内田紅甘

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内田紅甘

俳優業と文筆業をしています。https://www.instagram.com/guama_uchida/ 仕事についてのお問い合わせはメールにてお願いします。guamauchida@gmail.com

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最近の記事

江國香織を読んだ夜

 久しぶりに江國香織さんの小説を読み、堪えきれなくなってこれを書いている。私のからだの一部はこのひとの書くものでできているのだと、ひりひりと思い出してしまった。高校生のときに初めて『きらきらひかる』を読んで、「こんなにもからだに響く小説があるのか」と、私はほんとうにびっくりした。それまでは小説、のみならず物語はぜんぶ、心に響くものだと思っていたのだ。けれども江國さんの文章は私のからだにびりびり響いて、その刺激によって生まれた細胞が今も私の体内で分裂を続け、からだの一部を構築し

    • ふつうの生活

       すでに初夏の風が吹いている。日を追うごとにあかるい時間が長くなって、ついこのあいだまで寒々しく枝をひろげていた木々に気づけばあわい緑が宿り、目を凝らせばくうに浮かぶ水の玉が見えるのではないかと思うくらいに湿気ている。日中は半袖でも汗ばむくらいに暑い日もあり、けれど雨が降ると急に冷え込み鳥肌が立つ。いつもはひどいスギアレルギーが今年はほとんど出なかった(今年がひどいんだよ、とみんなに言われた)のに、今になって目が痒くなったり皮膚がかぶれたり、くしゃみが出て頭痛もありからだも怠

      • 雨宿り

         雨粒が裸の枝の先っぽについて、きらきら光るつぼみになってる。春の雨が、私は好きだ。さらさらと世界をなでるように降り、音もどこかやわらかく、立ち上る土の匂いは夏の気配をもふくんでいる。春は頭がぼんやりとして、心もからだも鈍くなり、どうにもいらつく日が多いけれど、雨が降ると滞っていたものが清く洗い流される思いがする。それに、ぬくもりを帯びたあわい風景につめたい滴が降りそそぐというその現象は、ただそれだけで息を呑むほどうつくしい。  こんなふうに自分の気持ちを文字に起こしてひと

        • 春を迎えに

           みるみると春になっている。いつもだったら立春とか言いながらまだぜんぜん冬なんだけど、などと文句を言ってる頃なのに、今年は順調に春めいてきていて拍子抜けする。そうでなくとも暖冬だったから、思えば冬らしい日はほとんどなく、ずうっと春がくすぶっていたみたいな感じだ。たしかに雪はふったけれど、それも「最後に一発冬っぽくしておきますか」みたいなふりかたで、翌日はもうあたたかかった。しかし、冬のほうもこのままでは終われないと思ったのか、あたたかいわりに雪はあんがい長く道路のわきに解け残

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          21本

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          宿命の不在

           あけましておめでとうございます。  と言うのもはばかられるくらい、年明けからめでたくないニュースが続いている。まずは被災された皆さまにお見舞い申し上げるとともに、一刻もはやく被災地に日常が戻りますように、心よりお祈りいたします。  私は年始も東京にいて、身近に被害に遭ったひともいなかったけれど、それでも続報を見るたびに胸が痛んだ。こんなふうにあっけなく、私自身も、私のまわりの大切なものもいつか奪われるのかもしれない、と思うとこわくなって、すこし塞ぎ込んでしまうほどだった

          宿命の不在

          年末のご挨拶と、ウォンバットのうんち

           あっという間に今年が終わる。年々はやくなるというが、ほんとうにそのように感じる。思えばクリスマスも年越しも、子どもの頃みたいに特別なものではなくなった。自分の誕生日すらもそうだ。幼いときには毎月29日がくるたびに「あとなんヶ月」とゆびおりかぞえて、いよいよ12月になり、27、28と近づいてくればそわそわと、日付が変わる瞬間をいまかいまかと待ち侘びたものだった。そんな暇なガキだった私も、おとといぬるりと24になった。和菓子とケーキをどっちも食べたが、ろうそくを吹き消したりはせ

          年末のご挨拶と、ウォンバットのうんち

          ぬくもりをこわして

           坂の上から工事現場を見下ろして、こわれている、と思った。瓦礫のなかに埋もれるように、じっと黙ったショベルカーが虚空を見つめる。工事現場を覆う、ブルーやグレーの淡いメッシュが好きだ。こちらにものが落ちてこないよう守っているのはわかっているけれど、私にはそれが、怪我をしたときに傷を覆うガーゼや包帯みたいに、傷ついたものを包んで癒しているように見える。剥き出しになった鉄骨や、瓦礫になった壁を内包してはたはたとゆれるそれはずいぶんとやわらかそうで、だが実際ふれると硬くがさがさしてお

          ぬくもりをこわして

          過ぎゆく果実

          ある朝起きたら唐突に秋、このあいだまでの猛暑がうそみたいに涼しい風が吹いている。 この夏はノースリーブにハマっていたのに、途端に着られなくなってしまった。 でもあたらしく買ったセーターを着られる季節が目前に、と思えばうきうき浮き足立つ、簡単な心を飼っている。 読書の秋、と言われる所以をちっともしらないのだけれど、でもたしかに、この頃いつにも増して本をめくる手がよく進む。 私は本を読むのがすごく遅くて、まれに夢中になってごくごくと飲むように読みきってしまうこともあるけれ

