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【ポンポコ製菓顛末記】                   #28 勝ちに不思議あり、負けに不思議なし

  新規市場開拓にリスクはつきもの。担当者は信念をもってチャレンジするものだ。でもそこに多くの落とし穴がある。
 

〇億円くらいの損は授業料として我慢しよう


 
 中国の高度成長が始まった折、日本企業はこぞって中国進出を進めた。何せ14億人の市場があって低賃金の国だ。バブル崩壊後閉塞感に満ちた国内市場よりも成長著しい中国で活路を見出そうとしたのだ。ポンポコ製菓もご多分に漏れず、戦後初めての海外進出をしようとした。

 とりわけ経済成長が著しい上海進出をまず目指した。上海の人口は1億人。1億人と言えば日本の総人口と変わらない。だから日本中が皆金持ちになったようなもの、と事もあろうにトップは勘違いしてしまった。

 そこで調査会社を通して現地テストをしたうえで、最も日本で売れている商品で進出することを計画した。当時中国の労務費が安く低原価で生産できるというので日本中で生産拠点を移していたが、当社は無謀にもいきなり現地生産しようとした。通常は商流を確保してから現地生産するもの。それを売れるかどうか解らないのに、日本で売れているから上海でも売れる、ストアテストして結果が出たから大丈夫(しかもたった数店舗の数ケ月のテストだ!!)という、安易な判断だった。

 それでも一応会計事務所に投資デューデリジェンスを依頼した。デューデリジェンスとは新規事業や買収の投資を行うにあたって、投資対象となる企業、事業の価値やリスクなどを調査し、分析したうえで意思決定を行うことである。結果はリスクが大きすぎて不可であった。どんなに積極的に見積もってもリスクが大きすぎた。

 しかし、やる気満々のトップや担当役員は気に入らない。なんとしてでも進出、しかも原価を下げて早期に成功、即ち黒字化したいので現地生産は譲らなかった。そこでリスク回避策として単独進出(独資)ではなくどこかパートナーとの合弁を条件とした。リスクを一社で負担するのではなく、少しでも軽減するためである。長年当社と提携している世界的なキャンディーメーカーが中国で展開していたのでそこと合弁会社を立ち上げることとした。

 準備を進めていたところ、なんとその中国法人がいきなり中国撤退を取り決めたのだ。そのメーカーは中国進出してからけっこう経っていたが脈無しと見切りをつけたのだ。超ビッグブランドだがそれだけ事業化は難しいということなのだろう。しかし、とりあえずこれで当社の進出は見送りとなる。いぶかっていた関係者はホッとした。

 ところが担当役員はあきらめない。独資進出でも工業団地に工場建設して投資額をグッと抑える代替案を提案してきた。それでもリスクはあったのだが、もう止まらない。なんだかんだと言って担当役員はその都度、ゾンビのように這い上がってきた。

 もう出ることありきの担当役員には理屈では通らないのでトップのCEO(会長)が最終決断してGOを出した。そのセリフを今でも忘れない。「〇億円くらいの損は(海外進出の)授業料として我慢しよう」 冗談じゃないと思った。何兆円も利益を出しているトヨタならいざしらず(たぶんトヨタでもそんな馬鹿なことはしないと思うが)、当時数十億円しか利益がでていない当社にとって、〇億円は大金である。なんと脇の甘いことか。
 
 そんな甘い詰めで進出したその後の結果は案の定、惨憺たるものであった。何も知らないで出ていった結果、登記した社名を間違えたり、テスト結果のように売れないものだから品質、価格、市場をあれやこれや変えてダッチロールのようなマーケティングを繰り返すお粗末さだった。その都度、資本が無くなるものだから、増資、欠損、増資を繰り返した。
 当初トップが言っていた〇億円の授業料の累損などあっという間に上回り、誰も実態が把握できなくなった。しかも中国は単純に撤退出来ないこともあり、引くも地獄、進むも地獄状態になった。
 
 

ぬかるみにマクラーレン


 中国で失敗しても海外進出の夢をトップはあきらめない。成熟市場になった国内から新興市場に活路を見出すこと自体は間違いではないのだが、やり方が問題なのである。

 そこで次に成長している東南アジアに活路を見出した。複数の事業展開をしているインドネシアの企業が菓子事業を売却するというのでその事業をまるまる買収することにした。そのインフラを使って中国同様最も日本で売れている商品で展開する皮算用であった。

