確認された。土俵ドクターの検死によると死因は急性心筋梗塞。一切の毒素は検出されなかった。聖華道は担架に乗って花道を去る親友の手に強く握られたものに気づく。それは土根性のサガリだった。

◆ミ◆ミ◆ミ

「俺たちはね、黒神山地には近づかねえよ」「山からは恵みを頂いているがね」「名物の"雪下にんじん"は食べたか? 甘くてうまかったろ」「ああ、にんじんだ」「あれはもともと野生のにんじんを里で育てられるように"家畜化"したものなんだ」「マタギが遭難したときには木の根元を掘り返してにんじんを探すんだよ」「絶対に引き抜いちゃならねえ」「ひとクチかじれば身体もポカポカだ」「ふたクチかじったやつは全員狂って死んだよ」「発狂人参って呼ばれている」「あの集落に行きたい?」「バカなこと言うな」「あの村はふたクチかじっても死ななかったやつらだけが棲んでる」「あれはもう、人間じゃない」「この話は聞かなかったことにしてくれ」「俺もあんたもここには来なかった」「オイ」「あんたをここに埋めてもいいんだ」「帰ってくれ」

◆ミ◆ミ◆ミ

聖華道が土根性と向かい合っている。前日の不慮の事故は事件性なしとして処理された。「ツイてるぜ」聖華道が独り言ちる。自らの手で親友の仇を討つ、今日は死んだっていい。聖華道が力水と同時に密かに隠し持ったサガリをひとクチかじる。ドクン、強烈なキックと共に聖華道の血液が沸騰。背中から湯気を発しながら仕切り線に拳を突く。これがおまえの強さの秘密か。ドーピング検査に抵触しないパーフェクトナチュラルな有機化合物。たしかにこれならお前をどうとでもできそうだぜ。

「発狂用意」
聖華道が頭から突っかかる。ゴチンという物凄い音がして今場所で初めて土根性が揺らいだ。鼻から大流血しながらも冷えた視線が聖華道を見上げている。張手、張手、張手、張手。聖華道の猛攻に少しずつ後退をする土根性の姿に国技館が沸いた。土俵際、聖華道得意のがぶりよりの体勢に入ると升席は総立ちとなった。

聖華道がガブる!小兵・土根性を上下にガブる!ガブる!だが、土根性は足に根が張ったように微動だにしない。聖華道は密かにふたクチめのサガリをかじる。ドクン、再び強烈なキックを受け怪力乱神を発した聖華道が一気に土根性を引き抜き、吊り出しの体勢!

だが、そこまでだった。聖華道は身じろぎもせず、そのまま数秒が経過する。観客席が静まり返ったころ、土根性を持ち上げた体勢のまま聖華道は仰向けに倒れる。決まり手は浴びせ倒し。大酒呑みで知られる巨漢力士はその場で絶命が確認された。死因は急性心筋梗塞であった。

◆ミ◆ミ◆ミ

本田はすでに秋田新幹線に乗車している。あれから人参マタギは頑なに口を開こうとしなかったが、唯一(何があったかは聞かないが、人参封じのまじないがある)とだけ口を開き魔除けを預けられた。急いでこれを国技館へ持ち帰らねばならない。本田は新幹線内から犬犬犬に連絡を取りブリーフィングを行う。

「土根性のサガリは干した発狂人参に間違いありません。地元の人参マタギから聞いた保存食に似ています。発狂人参、西洋ではマンドラゴラと呼ばれている滋養強壮食材です」
「なるほど我々が探った情報と一致しマス」
「発狂人参の摂取はひとクチまで。ふたクチかじった者は狂気にかられ死亡すると言われています。聖華関はおそらくそれで」

東京駅へ到着した本田を犬犬犬が出迎える。二人はタクシーで直接国技館へ向かうことになった。本田は犬犬犬にマタギから預かった、つけ毛を手渡す。

「これハ?」
「マタギの奥様の髪です。これを大関に」
「なるホド、マンドラゴラは女性にとても弱い、ケンブリッジの伝承にもありマス」
「発狂人参を引き抜くと発狂して死ぬ。マタギは犬に紐を繋いで抜くか、女性の髪の毛で誘い出して捕獲していました」
「ヤツらが女人禁制の土俵を標的に定めたのはこのためデシタカ」
「ヤツら?」

