見出し画像

はじめて恋をしたけれど彼とは次元の壁があった話  前編

はじめに

 ここでは恋愛感情を持たないアロマンティック(aロマ)、性的魅力を感じないアセクシュアル(aセク)、そして二次元の相手に恋愛感情を抱くフィクトロマンティック(fロマ)、性的魅力を感じるフィクトセクシュアル(fセク)についての話をします。こんな人もいるんだなという軽い気持ちで読んでもらって構いませんが、生理的に嫌悪感を抱く方の閲覧はお勧めしておりません。
 また、aロマaセクfロマfセクは当事者間でも言葉の定義が揺れています。自分がそうであることに気づいたきっかけの話なので、自分なりの定義の解釈があるかもしれません。
 それからかなり長文になってしまいました。前後編に分けてもなお長文です。

大丈夫という方はどうぞ先にお進みください!

恋がわからない

 さて、私は現在24歳社会人だ。戸籍上の性は女性で、性自認もおそらく女性。そして私には今までに恋人がいたことがない。
 高校大学は女子校で、学生時代は自虐的な彼氏いないキャラだった。「彼氏欲しい」が口癖、でも実際は友人関係にも満足しており彼氏がいなくても困らないなと思っている。本当は「彼氏」が欲しいのではなく、「彼氏がいる私」になりたいのだということはわかっていた。だって、人を恋愛的な意味で好きになったことがなかったから。具体的な誰かと結ばれたいという希望ではないし、寂しくて人肌恋しいというわけでもない。ただ漠然と「彼氏が欲しい」というだけだったのだ。いうなればファッション「彼氏欲しい」なんてところだろうか。
 好きになるってどういうことなんだろうか。自然と湧くものだっていうけど、私にはいつ来るのかな、と不思議な気持ちだった。少女漫画や、ドラマや、ディズニー、ジブリでは運命の相手と出会って恋に落ちて結ばれている。いつかは私にもそんな日が来るのだろうかと思っていた時期もあったけれど、友人たちは「寂しいから恋愛するのだ」「たまたまフリーの時に出会ったから今の彼と付き合ったの」「運命の人なんて綺麗事。お互い妥協した結果。」「体の関係からスタートしたよ」などと、私には理解の及ばない話をしていた。私には一生に一人の運命の相手と結ばれるというディズニーの世界までしかついていけない。いや、それすらも怪しいな。何せ幼少期には「リトルマーメイド」を気に入っていたが、好きなのはアリエルがエリック王子に恋をするシーンではなく、お守りのセバスチャンが歌うシーンとシェフから逃げるシーンだった。うむ、恋愛要素をガン無視している。所詮「運命の相手と結ばれる」という図式を頭で理解しているに過ぎないのだ。
 でもジブリのキャラで誰がいいかとかそういう話にはついていけた。ハウルがとにかくかっこいい、いやハクのほうが若いし頼りがいもあっていい、というあれだ。ちなみに私はアシタカ派を名乗っていたが、実際はバロンとASUKAが好きだった。マイナーで言えなかったけど笑。それから芸能人で誰が格好良いかという話題にも難なく参加できていた。あの俳優は顔が良い、あのモデルはスタイルがいい、あのアイドルは性格が好き。別に芸能人に対しても恋はしてないから、恋愛の感情はわかっていないんだけど、芸能人に本気で恋している人は少ない(否定しているわけじゃないよ、現在の日本でマジョリティーではないかなっていうだけ。)から、この話題で自分に違和感は持たなかった。だから、私は面食いで、そのせいで好きな人ができないのかなと思い込んでいた。

