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『ニュー・アース』省察⑪ ‐ "役割"を演じることと、"大きなお役目"を果たすことの違い

約1年半ぶりに、このシリーズを再開します。
書き始めたころからすると、うっかり2年近い歳月が経ってしまいました。

この期間、世界はそれまで全く予見できなかった多くの変化に晒され、あるいは自分たちでそんな変化を創り出してきました。
その中にはいくつかのポジティブな側面を見出すことも可能ですが、より多くのネガティブさがその影響を多方面に撒き散らしているのを、私たちは見聞きすることになりました。

そんな中、この『ニュー・アース』の著者であるエックハルト・トール氏が伝える英知の普遍性が、私にはより深い納得感をもって浸透してきたのを感じます。

氏が現在でも日々シェアしている動画などは残念ながら英語のみなので、なかなか日本人にはなじみづらいのが実情です。
しかしながら、氏の伝える論理は適切な媒介があればきっと誰かの力になる、気づきの一助となる。
そう思っています。

でもこのシリーズを続ける第一の目的は、自分自身の頭の整理、学びのため。
過去に書いたものもこのたび見直し、不味いところは加筆修正しました。

ひとつ前の記事はこちらになります。

また、マガジンとしてもまとめていますので、そちらからご覧になっていただいても嬉しいです。

それでは、はじめます。

第四章 エゴはさまざまな顔でいつの間にか私たちのそばにいる (其の3) 

この世に生まれ出た私たちが学ぶべき人生のレッスン ‐ もちろん様々あるかと思いますが、ここでエックハルト・トール氏が挙げているのが下記です。

「どんな状況でも、その役割に自分を同一化せずに、しなければならないことをする」

つまり、役割を演じることをやめ、ただ目的を達成するためだけにシンプルに謙虚に行動する、ということです。

氏の掲げる『役割』の位置づけがある意味独特なので、この一文を読んだだけでは簡単に理解や同意をできない人も多いかと思います。

例えば、「人はみな、なんらかの役割を帯びて生まれてきている」という文章もまた、大きな意味ではその通りだと私も思います。
では「役割に同一化すること」と「しなければならないことをする」ことの違いは?
目的の達成と『役割』との関係は?
というように、言葉に対して謎ばかりが膨らんでしまう感じがします。

氏が『役割』という言葉に込めている意味は、個人が就いている仕事の名前や役職、あるいは社会的立場など、「私は○○です」の“○○”に当てはめることによって個人を定義できると“錯覚”させるようなもののことです。
そして、“○○”に個人を同一化させることで、その人のアイデンティティを守ったり強化したりする作用を及ぼす、言い換えればその人のエゴを作り上げ、強化させることに繋がるような無意識の枠組み、自己意識のことです。

私たちは誰もが、“○○”などという言葉で説明できるような矮小な存在ではない、その『役割』という枠に自分を合わせていく、演じていくことはエゴによるゲームをプレーしていくことに他ならない、ということが、ここでの趣旨であり、いわゆる宇宙からいただいている『大きなお役目』という意味では使われていない、というのが私の理解です。

『役割』を演じることと、『大きなお役目』を果たそうとしていることの違いはどこにあるのか。

『役割』を演じていないとは、行動に自己(エゴ)が出しゃばらないということだ。
自分自身を守ろうとか強化しようという下心がない
いまの状況とひとつになり、とくにこういう人間になろうとは思わず、完璧に自分自身である。

『ニュー・アース』第四章 P.122

役割と演技だらけの世界の中にあっても、一部の人は自分自身の深い核心から機能を果たし、自分を実際以上に大きく見せようとはせず、ただ自分らしくあることが出来ています。
そんな人々の行動は、全体の目的に合致しているから力強く、効果的。
そんな人々は、シンプルに自然に控えめに存在しているだけで、世界に大きな影響を波及させていける。

このような人々、確かに存在するよな、と…誰もがなんとなく浮かべる名前や顔があるのではないでしょうか。

ただし、です。
もし、「自分自身であるために何かをしなければ」と思うのであれば、それは“自分自身”という『役割』を演じようとするエゴの策略に引っ掛かることになってしまう、と著者は鋭く指摘します。
自分はすでに自分自身なのだから、どうすれば…などと思考し戦略を立てる必要はないはず、と。

氏は言います。

自分が何者かわからなくてもぜんぜんかまわないと思えたら、そのとき残っているのがあなただ。
自分自身を定義することをやめ、他人が自分をどう定義するか気にするのをやめ、定義によって制約を作ることをやめる。
人々とつきあうときには、機能や役割であるよりも、意識的に「いまに在る」場として向き合う。

そんな生き方ができたとき、他人との個々の優劣などは意味をなさなくなり、真の自尊心と真の慎み深さが生まれてくる、と氏は説きます。

自尊心と慎み深さは本質的に同一なのに、エゴの目からは矛盾して見えるもの…
この指摘は、エゴによる影響の有無を判断するのにとても有効だろうな、と思います。

ただ、自分に正直になればなるほど、その道のりの遠さが如実に感じられるのが厳しいところですね。

≪巻頭写真:Photo by Evan Fitzer on Unsplash

長年の公私に渡る不調和を正面から受け入れ、それを越える決意をし、様々な探究を実践。縁を得て、不調和の原因となる人間のマインドを紐解き解放していく内観法を会得。人がどこで躓くのか、何を勘違いしてしまうのかを共に見出すとともに、叡智に満ちた重要なメッセージを共有する活動をしています。