(あの力士の正体は呪いを帯びた魔植物、旧賜杯者の尖兵の一つでショウ)そう言いかけて、犬犬犬は沈黙した。
誰に明かすことができない事情があるのだろう、本田も察する。二人が沈黙したままタクシーは国技館へ着いた。まもなく14日目の取組が始まる。

◆ミ◆ミ◆ミ

「発狂用意」

式守伊之助の掛け声が澱んで聞こえる。この症状はマンドラゴラの揮発成分が原因であると飆(つむじかぜ)は知っている。周囲の生物を芳香で誘引し麻痺させて苗床にする。動かずに罠を張り待つマンドラゴラの捕食手段である。無理に引き抜こうとすれば、聖華道の二の舞である。飆(つむじかぜ)は待つことを選択した。マンドラゴラは引き抜かず自ら向かってこさせなくてはならない。だが、このままでは土俵内に充満したガスに神経を蝕まれてしまう。

大関がマゲを揺する。鬢付け油に混じりかすかに女の匂いが漂よい、土根性の冷えた目が気色ばんだ。飆(つむじかぜ)の大銀杏に混ざる白い毛筋。それは土俵上に存在できないはずの女性の毛髪を利用した罠であった。

女色に興奮した土根性が自ら間合いを詰める。飆(つむじかぜ)は後退する。
土根性が間合いを詰める。飆(つむじかぜ)は後退する。
詰める。後退する。詰める。後退する。
詰める。後退する。
やがて大関は土俵端に追い詰められた。死に体だ。

好機と見て土根性が飛びかかる。
だが「つむじ風」の四股名は伊達ではない。突進の勢いを利用した高速巻き落としを仕掛ける。「ノコッタ!!」
力士本能で思わず踏みとどまった土根性の背後を取った飆(つむじかぜ)は目にもとまらぬ早業で締め込みをほどく。「ノコッタ!!」

ど根性の廻しの下に隠された巨大な寄生発狂人参・マンドラゴラが姿を表した。

ギョワーーーー!!

国技館のカクテルライトに照らされたマンドラゴラが悶絶して悲鳴を上げる。

「ごっつあん!!」

思わず下半身をかばった土根性の背後に回り、飆(つむじかぜ)は脇の下に両腕を通して後頭部に沿うように両腕をクラッチすると垂直に小兵を引っこ抜き、美しい放物線を描くブリッジ姿勢で土俵に叩きつけた。

「式守ィーーッ!!」

飆(つむじかぜ)の呼び声に応え行司が懐剣抜刀、マンドラゴラ切断!

ギョワーーーー!!

寄生したマンドラゴラが切り離され、懐剣で土俵に縫い留められる。

「発気良し!」

式守伊之助の邪気封印によってマンドラゴラは土俵深く沈められ鎮呪された。土俵上に倒れた土根性の肉体はシオシオと生気が漏れだし抜け殻となっていた。検死の結果、どう見ても何十年も前に死んでいた人物である、という結論となり事故として処理された。

テケテンテン テケテンテン・リ テケリ・リ テケテンテン

本日の取組終了を告げる跳ね太鼓が鳴り響く。明日は千秋楽だ。

◆ミ◆ミ◆ミ

【決まり手は、飛竜原爆固め。なお、この決まり手が披露されるのは12年ぶりの珍事である。】

『角界マンドラゴラ汚染事件』のレポートを校了した本田はゲラ刷りの相撲誌に目を通す。そこには先場所の事件に対する、狂気山部屋 九頭竜親方のコメントが掲載されていた。

【大変に痛ましい事故です。土俵上のインシデント管理はどうなっているのか。力士への呪物の寄生に関しては再発防止策を協会に提案させていただきたい。当部屋も諸牛頭、三牛をはじめ若手も台頭しておりますので相撲界を盛り上げるべく……】

犬犬犬のあの眼差しを思い起こす。(まだ戦いは終わっていない、いや始まってもいないのではないか)漠然とした不安に駆られながら、本田は窓の外へ視線を送った。

【おわり】

#相撲 #マンドラゴラ #存在しない力士 #小説

本作は「第一回きつねマンドラゴラ小説賞」に応募し銀賞を獲得した作品のNote移植版です。



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