彼氏を作らねば。学生編


 と、まぁ、恋愛感情がわからず、彼氏もできないまま大学生活を送ること2年。彼氏がいない女は性格に難ありと思われてしまうんじゃないかと私は恐れた。幸い友人にめぐまれており、彼女らの力も貸してもらい、合コンを開いたり、呼んでもらったりもした。なんなら40人規模の合コンの幹事までした(それだけ大人数だともはやMCのような働きだった。彼氏がいない状態でその役目をするのはおかしいと後になって気がついた)。学生コンというイベントにも参加した。それなのに、彼氏ができないのだ!合コンで一切相手にされなかったわけではなく、その後お誘いを受けたことも何度かあった。ありがたいことであるが、女を見る目がなかったのかもしれない。私はディナーやら水族館やら映画館やらに一緒に行ったが、自分がなぜこの男と時間を共にしなければならないのか1mmもわからなかった。相手に興味がないのに談笑しながら食べるのは面倒だったし、自分の好みではない映画を見てもちっとも面白くない。好きな声優さんが出ていることだけが救いだった。手を繋がれたときは片手が塞がって不便だなと思っていた。そんな調子だから結局デートごっこをするのが面倒くさくなって、全ての相手を断ってしまった。あの方々の大切な時間を無駄にしてしまって申し訳なく思っている。
 これらの努力の結果を端的に言うと、私はひねくれた。自分でも反吐が出るほど性格が悪い話だが、街ゆくカップルを見て「私よりデブなのに」「かなりブスなのに」「オタクっぽくて垢抜けてないのに」「彼氏がいるなんて!」と胸中で嫉妬していた。その嫉妬も素敵な彼を射止めていることにではなく、彼氏持ちという社会的ステータスに対してだった。今思えばなんて阿呆らしい。そこでアセクシュアル・アロマンティックという言葉に出会えていれば時間も感情も無駄にせずに済んだのにな…と思うことがある。
 以上の顛末で私には結局彼氏ができず、「彼氏もできない私は社会的にどこか欠落した人間なんだ」という悲しみを抱えることとなった。それでも学生時代は彼氏なしでも楽天的でいられた。友人たちと講義中にDSでポケモンバトルをしたこと、空きコマでお菓子パーティーしながらおしゃべりし続けたこと、サークルも掛け持ちで活動に精を出したこと。どれもとっても楽しかった。休日も予定がいっぱいで、友人と遊ぶのはもちろん、旅行もたくさんしたし、一人で気の向くまま文学館博物館巡りもした。他大学の授業を一人で受けにいく行動力があったおけげで新しい知り合いも増えた。資格のための実習でもノリの合うメンバーに恵まれて楽しくやれた。ケーキ屋でのバイトでクリスマスは潰れたし、彼氏がいないことの真のヤバさは感じなかった。彼氏がいなくても十分充実していた。人間として欠陥があるかもという不安さえなければ、実際はなんの問題もない、むしろ最高の学生生活だった。

彼氏を作らねば。社会人編


 そんな充実した楽しい女子大での日々も終わりを告げ、社会人になった。1年目はコロナの影響もなく、同期という新しい仲間も増え、よく遊んだ。同期にも彼氏がいる者といない者がいたが、遊ぶのはやはり彼氏いない組が多かった。気兼ねなく誘えるからかな。だが、この同期たちは今現在彼氏がいないというだけで恋話が大好物の恋愛脳女子だったのだ!これは決して悪口ではなく、むしろこの年の女子としては普通かもしれない。私がマイノリティーなだけ。ただ自分とのギャップを感じたのは事実だ。とにかく、私にとってはつまらん恋愛ドラマの話を延々とする恋愛脳の同期たち(「キュンとする」とは?)、結婚し始める友人たち(23歳24歳でって早くない?)、だんだん生々しくなる恋話(体だけの関係とか私には難しすぎる)などが迫ってきて、私には欠陥があるんじゃないかという悲しみと焦りが押し寄せてきた。Googleの検索履歴は「婚活 おすすめ」「彼氏いない歴=年齢 いつまで」「独身 老人ホーム」「孤独死」となった。末期症状だ。
 話は変わるが、私はマンガアニメが好きないわゆるオタクだ。けれど子供向けアニメを多く好んでいる。ポケモン、ゲゲゲの鬼太郎、ムーミン、コジコジ、ドラえもん など。子供向けに限らないところで挙げると宝石の国、ダンピアの美味しい冒険、AKIRA、妖奇士、北北西に曇と往けなど。知らないよね?自分でもマイナーだってわかってる。世間一般のオタクとはなにか違うなというマイノリティーを感じていた。
 私の愛すべきこれらの作品を全てまとめて一言で表すと、「恋が本筋に絡まない話」だと思う。こども向け以外だと世界観にこだわっているかも。つまりラブストーリーは理解できないから無意識に避けていたんだろうなぁ。それでも「推し」という存在はいた。アニメ「ポケットモンスター」のコジロウ、「ムーミン」のスナフキン、珍しく女性向けソシャゲ「文豪とアルケミスト」のkktkn(実在した人物のため検索避け)、芸能人でもちゃんと推しがいた。しかし、あくまで「推し」であり恋する感情はない。芸能人に至っては、顔がいい男たちを全員私の弟にしたいという狂った思考だった。この「推し」という感覚がわからない人もいるかもしれないが、これは恋ではないのだ。応援しているというのが近いかもしれない。コジロウが好きだったが、ロケット団というチームがそもそも好きだった。別に私がコジロウとどうこうなりたい訳ではない。kktknに関しては作品や人となりに興味を惹かれて、記念館に通ったり全集を読み漁ったりした。キャラクターを通して史実の彼に興味を持っていた。これもむろん恋ではなかった。学術的興味に近かったと思う。推しのことは好きでグッズを集めたりもするが、そこに愛はあれど恋ではない。アセクシュアルやアロマンティックは感情がなかったり、愛情を持たないように受け取られがちだが、そんなことはない。家族愛、友愛はもちろん推しへの愛情もちゃんとある。
 さて、恋がわからず、合コンも不発、そして恋が絡まないアニメ好きのオタクという私。このままじゃまずいかもしれないと思ってはいたが、そもそも恋する感情がわからないのにどうしたものやら。悩んではいたが、仕事に慣れるのが先!とほっぽっていた。

後編に続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?