 今回の担当役員はその後社長となった経営企画部担当役員であった。彼は他社でインドネシアでの海外展開の成功体験を持つマーケターをスカウトして買収交渉の窓口にあたらせた。
 工場も営業部隊もブランドもそっくり出来合いのものを買い取るのでゼロから立ち上げた中国の轍を踏まない。現地に明るい(筈?)プロもいる。リスクは中国より小さく見えた。交渉の間にファンドが入った。

 ところが、現地の物価水準からみてその買収額が妙に高かった。どうしても買いたいという当社の足元を見られてしまい、ファンドや先方に吹っ掛けられたのである。しかし今回もまたトップや担当役員は買うことありきになってしまっているので、買収成立させてしまった。

 そして今回もまたとんだ食わせ物であった。その後の展開は中国に負けず劣らず酷いものであった。
 買った工場はインドネシアの現地企業だから致し方ないのだが衛生的にも設備的にもとても使えるしろものではなかった。相当な改修、てこ入れが必要であった。営業部隊も単なる卸店セールスだけで末端店頭への影響力は無かった。だから新規の当社商品はちっとも店頭に並ばなかった。後で解ったのだがそもそもインドネシアでは菓子の市場は合っても当社の商品のマーケットは無かった。あってもごく一部の富裕層だけであった。

 そもそもインドネシアは国の経済成長は著しいが、急激な成長のため格差が激しい。私も現地視察して驚いたが日本と変わらない高級品、ブランド品を売っているモールもある。バリのような高級リゾートもある。ところが一歩裏へ行くと昭和初期のようなぬかるみの道と闇市のような店もある。昭和と平成が共存しているのである。欧米で百年、2百年、日本で50年以上かけて成長した文明をいっきに5年、10年で進めているから無理もない。

 結局現地向けマーケティング展開をしてもうまくいかず、数年後撤退と相成った。スカウトしたプロ・マーケターは更迭、買収額は損失計上した。売りに出した現地経営者は、なんてことはない不採算でお荷物の菓子事業を売りたかっただけであった。証拠に当社から儲けたカネで先方の経営者子息は高級車・マクラーレンを買ったことが後で判明した。マクラーレンはフェラーリ並みの高級車で日本では3千万円も4千万円もする。インドネシアの物価換算で言えば数億円の感覚である。そもそも舗装もしていない現地のぬかるみの道を走るようなクルマではない。当社はまんまとババをつかまされた訳だ。
 

勝ちに不思議あり、負けに不思議なし


 
 この2つの事例はプランニング・レス、アナリシス・レスの典型だ。無駄な稚拙な投資以外の何ものでない。もちろん将来のことは解らない。特に新しいこと、新規の事業、新規の市場開拓はやってみなければ解らないことが多々ある。思いの外に上手くいく場合もあればその逆もある。人間は過去ずっとそれを繰り返してきたのだ。だから古今東西の偉人の古典、言葉に学ぶべきものが沢山ある。

 江戸時代武芸家 松浦静山は「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と説いた。ラッキーでうまくいく場合はあるが、アンラッキーで失敗することは少なく失敗は大体事前に見えるというのだ。
そして昭和の小説家半藤一利は「敗因は驕慢(きょうまん:驕り高ぶること)の一語につきる」、「自分にとって望ましい目標を設定して、実に上手な作文で壮大な楽観楼閣を描くのが日本人は得意」と述べた。失敗の原因は傲慢と楽観というのだ。当社の事例そのものである。

 将来は解らないが、解らないとはいえダメそうだということは概ね予想が付く。といって何もしないのは進歩が無いので小さく進める。アメリカ思想家・エマーソンは「行動に際してあまり臆病になったり神経質にならないこと。全ての人生が実験なのだ。実験するほどにうまくいく」と説いた。

 繰り返し述べてきたように 何事もバランス。かの福沢諭吉も『学問のすすめ』で「各々には美点と欠点の境界に一つの道理があり、道理をわきまえれば、驕りと勇敢、粗野と率直、頑固と真面目、お調子者と機敏さも、どれも場面と程度と方向性によって欠点にも美点にもなる。」と述べた。
そのバランスが難しい。

さてこんな事例は序の口、もっとすごいことが実は過去にあった。

歴史は繰り返す。次回はその紹介をしよう。



 

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