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イモのふわ

11月もなかごろ、ここのところめっきり冬らしくなってきた。

午後3時にはもう夕方みたいな空の色とか、お風呂上がりにうかうかしていられないあの感じとか、鼻先をまっさきに冷やす澄んだ空気のにおいとか、もうすっかり冬のそれだ。

猫たちも、日に日にふわふわとふくらんでいく。

このあいだ、なんとなく去年の今頃どうしてたのかな、とカメラロールを遡っていたら、今よりひとまわりくらい小さいアネとイモの写真が出てきて、それはそれはかわいかった。

先月に1年記念日を迎えた2匹は、迎え入れたときもう8ヶ月だったから、さほど変わっていないと思っていたのだけれど、どうやらちゃんと育っていたらしい。

1年前の写真の中で、今でも華奢なアネはより細く、今ではどっしりしているイモもまだころんとしていて、2匹ともあどけないこねこのフォルムが残っていた。

そして私はハッと気付いた、この頃のイモには、最大のチャームポイントである「ふわ」がない。

「ふわ」というのは、お腹の下の方に垂れ下がっているたぷたぷした皮であり、巷では「ルーズスキン」と呼ばれている部分だ。

あるとき私が、横になっているイモの下腹部からはみ出たそれをつまんで「イモ、これはなに?」とたずねたら、近くにいた母が「ふわ」と答えたので、「ふわ」ということになったのだった。

実際のところ、そのさわり心地は「ふわ」というより「たぷ」なのだが、私たちきょうだいのようにしつこく猫を触らない母だからこそ、付けられた名前だといえる。

よく見ると、アネやトンにも「ふわ」はあるのだけれど、イモの「ふわ」は群を抜いて「ふわ」だ。

横になっていると「ふわ」だけ体の輪郭からはみ出ているし、小走りすれば左右からせわしなく「ふわ」が覗く。

私の姉はほっぺがまあるく、赤ちゃんの頃は「かわいい〜、何ヶ月ですか?」と聞かれるときにはもうすでにほっぺをつままれていたらしいが、イモの「ふわ」もそれと同じで手のひらが吸い込まれるような魔力がある。

しかしこねこのときにはなかったのか、と調べてみたら、どうやら「ふわ」は成猫になってからできるものらしい。

そして野生に近い猫種ほど発達するといわれているそうで、ますますマンチカンであることが疑わしい。

もはや最近はマンチカンだってすっかり忘れて、ちょっと胴が長いキジトラだと思っていたけれど。


2匹がうちに来た初日、低い姿勢のアネとイモが、家のなかのなにもかもを嗅ぎまくっていたのを覚えている。

みんながそわそわしてトンはブチ切れていて、ふと気が付けばイモの姿がなく、家中をみんなで探し回った結果、大きな本棚の裏に挟まって動けなくなっているおしりを見つけた。

イモはそれまで黙ってそこにいたのに、救出しようと本棚を動かしはじめたらミャーミャー必死に鳴きはじめて、出てきたあとも不安げな顔でアネにぴたりとくっついていた。

ちなみにアネはゴロゴロすりすりしまくりで、出したごはんも一切の警戒なく食べたのだけれど、イモはごはんを前にしてもむすっとしたままだった。

そのうち食べるかとも思ったのだが、「こわがりだけれど、慣れたら妹ちゃんの方が人間好きですよ」という猫ボランティアさんの言葉を思い出し、私はケージのなかに手を入れてイモの頭を撫でてみた。

すると緊張がほぐれたのか、イモはごはんを食べはじめたのである。

あのときは心が通じた気がして、うれしかった。

いまだに怖がりで、顔を近づけると首がなくなり目がまんまるになってしまうが、このごろはお客さんの前にも撫でてと言わんばかりに出て行くし、前よりもずいぶんとふてぶてしい猫になった。

しかし、すりすりと甘えてくるのに、撫でるとだんだん遠のいていくのはなんなのだろう。

さっきもなにか言いながらすり寄ってきて、よしよしと撫でたら遠くに行ってしまい、今もすこし離れたところから私を見ている。

抱っことなるともっとあからさまで、「イモね、きたの!」と元気よくやって来ても、抱きあげた途端に「ちょっときゅうようが」と体をよじって死に物狂いで逃げていく。

弄ばれているのか、私が期待に応えられていないのか…わからないけれど、とにかく今日もたわわな「ふわ」がその足元でゆれている。

2021.11.21 LINE BLOG

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