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【ポンポコ製菓顛末記】                   #30 他人に自分を貸すことはしなければならないが、自分以外の者に自分を与えてはならない

 投資や事業の失敗は表面上は担当の責任。実態は上司、トップの意向に沿っただけが多いので真相は指示、命令した上の責任だ。しかし100%上司の責任とは一概に言えない。
 
 



どうせ途中で決裂するさ

 
 
 6代社長は創業家出身で傲慢の上に、実力も無いのに見栄っ張り、俗に言うエーカッコシーである。社長になった当時、はやっていた海外展開と株主重視経営の象徴であるM&Aを自分もやりたくてしょうがなかった。海外展開は前々回お話ししたとおり、稚拙な展開で手痛いしっぺ返しをくらった。そしてM&Aである。
 
 菓子事業には王道のカテゴリーがある。そのカテゴリーをポンポコ製菓は早くから手掛けたにもかかわらずその後競合に負けて後塵を拝していた。そこで他社とのコラボレーションにより起死回生を狙った。
 商品的にはスーパー・CVSで売っている流通商品とデパートや専門店で売られる高級品とがある。前者は大型機械による大量生産装置産業であり、後者は業務用専業メーカーから業務用品を少量買って職人がブレンドして作る。
 当社ならびに各菓子会社は前者であるが、当社は後者の専業メーカーとコラボしてトータルで市場を制して事業拡大を狙った。幸運にも後者の業務用専業メーカー国内大手が当社のファンであり、先方から提携のプローチをかけてきた。先方は専用工場も持ち、提携による生産効率の好転も期待できるので願っても無い話であった。
 ところが6代社長はコラボ相手として気に入らない。当時世界の市場を握っている欧州のメジャー企業と提携したいと言い出したのだ。そのメジャー企業は世界中に事業展開と製造施設を持ち、事業規模は1社で日本の市場全体の倍以上の売上がある、とんでもない会社だ。そこに原料からの一貫製造を委託し、当社は加工・販売に成り下がるというのだ。
 一見事業効率は高まりそうだが、そもそもコア事業の技術の魂までも売る、捨てるというので事は単純ではない。投資ミスは多々あれど、企業のスピリッツまで売り払ってしまう愚かさであった。
 これは自動車メーカーで言えば、ダイハツがエンジン製造を止めて、トヨタからのエンジンを買って車体組み立て販売に徹するようなものだ。経営に窮した中小企業のコーチビルダーなら解るが大きな経営判断である。役員OBからはそこまで経営が窮しているのかと聞かれる始末であった。何故なら先方は世界のメジャーである。余りに規模が違いすぎるのでとても対等提携、コラボレーションとは見えない。外から見るとそう誤解されても致し方ない交渉であった。
 当時経営陣は困り果てたが、社長は止まらない。契約交渉の担当常務もトップの指示なのでしぶしぶ進めていた。ある時何故そんな交渉を進めるのか真意を聞いたら、世界的メジャーの交渉先がまさか極東の世界的には無名の小さな菓子メーカーとの交渉に乗る筈がなく、どうせ途中で決裂すると思ったという。ところが意に反して先方のメジャーは交渉のテーブルに乗り、かくして契約が成立してしまった。
 

買収工作は続く


 
 契約が成立して気を良くした社長はさらに本格的M&Aを模索した。
今度は経営が傾いている別カテゴリーの国内専業中小メーカーをコラボではなく、株式取得して子会社化しようとした。ファンドが仲介に入ったが、先のインドネシア現地企業買収と同様、当方の買う気満々が見え見えのため、ファンドが買収額を吹っ掛けてきた。担当マネジャーに買収後の相乗効果、デューデリジェンスをさせたが、当然ながら割に合わない結果となった。
 社長は気にいらず、良い答えを持ってこい、と何度も担当に検討をさせた。マネジャーは窮してウソのようなバラ色の展開図を提出した。その議論に同席した私は2人の顔を忘れない。社長はギロリと睨み、口には出さねど、「やればできるじゃないか」と言わんばかりであった。睨まれた担当は口をあんぐりと開け、好きにしてくれと言った表情であった。


