聞いて貰っても良いっすか

僕、右肩が上がんないんですよね。そうなんです。右肩。いや、違います。右肩。そうそう、そうなんです。右肩って結構酷使するんですよね。最近はもう四六時中使う感じになっちゃって。こんなことからはもう足を洗いたいんですけどね。足を洗うっていうか、肩を上げるっていうか。そう、もうお手上げって感じで。周りが五月蠅いんですよね。僕、右肩痛すぎて手上がんないですけど。きらめく星ってどこにあると思いますか。宇宙ではないんですよね。きらめく星って肩の中にあると思うんです。ぴかっと光った瞬間に激烈な痛みを走らせて、機能不全にする極悪の星。あのきらめきは恐ろしいものでした。えっと、そうだ、嫌いな食べ物はありますか。ないですか。じゃあ良かった。今度ご飯を食べに行きませんか。僕はあなたと豚のスペアリブを食べたい。豚の右肩の部分。そうしたら僕の肩もどうにか良くなるのではないかという漠然とした、漠然としたというよりもっとアイマイモコな期待を抱いています。良いですか。良かった。じゃあ決まりで。今度の日曜日、東公園の遊具の前で会いましょう。そうしましょう。
では、あの、占いって信じますか。牛とか天秤とか、魚とか双子とかいろんな人が共通して持っているものを物差しにして未来とか過去とか現在とか、否応なしに断定的に押しつけてくるあれです、あれ。こんな言い方してますけど、でも、僕にとっては否応なしに断定的に押しつけてきてくれることは、とても安心することなんです。不安定で何も確定していないことが常に身に降りかかってきている訳だから、占いの存在は僕にとってとても大きい。あなたはどうですか。ああ、そうですか。それなら大丈夫です。いやいや、本当に。本当に大丈夫です。気を遣わないで。別に占いに一緒に行きましょう、なんて言わないので。でも、不思議です。その人の属性だけで、それに属する人全般の今週の運勢だったり、今月の運勢だったり、生涯の運勢だったりが決定されてしまう。我々は、朝のニュース番組やら、雑誌やら、ネットの切れ端やらに書き置かれたそれを盲信している。盲信という通り、我々は日常生活に対して無条件に、無差別的に突き刺す“くさび”がほしいのかもしれません。
眠たくなってきました。眠り、とは何なのでしょうね。意識したら眠れなくなること、ありませんか。音楽を聴きながら寝たら、寝ながらでもずっとその音楽が鳴り続けていて、朝起きたら音楽に思考が支配されていることはありませんか。あくび、というのもよく分かりません。酸素が必要だから、あくびをして脳に酸素を送るんだ、という理論をよく耳にしますが、そんなことをせずとも僕らは四六時中休まずに息はしているはずですし、その間中、脳にも酸素を送り込んでいるわけで、それならあくびなど必要がないわけです。あくびはもっと必要な生理的機能を有しているのではないでしょうか。違いますか、そうですか。いや、でも、あくびが「退屈の象徴」として取り扱われているのも僕は到底納得がいきません。僕としては真剣に聞きたい話の間も、集中して観たい映画の間も、本当に好きな恋人といる間もあくびは止めることが出来ません。それは「退屈」なのではなく、生理現象としか言えないものなのです。あくびをした生徒に対して、「あくびをするな」という教師がいますが、あれは「トイレに行って良いですか」と言っている生徒に対して「膀胱を押さえ込め」と応えるようなもんだ、と僕は思っています。
時計は深夜1時を差しました。さて、私の夜はこれからな訳ですが、明日がなんとなく不安です。現実に向き合いたくありません。右肩も痛いし、あまり良いことが起こるとは夢にも思えない。スケジュール管理はめんどくさいし、現実的な言語を使うのも神経を使う。それであれば、こうして創造的・想像的言語を使っている方がよっぽど僕にとっては価値がある。でも、それだけでは日銭は稼げません。僕の二面性です。二つの顔があるのです。それをあなたに分かって貰いたかった。それだけの話です。ずっと、よく分からない自分の話をしてしまいました。僕は人の話を聞くのが得意と周囲には言われてきましたが、実はそうではないようです。聞いているようで自分のことしか考えていない。だから、こんなにダラダラと自分のことばかりくっちゃべってしまっているのです。
静かに聞いてくれてありがとうございました。あなたには感謝しかありません。
それで、今日はどうなさいました?

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