「Mash Room」

薬剤師が適切な薬を提供するのと同じように、私は適切に髪を切る。美容師だからだ。
顧客に合わせてヘアスタイルの要望を訊き出し、実際に髪の毛を切っていく。顧客はたとえ十分に満足していなかったとしても、大抵満足した風で帰っていく。単調な仕事だ。切ったばかりの髪は黒い絨毯のように地面を覆う。

チリトリと箒で切ったばかりの髪を掬い取る。やがて、チリトリの中は髪の毛でいっぱいになる。顧客を迎え入れてから、ここまで大抵三十分。予約は一時間に一名と決めている。私とアシスタントの足田は、店内の清掃を一通り済ませると、顧客の髪が入ったチリトリを持ってバックヤードへと移動する。そしてシリコン製の白い容器にチリトリの中の髪を一本残らず流し込む。白い容器の中には、事前に特殊な薬液を入れてある。菜箸で中身をかき混ぜ、そのまま五分ほど待つと容器内の薬液は凝固し、全体が紫色の固形と化す。紫色の固形は、ちょうどプリンの容器をさかさまにして皿に出すときと同じ要領で専用のトナーの上に、容器をさかさまにして挿入する。店内に設置している大型の機器、それはカラーやパーマの際に効果を促進させる遠赤外線促進器で、日本人の一般女性の身長ほどの高さがあり、頭の部分が輪のようになっているマシンなのだが、その脚部分に設けられた大きな空洞にそのトナーを装填する。美容室の営業時は空洞部分に専用カバーを被せているが、この”作業”の間だけはカバーを開ける。

トナーを入れるとマシンは自動的に動作を開始する。動作を開始してもモーターの静かな駆動音が店内に響くだけで、音害はない。その静かな音が大きな効果をもたらすのは、数分後だ。

マシンが動き始めてまもなく、暗号化されたサイト上に、或る一列のURLが生成される。ただ、そのURLのリンク先にジャンプしても、エラーページが表示されて先に進むことはできない。そのURLは、遠赤外線マシンに対して直接入力をする。マシンの脚の裏側の下部、人間に例えると尻のあたりに、カバーで隠されたUSBソケットがある。USBソケットに差された小型端末は、私のスマートフォンに入っている特殊なアプリ「MashRoom」に連携されていて、URLをペーストすると再びマシンが駆動音を立てながら作動、ロックされていたキーが解除され、マシン内に蓄積されたデータが
「MashRoom」のWebクラウド上に反映される仕組みとなっている。
ちなみに髪を凝固させた固体は、トナーから取り出してドライアイスとともに先ほどの白い容器に入れておくと、数分間で自然消滅する。
また、マシンは”作業”をしている最中だとしても、通常の遠赤外線促進器としての機能もクオリティを落とさずに果たすことができる。

この一連の仕掛けの結果として解析されるのは、担当した顧客の個人情報である。クラウド上のデータベースには、多角的・多面的に集積された膨大な情報が収録されているため、遺伝子情報はもちろん、髪への付着物質から、昨日までに摂った食事、睡眠時間、精神状態、身長、体重、血圧、心拍数、視力、聴力、脚力、腕力、社交性、協調性、さらには、直近の交友関係、肉体関係まで解析することができる。交友関係、肉体関係に関しては、データベース上に情報が残っていれば、関係を築いた相手をも導き出すことができる。「情報が残っていれば」と注釈はつけたものの、現代の日本において髪を切らずに生活する者はごく僅かであり、関係対象のデータは大抵の場合、参照することが可能である。
美容室なので当然、個人名、年齢、性別、住所などの基本データは、新規来店時に顧客から直接入手することができる。
常連顧客の解析によってデータが重複する場合は、それぞれの項目で最新の情報に自動的に書き換えられる。

このデータベースは、全国に数百万人と存在する美容師の中でもほんの数十人のみが接触することのできる機密情報である。
管轄の一般社団法人 日本美容協会は、全国の美容師たちの安定経営のために日夜コンサルティングを行っている一方、美容室で収集される膨大な頭髪を基に上記の独自技術で巨大なデータベースを作り上げ、警視庁へ適宜データを売り渡すことで莫大な利益を得ている。
私はこのデータベースに関与することができる数少ない美容師だが、他の多くの美容師は「髪質改善に役立てるためのデータを集積している」という言い分でもって納得させられている。

もちろん、当店の足田もその1人だ。

(続)



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