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先生に出会えてなかったら…

私の中には、小学校1、2年生の頃に担任してくれた先生が今もいます。

『います』という表現は少しおかしいかもしれませんが、あの時、この先生が担任でなかったら、引きこもりや不登校になっていたかもしれません。

引きこもりや不登校は悪いことではない、と子育てをしながら今は実感していますが、私が小学生のころには、その価値観は無に等しいもので、やはり引きこもりや不登校は、白か黒で判断されるなら黒であり、『悪いこと』にカテゴライズされていました。

そんな私の小学校時代は、かなり極端でした。
この先生と出会った1、2年生の頃は、泣き虫でした。
あまり話すことが上手ではなかったので、一人で絵を書いているような子でした。


本当に休み時間はずっと絵を書いていました。一人で。

でも、別にそれを悲しいとか寂しいとか、思ったことはありませんでした。

みんなが休み時間に校庭に遊びに行く中、1人で教室にいましたが寂しくありませんでた。

なぜなら、いつも先生がいたから。

先生は、他の先生が職員室で作業している時も、道具を持って来て教室の先生の机で作業していました。

今思えば、いつも教室で1人の私を気にしてくれてのことだったのかな、と思います。

先生は男の人で新人でした。

ちょっと彫りが深めで高身長のイケメンでした(笑)

そして青いオープンカーに乗っていました。記憶が正しければ、ロードスターだったと思います。目が出てくるやつです(笑)

他の先生が音楽の時間にピアノを引くのに、この先生はギターで色々な曲を奏でてくれました。
ピアノが苦手なんだ、と笑いながら生徒の質問に答えていた先生が懐かしく思います。

先生とのやり取りは、そんなに多くはありませんでした。

休み時間に同じ空間にいるだけ、という感じだったのです。

休み時間にクラスのみんなでかくれんぼをやろう!と元気なクラスメートがみんなを誘っていました。私も誘ってもらったのですが、正直行きたくありませんでした。返事もできず、モジモジしていたら先生が来て『マミさんには手伝って欲しいことがあるから、先生と一緒に来てくれますか?』と言ってくれたので、行かずに済みました。他の子も手伝います〜と言っていた子もいたのですが、先生がうまくかわしてくれました。

先生のお手伝いは、教室の壁に飾る工作の手伝いでした。

先生は、手先が器用だったので季節ごとに作って飾ってくれていました。

先生が作ってきた、型紙に合わせて切ったり、貼ったり。

夢中で手伝っていました。

話さないこと、話すのが苦手なことを理由にイジってくる子たちもいて、学校に行きたくないと思ったり、下校ルートで意地悪な子と同じが嫌で下校ルートを勝手に変えたりしていましたが、その手伝いのためだけに学校に行っていました。

今はないと思いますが、業間休み(ちょっとだけ時間の長い休み)には、図工室に行って、広い机で作業をしたり、自分の持っているクレヨンよりも種類が豊富なクレヨンを使わせてもらっていました。

私の子供時代は、毎年のクラス替えではありませんでした。

私の小学校は低学年は2年ごと、高学年は1年ごと、もしくは何かあったらクラス替え、というシステムでした。

なので2年間、この先生のクラスでした。


2年生の終わり頃、先生が自作の絵本をみんなに配ってくれました。


実際の表紙です。未だに宝物として取ってあります。
女の子の肩に乗っかっているのが、そのキャラクターです。

先生はオリジナルのキャラクターを持っていて、事あるごとにノートや黒板に書いていました。

このキャラクターは私達の中では、すっかりクラスのキャラクターとして馴染みのあるものになっていました。

そのキャラクターを主軸にした女の子の話しでした。

内気な女の子が、キャラクターの力を借りて怪獣をやっつけ、クラスに打ち解ける、という話でした。

私は読んだ時に『あれ?この女の子って…』と思いました。

この女の子が物語の中でしていたことが自分と同じだったのです。

内気で話が苦手、教室で1人で絵を書いて、たまに友達と話して、先生の手伝いをして…まるで私でした。

先生がみんなの前で、その話を朗読し、少しだけ道徳みたいな授業をしました。

2年生の最後の日、先生と話をしました。

私はいつも通り、教室で1人で絵を描いていました。

『あの物語の女の子、私にそっくりでした!』


【みんなには内緒だけど、あのお話はマミさんに書いたんだよ。絵を描くことも素晴らしいことだし、人と無理に関わる必要はないと先生は思っているけれど、勇気を出さなきゃいけない時は、必ず来るから、その時はあの話を思い出して、マミさんの力で一歩踏み出して欲しいと思って】

先生はそう言って、いつものように笑っていました。

あの時は、先生の言葉の意味が良くわかりませんでした…なんだか難しいことを言っているな、と思ったのに、この言葉は何十年たった今も私の中にありました。

学年が変わり、先生が学校を去っていました。

今までは何か言われても、黙っていましたが、少しだけ言い返せるようになりました。間違ったことを先生に言っている子の間違いを正すこともできるようになりました。

高学年になるころには、学級委員や班長、実行委員などクラスをまとめるリーダー的な存在になりました。

あの時、先生が担任でなかったら、無理に集団に合わせさせられて学校生活が苦痛に感じていたかもしれない。

勇気のないまま学校生活を続け、いつも人の影に隠れるように生活していたかもしれない。

嫌なことも嫌と言えず、1人で耐え続けていたかもしれない。

自分の子供を守るために声をあげることもできなかったかもしれない。

子供の個性を受け入れられなかったかもしれない。

先生に出会えたおかげで、内気すぎた私はいなくなって、そこそこ気の強い、肝っ玉かあさんになりました。

大切なものを守るために、勇気をもって、いろいろなものにぶつかって行けるようになりました。

今はどこの学校にいるのかもわからないけれど、もう一度会えるなら心から伝えたいです。

『私の担任の先生になってくれて、ありがとうございました』

『先生のおかげで、大切なものを守ることができています』



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