見出し画像

【ポンポコ製菓顛末記】                   #41 資本主義の本質は搾取だ

 かつてチャーチルは「民主主義は最悪の政治形態だ。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば」と述べたという。確かに崩壊した共産主義より民主主義のほうがまだましだと思う
 翻って資本主義にも果たしてあてはまるのか? 他の社会形態よりましなのか? 人類を幸せにしたのか?
 


スーツを着たオオカミ


 
 
 株価は一般的に業績の良い会社の株価が高いと思われがちだがそれは間違いだ。株式市場は業績に加え需給、即ち売り買いで成り立っている。しかも、長期的にはフラットだ。 上がれば下げる 下がれば上げる 何も業績の良し悪しだけで上下するわけではない。
 その上下で富裕者は儲け、金融機関は手数料で儲ける。大口得意先の富裕者は必ず儲けるように金融機関は必死になる。そして金融機関は自分の収入分、手数料はしっかりいただく。市場が長期的にフラットならば誰かに損してもらわないと辻褄が合わない。

 誰が損するか。

 一般庶民だ。金融機関はあの手この手の騙しのテクニックで庶民に損してもらって、富裕者を儲けさせる。それがシステムだ。
 レオナルド・デカプリオの映画 「ウルフ・オブ・ウォールストリート」は実在の株式ブローカー、ジョーダン・ベルフォートのセンセーショナルな半生を描いたウォール街狂乱日記である。机に足を載せ電話口で巧みに小口の市民投資家を誘導し“DONE!!”とクリックする。その一発で多額の手数料を得る。
 庶民への壮大な騙しのテクニックは、まさしくスーツを着た『狼』だ。
 
 ここでも割を食うのは一般庶民だ。今や、IDECOだ、NISAだと投資欲を金融機関、政府は煽る。確かに昭和と異なり、将来の貯えは自分でしなければならなくなった。会社はもう面倒をみてくれない。かといって金融機関の餌食になっては元も子もない。自分を守るためにカネの知識は必須だ。 
 
 
 

壮大な騙しのテクニック


 
 民間の金融は政府・中央銀行の国の財政と表裏一体だ。これがややこしい。ここは古典派経済学や現代貨幣理論(MMT)と諸説あり何が正しいのか解らない。
 
 しかし少なくとも通貨発行権を有する政府は、個人や企業のような民間主体とは決定的に異なる特殊な存在なのでビジネス・センス、即ち収支を合わせようとしてはいけない筈だ。
 なのに政府、とりわけ財務省は財源確保のため税金を徴収するのに終始している。しかもそのターゲットはここでも一般庶民。いまや法人税より消費税のほうが税収は多い。
 その法人税を実際に支払っているのは企業全体の4割しかいないことを読者の皆さんはご存じだろうか?営業利益は出ていても会計処理によって赤字になれば税金を払わないで済む。そんな企業が6割ということだ。日本の法人税率は高いといっても制度の話なので絵にかいた餅。消費税も富裕層より庶民の負担が大きい。さらに所得税は累進だが株の売却益は頭打ちなので金融資産が多ければ大きいほど、即ち富裕層ほど優遇される制度となっている。
 いくら日銀が量的緩和、マイナス金利で貨幣を増やしても借り手が増えない、つまり企業が投資せず実体経済に回らないのでデフレは解消されない。余ったカネは金融投資に回り、欧米の投資家を経由して中国に流れ、中国経済を支援している。
 
 おかしな話だ
 
 

市場経済がすべての弊害


 
 筆者は一貫してバランスの重要性を説明してきたが、利益も借金も適度に使えば良いのにバランスを欠いたところに格差や環境破壊などの不幸が始まった。文明が発達して幸せになる筈なのに歯車がどこかで狂った。
 
 扱いを誤ったプレイアーは誰か。
 
 利益を求める企業・経営者、借金を提供する銀行・金融機関、財政によりコントロールする筈の政府、そしてサポートする筈の経済学者、マスコミ等々。
 
 企業やメディアは消費者の消費欲を煽り、広告で騙すテクニックを磨く。
銀行は担保が無いと融資しない。利子はしっかりいただく。
証券会社は庶民に盛んに株の売買を煽り手数料を稼ぐ。
古典派の経済学者と経済評論家は、経済実態を知らずリスクを考慮しない机上の学問をかざす。恐怖心がなくリスクを読まないAIと同じで実態社会とはどこか遊離している。 リーマンショックを何故予測できなかったかとエリザベス女王に問われ経済学者の重鎮は誰も答えられなかった。
 
 全てをカネで価値判断する信条の結果だ。価格が付かないものは価値が無いと考える。経験も教養も道徳も。そして自然も文化も皆そうだ。だから神宮外苑のイチョウも伐採して商業施設に変えようとする。批判が起きたら新しい木を植えて数で帳尻を合わせようとする。そこには100年の時間、その結果出来上がった唯一無二の景観に価値を見出そうとしない。解らないのだ。ユネスコの世界遺産を平気で破壊するテロ集団と変わらない。カネで判断できない経験や文化や自然に畏怖も尊厳も感じない本質・無神経さと相通ずるものだと思う。
 
 悲しいことだ。
 

オカネの持続的成長を前提とする資本主義は限界に来ている
 

 ハンガリーの経済学者カール・ポラニーは著書「大転換」で近代登場した資本主義では取引してはいけないものに価格をつけたのが、誤りの始まりだと戒めた。それは「労働」「土地」「貨幣」。商品の本質は再生産可能なものであるべきなのにこれらはいずれも不可能だ。市場経済が世界規模で進む様子を「悪魔のひき臼」と呼び、市場社会の崩壊と複合社会への揺り戻しを訴えた。
 
 資本主義の暴走に対してあちこちでその異常に気付き始めている。

 考えても見てほしい。

 9時~5時・月~金で毎日仕事をしていても家に帰れば皆、消費者である。数%の富裕者を除いて庶民である。日中、庶民を騙すテクニックに仕事を介して終始しても消費者に戻ればブーメランのように戻ってくる。自分が嫌なものは他人も嫌だ。他人が困るものは自分に降りかかれば嫌な筈なのだ。
 
 政府が「小さな政府」などと称して民間に丸投げしてきたから事が進まない。政府が行なうべきは、企業の生産性向上に必要な条件を整えること、税金の増減税の辻褄合わせではない。例えば介護など社会が本当に必要な仕事、それは概して辛くて人は嫌がる仕事が多いが賃金が低い、むしろ高くしてやってもらう仕組みが必要だろう。カール・ポラニーが言うように、金融などのような楽してボロ儲けのようなことが許されてはいけない。
 
 昨今の欧米諸国の消費者調査では資本主義を支持しない、経済成長より環境保護を優先するという結果が出てきている。

 ノーべル平和賞のユヌス博士が始めたバングラデシュのグラミン銀行は無担保で貧困家庭の主婦に融資し、立派に回収、事業として成り立っている。担保が無いと融資しない従来の銀行システムでなくても成り立つのだ。

 アンチ従来型資本主義の良い兆しが現れてきている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?