タッチスクリーンに思うこと

今となってはタッチスクリーンなしでこの世界を生き抜いていくことはできないほどになっている。
代表格はスマートホン。
それ以外にも、駅内のチケットの販売機やコンビニのキヨスク端末、ATMなどのシステム、今では家庭内の冷蔵庫やコーヒーメーカーまでタッチスクリーンが馬鹿みたいに搭載されている。
なぜ俺がこんな言い方をするか、それはタッチスクリーンが本当に必要かどうかわからないものにまで搭載されているとしか思えないからだ。


俺が視覚障害者だからと言うのは割り引いたとしても、正直辟易している人たちは存在するのじゃないか?それか、そもそも声を上げたくてもあげられない人たちがいるのじゃないか?と考える。


タッチスクリーンは直感的でわかりやすいというのが売り文句だろう。触ったらなにかアクションが戻ってくるのだから見えていればわかりやすいのは確かだろう。
しかし、だからといって、何でもかんでもタッチスクリーンにしていいのだろうか?


この記事を書いているとき、沖縄に津波警報が発令されている。
俺の母親は沖縄で一人暮らしをしている。
スマートホンは持っていて、最低限LINEの送受信や通話などは可能であるが、ネットで検索をするのは苦手だし、長文の入力も苦手である。


俺もスマホは毎日便利に使っているが、ちょっとタッチスクリーンは疲れるなと思っている。

急いで電話をかけたいとき、ちょっと慌てていてそれでも文字入力をしたいとき、正直タッチスクリーンの操作は非常にしんどく感じてしまう。
母もLINEの文字入力を諦めて無事を知らせる電話をかけてきた。
電話は安心したが、その操作だって、ちょっと慌てているとうまくいかないのじゃないかと想像できる。

ボタン式のケータイにしたら解決するかと言えば、そうも単純な話ではない。
そもそも、ボタン式のケータイは、通話とメール・SMSくらいしか使えない。
多くのスマート本アプリは、タッチスクリーンを想定して作られているため、どうにかしてインストールしても操作ができない。
そうするとスマートホンとケータイの2代を運用する必要が出てくる。それではコストがかかるし、運用面であまり便利とはいえないのじゃないだろうか。

慌てているとき画面を注視するのは非常に難しいと思うし、音声読み上げで使っている俺みたいな人でも、何度も同じところをタップするのは難しいし、そもそも画面を把握するのは結構しんどいものだ。
別の友人は、病気のため、手が震えてしまい、スマホは持っていないのだという。手が震えてしまうと、やはり安定した入力ができないわけで、どうにかボタン式のケータイを使っていたりするのだが、やはりそれも仕方なくそうしているのだという。

タッチスクリーンは健常な人が安定した状態で使うのが前提なのじゃないかと思う。
それ以外の状況では意図した操作はけっこう難易度が高い。
もちろんタッチスクリーンは便利だとは思うけれど、それ以外のアクセス方法を必ず考える必要がある。
誰もが簡単にタッチスクリーンを扱えるわけじゃないと言うこと、覚えていてほしい!

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