          過ぎゆく果実

          トンとハーネス

          晴れた日、トンは窓辺でうるさく鳴く。 あきらかにイラ立っている低い声で、何度もなにかを訴えたあとは、痺れを切らしたようにケージに登ってカーテンに手をかけ、ビリビリといやな音を出す。 抱っこしてなだめたり、大好きなヘアゴムを飛ばしてあげても、トンは要求が叶うまでしつこくそれを繰り返し、私が折れるまで決してやめない。 そうまでしてトンが求めるもの、それはおもちゃでも、おやつでもなく、「おさんぽ」である。 トンはペットショップから迎えた猫だったし、最初から完全インドアで飼う

          トンとハーネス

          『私からの眺め』からの眺め

          涼しげに咲いていた紫陽花も暑さのあまり色褪せて、あっという間に夏がきた。 日本の夏は蒸し暑くてかなわない、と海外の人はよく言うけれど、私はこの水分をたくさんふくんだ空気が好きだ。 冬のあいだはするどい風のかたちをしていた空気が、むわりとやわらかい姿に変わり、あらゆる植物のにおいを漂わせてみっちりと街を満たしていて、どこまでも続く海の、ぬるい波をおしのけて歩くようで心地いい。 とくに夜の散歩はとびきり気持ちがいいし、明け方もうっとりするほどきれい。 白っぽい冬の夜明けと

          『私からの眺め』からの眺め

          花のきれい

          この時期に降る雨を、催花雨(さいかう)と呼ぶらしい。 はやく花を咲かせろと急かす雨、ということらしく、その字面もうつくしければ"最高"に似た音の響きもすごくいい。 この言葉は「Flower and Diary.」という連載をやっていたときに知った。 思えばあれから私は花に詳しくなり、5月になったらつつじが咲くなぁ、などと思うようになった。 以前は、ひらくのを心待ちにする花なんて桜くらいで、つつじやら紫陽花やらの目立つ花々でさえ、気づけば咲いているというふうだったのに。

          花のきれい

          サッカーボールが飛んでくる

          小学生のとき、私は休み時間のグラウンドを歩くのがきらいだった。 サッカーボールが飛んでくるからだ。 ある放課後、校門に向かう途中でクラスメイトの男子が蹴ったボールを顔面キャッチ、鼻血を出して保健室に運ばれたが、それからというものグラウンドを歩けばサッカーボールにあたるようになった。 サッカーボールの呪いである。 グラウンドのど真ん中を横切ったり、ゴールの前に立ち塞がったりなどしていない。 ちゃんとサッカー少年少女たちの邪魔にならない端の方を、なるべく気配を消して素早

          サッカーボールが飛んでくる

          イモのふわ

          11月もなかごろ、ここのところめっきり冬らしくなってきた。 午後3時にはもう夕方みたいな空の色とか、お風呂上がりにうかうかしていられないあの感じとか、鼻先をまっさきに冷やす澄んだ空気のにおいとか、もうすっかり冬のそれだ。 猫たちも、日に日にふわふわとふくらんでいく。 このあいだ、なんとなく去年の今頃どうしてたのかな、とカメラロールを遡っていたら、今よりひとまわりくらい小さいアネとイモの写真が出てきて、それはそれはかわいかった。 先月に1年記念日を迎えた2匹は、迎え入れ

          イモのふわ

          想い憶いの思い出

          8月が過ぎていく今日この頃、私はすっかり疲弊して寝転がってばかりいます。 というのも先日、ラストサマー(学生最後の夏)を楽しみたいという友人に連れられて、ドライブで伊豆まで行ってきたのです。 伊豆で目にしたのはどこまでも続く澄んだブルー、白浜を蹴りあげる笑い声…なんてものではなく、主にイグアナ蛇ワニ亀トカゲ、あとは終わりの見えないうねった山道そればかり。 イグアナや蛇やトカゲは、伊豆の山道に放たれているわけではなく、私たちの目的地であったiZooという爬虫類館で見たもの

          想い憶いの思い出

          箱の中身はなんだろな

          私が高校生のとき、よくこもっていた秘密の小部屋がある。 校内唯一の完全個室、しかもエアコン完備で、私が使っていたいちばん奥の部屋は他よりもゆとりがあり、足もゆったりと伸ばすことができる。 冬には座席があたたかくなり、つるつるとした床はいつもきれいに磨かれていて、小窓を開ければ渡り廊下と、その向こうにゆれる緑が見えた。 そこで私は昼食を取ったり、本を読んだり、初夏の風に吹かれてうとうとしたり、顔の見えないガールズトークを楽しみながら、ひとり優雅な昼休みを過ごしていたのだ。

          箱の中身はなんだろな

          わがままとマニキュア

          幼い頃、母のアシスタントとしてうちで働いていたゲイの男性に、マニキュアを塗ってもらった。 幼い頃と言っても7、8歳くらいのときで、ゲイの男性とは元アイドルの櫻田宗久くんである。 しかもむねくんが塗ってあげるねと言ったのではなく、ちょうどオシャレに目覚め始めた私が、自分では上手く塗れないからと押し付けたのだ。 彼がマニキュアを纏っているところなど一度も見たことがないのに、ゲイなんだから当然うまいはずだと私は思い込んでいて(ひどい偏見だ)、「ぼく下手だからできないよ」という

          わがままとマニキュア