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DX成功の鍵:文化的土壌/精神的態度と技術導入の関係性

アラブ諸国には民主主義は根付かない。アメリカはそんな失敗をイラク統治あたりで本格的にしたわけだが、ある制度/考え方が成立する精神的土壌・文化的土壌が揃っていないと、方法だけ移植しても、うまく運営できない。ということはいつでもどこでもなんにでも発生する。

これは日本における「DX」も同様であろうと思う。

DXは表面的には現場業務をIT化するわけだが、それがその後のプロセスや意思決定にどのように使われ、どのように影響を及ぼすのか、それによって組織全体として「全体最適」がどのように行われ「生産性がどう上がる」のか。

そういうことが真剣に意識されたうえで、テクノロジーを業務上に配置していく。そんな文化的土壌・精神的態度の組織においてはDXは花開く。

が、それがないところでの DXはただの「作業のIT化」に終わり、
起きるのは「部分最適」。その周辺で全体との整合を取るための別の
業務・作業が発生する。

せっかくのDXの取り組みが、「より上位の目的を達するための仕事」以上に「作業のための作業」「仕事のための仕事」という不毛を生み出す。

日本人は、この「不毛」自体もまた「立派な仕事」と思い込んでいる人が多いかもしれぬ。が、諸外国との生産性の「差」はここなのだと私は見ている。もちろん「ここ」だけではないけれど。

さらに、「DX」という衣装は、さも新しい概念のように聞こえるが、ITテクノロジーが一般人に開放された1995年(Windows95)あたりからもうずっと始まっていることでもある。

つまり過去30年を本質的に振り返れなかったならば、これまでの延長線で「DX」を捉えてしまい、同じ失敗を繰り返すだけだ、ということに注意しなければならないと思う。

我々の明治の先達たちは「和魂洋才」を云い、一定の成果を勝ち得たが、我々もまた、ほとんど同じ局面に立っているのだと思う。

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