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多少の運ゲーは面白い

運ゲーという言われかたは、ネガティブな文脈で使われやすい。運やランダム要素は、自分でコントロールできないので、それで結果が決まるのは面白くないという意見は、もっともだ。

ことさら対人戦や大会などの勝敗や記録を競うような、競技性のあるシーンでは運ゲーが嫌われる
しかしランダム要素が完全に排除されているかというと、そうではない。対戦の組み合わせやステージ/フィールドなどをランダムに決めるのは比較的よく見かける。しかし、それについてネガティブな評価はされていないように思う。

運ゲーを嫌う競技シーンで運・ランダムを活用しても許されることがあるのは、なぜなのか。おそらく、ランダムな結果を全員が平等に引き受けるからだろう。良い結果であろうと悪い結果であろうと、同じ土俵で競うことになるのだから、勝敗や記録には関係ないということになる。

運ゲーが悪者にされにくい状況でも、似たような構図がある。
たとえばガチャや賭け事/ギャンブルは運要素が強い。しかし運要素・ランダム性そのものが非難されることは珍しい。全員が平等に同条件で運試ししている。(万が一その前提が崩れると大炎上するわけだ)

全員が等しく結果を引き受けるなら、運要素は悪くない。
それでは「運要素・ランダム性があったほうが良い」とまで言えるか。

あったほうが良いと思う。運ゲーには良いところもある

運やランダム要素は自分でコントロールできないが、裏を返すと責任を負わなくて良い部分とも言える。遊びにまで、すべてのことに責任をもって戦っていくのは、さすがに気疲れする。

それに運は遊びの本質*でもある。せっかく非日常を求めて遊んでいるのだから、ハプニングの1つでも起きてくれないとつまらない

*遊びについて論じた古典的な本『遊びと人間』では遊びの分類として、競争 agon, 運 alea, 模擬 mimicry, 目眩 ilinx を挙げている

真剣に対戦していて運要素で負けたと感じる時は、どうしようもないストレスを感じることもある。しかし、よく考えると運要素ゼロというのも味気ないのだと気づいた。

運が良いときは上機嫌なわけなので、運が悪いときにネガティブな気持ちにならないと良いなと常々思っている。不運をみんなで引き受けていると思えたり、克服した時の達成感・リターンが感じられれば、良いのかもと思った。

味方運がなくて弱い味方を引いたと思っている時は、味方も同じことを思っているわけで、それでも勝てたら面白いじゃないか、と。

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