自分が何か、大きな群れの一部に感じるのは気のせいだろうか


そう感じることがある。
スマホが普及してからか、家族ができてからか、理由はわからないが理由らしいものをあげることはできる。
でも実際に、俺の行動自体を制限するものは今も昔もない。
もし、家もなく、仕事もなければ自由を感じれると思う。
そうなったらどこかに行くんだろう。俺はどこかにいきたい。
でも、できない。
自分の人生は自己責任なのだとみんな知っているのに、なぜ俺の行動を制限しようとするのだろう。社会は人に仕事をさせて、文明を作り続ける活動をさせようとするのだろう。俺がどう生きようと勝手だろう。俺が子供を作ったからと言ってその子供を育てなくてはいけないという決まりは人間が後から創ったものだ。そんなものは自然界にはない。
約束もなく、ルールなどない。裏切るという感覚すらない。
それをわかっていても俺は家を飛び出して、いくあてもなく、目的もなく、その日暮しをして、時折都会にもどって、また出ていき、そんなことをする勇気はない。ない。

思えばスマホで人と常にコミュニケーションが取れるようになったのが根本の原因の気がする。それまでより多くの約束ができるようになり、常に周りと繋がっている感覚にさせる。そうなれば誰かに監視されているような気になる。高度な知能を持つ人間を利用した巧妙な見えない迷路のように思える。
思い込みすぎだろうか。俺は縛られている気がしてならない。

この縛りから逃げてもいいのか。誰も縛ってはいないが。

いつか旅に出るのだろうか。いままでしてきた約束全てを放棄して。

そもそも約束ってなんだ?しなくちゃいけないのか?
国同士はお互いを結んだ条約を国の都合で破棄しているだろう。

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