強者共の夢のあと


 
 かくして契約成立した2つの案件の後日談である。
 
 欧州メジャーとのコラボは当初の計画では先方に貸与する国内工場で当社の全種類製品を委託して一貫製造する筈であった。ところが、国内工場ではそのような製造工程では無かった。製造は先方の既存東南アジア工場で製造することになっていた。案の定、当社の規模では量的にも質的にも不足するため、先方はNGを出してきたのだ。要するに格が違いすぎた。
 かくして不足分は結局国内自前の生産工程を追加で投資することになった。そのような結末になるとは、相手はMBA取得のユダヤ系なので騙されたのか、当方が気付かなかったのか、実は委託工場が出来上がるまで多くの社員が(私も含めて)知らなかったのである。当初の予定が支離滅裂になってしまったのだが、大幅な目論見違いであった。
 10年単位の契約のため、10年後契約更新の都度担当部門は契約解消を会長(社長を7代目に譲っていた)に提案したが、ガンとして受け付けなかった。自説を曲げない例の意地の張り合いである。この契約、投資が有利だったのか甚だ疑問で、誰も触れなかった。
 
 別カテゴリーのM&Aも間に入ったファンドは契約後サッサと担当を外れ逃げてしまった。相乗効果を狙うべく、様々な商品企画展開を試みたが、どれも長続きしなかった。結局買収による相乗効果は生まれず、単に専業中小メーカーを連結化しただけであった。ただし、もともと赤字の会社を買収したので、不採算資産を整理し黒字化するまで10年以上要した。


全てが上司の責任とは言えない


 無配転落した創業100周年事業も海外進出、M&A失敗も直接責任は指示した社長にある。リスクを甘く見て、規模のバランスを考慮せず、稚拙な計画で投資や買収の手段ありきで実行した挙句の果てである。まさしく、プランニング・レス、アナリシス・レス、コンプライアンス・レスの典型だ。そもそもの何のためという目的が不純でブレた結果であろう。

 
 しかし、全てがトップの責任とは言い切れない。
 
 哲学者ハンナ・アーレントは、「まるのみ 無批判を悪の陳腐さ」という。本当の悪とは「システムを無批判に受け入れること」。これが恐ろしい。ナチスのアイヒマンもイスラエルで裁判されたとき、上司の命令に従っただけと無罪を主張した。そこに人間的反省もなく、生まれ変わっても再度同じ状況に接したら同じことをしただろうと述べた。

 「全てを信ずる 疑わない システムを受け入れてしまう」ことが恐ろしいのだ。
 
 「すべてを疑うか、すべてを信ずるかは、二つとも都合の良い解決法である」、とアンリ・ボアンカレも述べている。そこに深い考察が何も無いからだ。
 
 もちろん当社の例のように役員や中間管理職が反対しようが意見しようがトップが聞かない、強引に押してくるのが世の常であろう。反対して左遷されたり、出世コースから外される例をいくつも見ていると、とことん反対できないのは心情的に理解できる。
 
 またIT化、ネットワーク化により従来のように全てのバリューチェーンを社内で受け持つのが価値創造で良い方法ではなくなってきたのも理解できる。従って先の提携やM&Aの例を手段として一方的に否定できるものではない。だからこそ何を内製化、何を外注化するのが最も効率よく価値創出拡大できるか、よくよく考えるようにしたいものだ。
 
 当社役員や従業員は能力的に質が高い人材も多い。だからまともな経営判断をできる人材も少なからずいる。しかし当初反対してもトップに受け入れられないと一転してトップの応援側に回り、率先して後押しする専務もいた。そういう節操のなさはせめて避けたい。まして終身雇用制も見直され、会社は最後まで誰でも面倒を見てくれるという制度は崩れつつある。魂まで売って、まるのみ、無批判に受け入れるという対応、「ハイハイ解りましたよ」という無責任なスタンスは、自己の成長の為にも避けたいものだ。
 
 フランスの哲学者モンテーニュは述べている。「他人に自分を貸すことはしなければならないが、自分以外の者に自分を与えてはならない。
今、世間を騒がしているビッグモーター事件の従業員もさぞ葛藤があったであろう。
 

ウチはそんなタマじゃないんだから



 さて、先のM&Aの後にも提携や買収案件はあった。中には経営が傾いた企業で事業の切り売りを頼んでくる企業もあった。そこは従業員を引き取ってくれれば買収額は1円で良い(実質タダ)というのだ。対応した当時の7代社長は創業家の6代社長を継いだのだが、営業出身でお世辞にも経営力があるとは言えなかった。しかし、人柄は良く、どこか憎めないキャラであった。その社長が決断の際、部下たちに言った。

 「救済はするけれど、間違っても立ち直らせるとか、指導してやるなんか思うなよ。ウチはそんなタマじゃないんだから

けだし名言である。
 


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